「ハチ助」と呼ばれる、蜂のマークには思い出深いものがある。現在は買収されてしまった北海道のゲーム会社「ハドソン」のロゴだ。
「高橋名人の冒険島」「天外魔境」「桃太郎電鉄」など、いくつもの人気ゲームを世に出してきたハドソンだが、中でも「ボンバーマン」は最も多くの人に知られている作品だろう。
防護服のようなデザインのキャラが爆弾で殺しあうゲームだし、デフォルメされてるからこそ成り立つ世界観だよなあと思っていたけど、そんなことはなかった!
初代は1983年に作られたパソコン用の「爆弾男」というソフトだった。迷路に閉じ込められた作業服を着た人間というコンセプトは最初からあったのだが、パッケージに描かれている絵はリアルで、今もときどきネタにされる。
1985年発売のファミコンソフトから、みんなが知っているビジュアルのボンバーマンになった。基本的なゲームシステムはシンプルで、十字に広がるボムの爆風で敵を倒していくというもの。
シリーズを重ねるごとに、友達と対戦できるようになったり、ハートやリモコンなど強化アイテムが増えたり、ルーイの上に乗れるようになったりと、いろいろな機能が増えていく。
自分の置いた爆弾で退路が防がれ、どうしようもなくなって自滅した経験を、プレイした人は誰もが持っているはずだ。「詰んでる」ことをあらわす記号として今もたまに見る。こういう強烈な印象を残すゲームはなかなかない。
対戦中に死んだら「みそっかすボンバー」、通称「みそボン」になって、生き残っているプレイヤーの足を引っ張れるというのもすごいルールだと思う。
爆弾で殺しあうというコンセプトも強烈だし、全体的にどこかブッとんだところのあるゲームなのだ。
キャラクターデザインもけっこう好きだ。
防護服みたいなスーツにちょんまげがついてるのが良い。かわいらしいけどヤバい感じがする。「爆ボンバーマン」シリーズでは、爆弾で敵を倒したあとに満面の笑みを浮かべていて、TAS動画で
([∩∩])<死にたいらしいな
みたいなネタが流行ったのが面白かった。
あと、「タカラトミー」が発売してる「ビーダマン」もボンバーマンの派生商品なんだよね。
腹からビー玉を発射するという子供心をとらえた玩具で、小学生の頃は流行っていた。当時の「コロコロコミック」に連載されていた漫画のビーダマンは壁を破壊する威力の玉を発射したし、リアルでも締め撃ちをくらって痣ができたみたいな物騒な話を聴いた。
でもキッズは攻撃力のあるものには惹かれてしまうのだ。
小学生の頃は友達の家で、SFCの「スーパーボンバーマン4」か「5」、64の「爆ボン」でよく遊んだ記憶がある。ボンバーマンも上手いやつはめっちゃ上手いんだよね。逃げられなくなるボムの配置をしてくる。
「ハドソン」は、「任天堂」初のサードパーティでもある。(注:サードパーティとは、ここでは他社のハードで動くソフトウェアだけを作る会社のこと。)任天堂と親しいゲーム会社として、みんなでワイワイ遊べるゲームを作っていた一方で、PCのソフトウェアメーカーという文脈も持っていた。
物理的な感覚を重視する任天堂とはまた違った、実態と離れたバーチャルな想像力がハドソンの作品にはあって、それは任天堂にはできなかったことだと思う。それでいて、とっつきにくさのない丁寧な作りのゲームが多かった。ボンバーマンにしても桃鉄にしても、ハドソンらしさみたいな感じがあって好きだった。
ちなみにハドソンは「PCエンジン」でハードウェア市場に参入したこともある。結果として商業的には成功しなかったが、日本において初めてCD-ROMを使ったゲームであり、ゲーム史に爪あとを残すものになった。
ソフトだけじゃなくハードにも、ハドソンのファンは多い。
僕の世代のボンバーマン、僕が一番好きなボンバーマンは、「Nintendo64」から出た「爆ボン」だ。
当時のメジャーな64作品に倣って3Dになり、ボムの爆風も円形になってるし、高さや奥行きの概念があり、ボム投げやボムジャンプといった複雑なことができた。ボンバーマンのいろんな可能性を見せてくれた作品だと思う。
友達とできる対戦モードも3Dになっていて、ステージのバリエーションが豊富で楽しかった。
ただ、ストーリーモードはめちゃくちゃ難しく、小学生の頃はクリアできなかった。3Dボムを使った曲芸じみた裏ワザがクリアの前提になっていて、色々とおかしいんだけど、どこか良ゲーと思わせてくれる魅力があった。サードパーティらしい?ヤバさが面白さに繋がっているゲームだった。
だからこそ、時間を経てニコニコ動画のTASという形で盛り上がったのかもしれない。少なくとも、プレイヤーに恵まれたゲームではあったと思う。
「ありぽん」というゲーム実況者が投稿した解説動画も面白かった。
最近、バンダイを買収したコナミからボンバーマンのスマホゲームが出されたが、アプリ内にコナミ社のゲームの広告がたくさん貼られていて、残酷な扱いをされている印象を受けた。
現在は、ゲームメーカーにとって牧歌的だった世界はすでに終わり、商業的にはソーシャルゲームでやらざるを得ないような状況になっている。家庭用のパーティーゲームをWiiUやPS4みたいなハードの規模で出すのは難しい。
多くの和製ソーシャルゲームは、「パズドラ」にしても「モンスト」にしても、基本的な仕組みをベースにして、その上に数値や属性やスキルといったRPGの要素をのっけている。そのやり方は、おそらく大抵のゲームに応用可能であり、ボンバーマンの仕組みでもやれないことはない。
しかし、ボンバーマンにそういうやり方は向いていないと思う。ゲームのルールと爆弾のイメージが綺麗に結びついているからだ。今のゲームシーンに適応できるからといって、必ずしもそれが優れているということにはならない。
ボンバーマンは、ゲームのコンセプトが優れていた故に、ごちゃごちゃした今のやり方には不向きなのだ。そういう形で過去のものになっていったゲームは多いが、その中でもボンバーマンは多くの人に遊ばれ認知されている作品ではあると思う。ただ、パックマンのようにスマブラに参戦するみたいな運には恵まれなかった。
「ボンバーマンシリーズ」がゲーム史に刻まれる作品であることは間違いない。
ボンバーマンも、ハドソンという会社も、何かしら良い形で知られ、そして思い返されるものであって欲しい。