「ポケモンGO」の流行で、人々が何もないところにスマホを向けている風景が当たり前のものになった。 「Augmented Reality(拡張現実)」が受け入れられる社会がやってきたのだ。
近い将来、ユーザーが「ARプラットフォーム」で自由に創作して投稿できるサービスが始まると思う。そこで問題になるのは、位置と結びついた仮想空間に何かを配置する権利は誰にあるのかということだろう。
それについて昨日書いたりした。
ARアクセサリー?
個人的な予想では、最初に流行するのは「ARアクセサリー」だと思ってる。
ユーザーが持つGPSと連動して、そこから数センチから数メートルくらいの距離に、特定のデバイスを通すことで見える守護霊的なやつが出現する。
GPSの持ち主についてくる形式なら、そのプラットフォームが広く普及しても、位置情報の権利とかややこしい問題はない。
ひょっとしたら、「ポケモンGO」がそういうのをやりだすかもしれない。
アニメのポケモンではサトシがピカチュウを肩にのせている。捕まえたポケモンが自分についてきてくれたら楽しいだろう。
まあARアクセサリーは単なる予想だけど、「ポケモンGO」によって、「位置」という動かせないものと「仮想」という浮薄なものが結びつき、その風景が人々に共有された。これはかなり大きなことで、新しいインターネットの世界の始まりになるかもしれない。
何を「新しい」と感じるかは人それぞれだろうが、僕の考えでは、「弱者のためのインターネット」が出てくれば、それは新しいと言えると思う。
「便利になる」という指標でどれだけすごいものが出ても、それは予想の範疇でしかない。でも、インターネットが弱者(ここで言う弱者は、特定の情況に虐げられている人じゃなくて、どこで競争しても勝てないような人のこと)に利するような、福祉的な性質のものになれば、社会が変わるかもしれない。
弱者のためのインターネットはありうるのか?
インターネットを使ったサービスのほとんどは、連帯や共同体を解体する、破壊的な性質のものだ。
「インターネットで福祉」みたいなサービスが成功した事例は、僕が観測する範囲では見つからない。
大学のクソみたいな講義で、なんかのビジネス関連の先生が、消火器の雪かきをするサービスを「ネットの社会貢献」としてドヤ顔で紹介していたけど、「Uber」とか「Airbnb」みたなものが普通に使われるようになった社会で、福祉的なウェブサービスの事例はこの程度のものもない。(その消火器雪かきサービスも今はどうなってるかわからない。)
「Wikipedia」はネットの奇跡と呼ばれていて、たしかに無償であれが成り立つのはすごいんだけど、wikiも基本的には強者のためのサービスで、活用できる人はますます有利になり活用できない人はますます不利になる種類のものだ。
インターネットは、リテラシーが高く能力のある人同士を結びつけることはやりやすいけど、弱者の連帯のための基盤を作っていく方向には機能しない。離れた点と点を繋ぐことはできるけど、面を作るのには向いていない。むしろ破壊していく。
福祉的な活動は、イメージとして、遠くにある点と繋がることではなく、周りの面を厚くしていくことが必要だ。そこにいるだけで守られるような「場」を作りだしていかなければならない。
これを言ったらみんな怒るかもしれないけど、僕は、見方によれば「はちま」とか「JIN」とか「まとめサイト」みたいなものは、福祉的なインターネットの稀有な成功事例だと思ってる。あれは「居場所」なんだよね。
たしかに、ネットの居場所みたいなもの(具体的に言うとはちま起稿のコメント欄)は、優秀な人達が結びつく場面だけを見て目が肥えた人達からは、どうしようもないものに映るだろう。でも地縁とか血縁でできた共同体だってほとんどがその程度の知能レベルであって、そういう種類のものが崩壊してしまったからこそ、生きづらくなっているという側面もある。
「ポケモンGO」の大流行は、「位置ゲー」が多くの人にとって身近なものになったということであり、点を繋ぐ部分と、面を構成する要素が加わった事例になる。
そこで出てくる僕の関心としては、「インターネットで福祉的なものは可能か?」ということだ。
(現状のポケGOは、ポケモンを探しに行くなら色んなところに移動する必要があるし、ずっと同じところでやってると特定のポケモンを強くしやすいという感じになってる。まあこういうのは設計次第だからね。)
「ポケモンGO」で恋人ゲットだぜ!
例えばどこかで何らかの問題が発生して、人手が必要になったとする。現状の「ポケモンGO」でも、手伝ってくれた人にレアなポケモンをプレゼントとかやれば、大量に集まってくるだろう。
でも、それは「インターネットによる福祉」とは少し違う。さっきも言った通り、「場」を作っていくことが必要で、一時的に人が押し寄せてもそれほどの意味はないからだ。
現状の「ポケモンGO」では、都会と田舎の格差が指摘されている。
左 都内 中 徳島 右 北海道 #ポケモンGO pic.twitter.com/ybY579b1lN
— 隊長 (@niconouka) 2016年7月22日
ポケモンは草の中森の中に出るって習って大きくなったのに田舎より都会の出現率が高いのを見ると(ポケモンも森林伐採で餌場がなくなって山を降りるしかなくなったんだなぁ)って悲しい現実に引き戻されるので田舎の出現率あげてくれませんかね任天堂さん…
— 弾正よしかげ 夏コミ1日東A12b (@NC010203) 2016年7月22日
ポケモンGOやって田舎と都会でポケストップの数が違いすぎる!って事に対して「だからサトシもマサラタウンにさよならバイバイしたんだろ」ってコメント秀逸過ぎて
— ななづき(課金) (@mohumohulove) 2016年7月22日
格差が何らかの方法で埋め合わされる可能性も高いが、ゲームをやり込みたいなら、あるいはみんなでワイワイしたいなら、明らかに都会が有利だ。
現状では、他のプレイヤーやポケストップが少ない田舎は不利なのだけど、しかし僕は、過疎っているところにこそ位置ゲーの可能性があると思っている!
自分の住んでる場所が田舎だ……この情況は多くの人にとってなかなか変えようがない。それでも、人があんまりいない場所で、同じポケGOをやってる人に出会うということにこそ、意味があるんじゃあないか!
都会のように人がうようよいる場所だと、情報も出回ってるし、すぐに出会い厨として警戒されてしまう。(これが東京で消耗するってことなんだよ。イケハヤはまだ田舎にいるんならポケGO記事書けよ!)
こんな片田舎で、たった一つしかないポケストップで毎日顔を合わせるあの人……トゥンク……恋の予感!みたいな?そういうことがあるかもしれないんだゾ
昨日は勢いでポケGO出会い厨に僻みっぽい記事を書いたけど、ポケモンを探す途中で色んな人と知り合うのは悪いことじゃないと思う。婚活サービスとかマッチングサイトよりも、「ポケモン」で出会ったって言えるほうが素敵だと思いますよ。
「HUNTERXHUNTER」のジンさんだって「大切なものはほしいものより先に来た」って言ってたもんね。
人は、複数の場所に同時に存在することはできないし、何かにハマることのできる時間も、誰かと分け合うことのできる時間も限られている。そういう意味での平等はある。
みんなが同じだけ与えられている時間を、大切な誰かと共有すること。そうやって僕たちは、例えば恋をしたり、誰かのために何かができるのかもしれないね。
社会に影響とかいろいろ言ってたけど、何より大切なのはゲームを楽しむこと。この夏はポケGOで大切なものを探しに行こうぜ!
(今夏は部屋に引きこもって過ごす予定の25歳童貞より)