通っていた大学では、インターネットで社会を良くしたいとか、そういうことを声高に言うやつが多く、ほとほと嫌気がさしていた。それは欺瞞としか言いようのないものだったから。
インターネットは、たしかに社会を変えるが、それは共同体を解体するような、破壊的な方向に機能する。できる人はますますできるように、できない人はますますできないようになっていく。格差がどんどん開く。
もともと、人に好かれる能力を持っている人がYouTubeなんかをやれば、日本中の人気者になってしまったりする。
しかし、好かれる能力のない人が、原理的には世界中に届くはずのインターネットでオフ会の告知をしても、当日集まってくる人数は、0だ。
弱者のためのインターネットというものは、ありうるのだろうか?
画面上の人気者のようには明るくなれない人達。声をあげることも助けを求めることもできない人達のために、一体何ができるのだろう?
そんなことを考えるたびに、思い出す動画がある。
これは、ある大物ユーチューバー(本人の願望)がYouTubeにアップした動画が、のちにニコニコ動画に転載されたものだ。前半の踊りはわりとどうでもいいが、3:25からのおまけを見てみてほしい。
この映像は、大阪府貝塚市にある二色の浜公園で撮られたものらしい。
人間という存在から拭い去ることのできない、弱さ、悲しみが滲み出た、やさしい世界。
ここに映る男が普段撮る映像は、底辺ユーチューバーそのものと言った内容だった。しかし彼は二色の浜公園の石像前で、ほんの数十秒とは言え、他のどんな大物ユーチューバーにも到底生み出し得ないものを動画におさめた。どうしてこれを撮ることができたのかはわからない。神の気まぐれが彼を生み出し、同じような気まぐれがこの奇跡を起こしたのだろうか。
男の名前は浜崎順平(syamu_game)と言う。通称シャム。
シャムは、大物ユーチューバーを目指していた無職であり、活動引退後にニコニコ動画で再評価され、大勢の目に触れることになった。
「おい!それってYO!」とか「アッアッアッアッ」とかのネタを見かけたら、それはsyamu_gameのネタだ。
簡単に経緯を記す。
YouTubeにゲーム実況動画などを投稿。
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勃起している動画を投稿したり、クズ発言などが目立ち、アンチが増えていく。
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泉南イオンでオフ会を開いて「オフ会0人」を達成。
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ファンの女性を装ったアンチに騙されて海南難波駅で待ちぼうけ。その後もアンチに叩かれ続けてYouTubeを引退。
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引退後にニコニコ動画で再評価。(主に素材として使われる。)
Syamu_game@ウィキなどが編集され、彼の人気は現在も衰えない。
彼に起こったことが、悲劇なのかどうかはわからない。仮にシャムになりたい人がいたとして、狙っても同じことはできないだろう。一人の人間の意志を越える偉業を手にした者は、往々にして不幸なのかもしれない。
僕は、syamu_gameの盛り上がりを、偶然に帰すことはできないと思う。まぐれとは言え、二色が浜公園のあの映像を撮れるくらいなのだから、やはり彼は何かを「持っている」のだ。それが、本人の望んでいたものではなかったにしても……。
人気者がどんどん人気になっていくインターネットの世界に、syamu_gameは一体何を投げかけているのだろうか?
(失礼だが、)シャムの動画を見て楽しんでいる人達が、現実社会での強者だとはあまり思えない。
弱い人のためのインターネット。やさしい世界をつくりだした男。
「便利」や「最適」を追求することはある意味簡単で、それは放っておけばいずれ誰かがやるのだ。シャムは、グーグルにもアマゾンにもできないことを、(本人が意図したわけではないにしろ、)その身を犠牲にして成し遂げている。
彼は、哀れなネット民の玩具であると同時に、底辺からネットの闇を引き絞る役割を引き受けた英雄なのだ。
信頼のおける情報ではないのだが、彼は活動再開の気持ちがあり、動画編集の機材を買うためにハロワに通っているという話もある。syamu_gameの復活を切に願う。