「MOTHER」は、コピーライターだった糸井重里によってつくられたファミコンのゲームソフトだ。
1989年の、夏休みが始まってまもない7月27日に発売された。
1900ねんだいの はじめ
アメリカのいなかまちに くろくものようなかげがおち
ひとくみの ふうふが
ゆくえふめいに なりました。
おっとのなは ジョージ。 つまのなは マリア。
2ねんほどして ジョージは いえにもどりましたが
どこにいっていたのか なにをしていたのかについて
だれに はなすこともなく
ふしぎなけんきゅうにぼっとうするようになりました。
つまの マリアのほうは
とうとう かえっては きませんでした。
この文章を冒頭に、MOTHERというゲームは始まる。たどたどしく、なぞめいた言い回しであり、これだけを取り出しても特別な名文という印象はない。
しかしこの導入は、ゲームに介在するテキストがなしうる、最高の叙情を湛えている。
敵を倒せば、経験値がもらえて、レベルが上がって強くなる。
このようなゲームの形式は、よくもわるくも、プレイヤーを引っ張っていく力を持つ。レベルアップの仕組みが、作品の始まりから終わりまでを自動で生成してくれる。
近年のモバイルゲームを見ている限り、楽しいのはレベリングの部分で、ストーリーはむしろそれに付随する要素になってしまっているみたいだ。
日本産のゲームをよく遊ぶ人の多くが、RPG(ロール・プレイング・ゲーム)を、数値が上昇していくゲームの仕組みの上にストーリーを語る作品だと感じているかもしれない。そういう文化の源流に、MOTHERというゲームがある。
もともとのRPGは、それぞれのロール(役割)……例えば戦士や魔法使いなどの違いを表現するために数値が使われていたのであり、レベルアップも単に習熟を表す指標だった。まず前提となる世界観があって、それを数値で実装していたのだ。
数値が上昇していく部分をいったん切り離したうえで、その土台にゲームという形でしか語れないものを乗せていく方法。MOTHERはその金字塔を打ち立てた作品だ。
「ドラクエ」や「FF」のあと、敵をひたすら倒して強くなっていくRPGとは別のものを作ろうとする試みが様々に試され、あらゆる可能性が模索されていた。
その中でもMOTHERは突出している。まるでその作品自体が一つの発明だと思えるくらいに。
MOTHERは、既存のゲームのアンチテーゼだった。
特筆すべきは、レベルアップや装備強化などのシステムが、ゲームの世界観とあまり噛み合っていないことだ。そして、たたかうということがいびつで釈然としないものであるからこそ、ある種の語り方が可能になっている。
ラスボスとのたたかいのために必要だったのは、主人公たちがレベルアップで身につけた「強さ」ではなく、冒険の道中で拾ってきたメロディーだった。
いままで「たたかう」ことしかできなかったコマンドラインに、当然「うたう」が現れるのだ。
メロディーを集めることに、明確な動機付けがされていたわけではなかった。
主人公の部屋にある「でんきスタンド」がいきなり暴れだし、RPGらしい戦闘がまず始まる。それから、「とにかく おまえだけがたよりだ。 いまこそ ぼうけんのときだ。」とパパに電話で言われ、ひとりで家から旅立つことになる。
現実味を帯びた世界観ではあり得ない。RPGのフォーマットだからこそ違和感なく成り立つ、ふしぎな物語だ。
ゲームは、アニメや映画のように、時系列で登場人物が語り出すわけではない。
誰かの目の前まで歩いていき、話しかけるということ。目の前でボタンを押すことによって、その人が語り出すということ。そこにもっとも真剣に向き合ったのが、MOTHERというゲームだと思う。
ゲームの仕様を教えてくれる「おせっかいなねずみ」をはじめとする、奇妙なキャラクター達。汚い大人もいれば、ものをあげたお礼に「ノミとシラミ」を渡してくる人や、風邪をうつしてくる人もいる。「ゲームだからしょうがない」なんていうメタ発言をする人もいる。小学校の用務員のような特別感のないキャラにも、本当にいきいきとした会話が用意されている。
必ずしも本筋には関係のない人達が、饒舌に言葉を語り出す。何気ない人々がただの背景ではなく、しっかりとゲームのなかに息づいている。
MOTHERは、様々な印象の断片を、ゲームという形式の上に乗せることで、一つにまとめてしまった作品でもある。それぞれの断片に「本当」が見え隠れするからこそ、脈絡があるわけでもない一つ一つの言葉や出来事が心に残る。
わすれられたおとこを無視しなければならなかったこと。戦闘で死んでいくフライングマン。トンネルを抜けて一面の雪景色。ロイドがたたかうことを決意する場面。イヴが自爆して壊れた後に流れてくるメロディー。ずっと心休まる場所としてあったマジカントが、クイーンマリーの意識が生み出した幻だったこと……。
MOTHERというゲームが1989年の時点で世に出たことは、日本のRPGの歴史に決定的な影響を与えたと僕は思っている。
ゲーム界全体をみると、「お父さんなゲーム」は出回っているけれど、僕は「お母さんなゲーム」を作ってみたいと思った。つまりあたたかくて、やさしくて、厳しくて、みたいな。そしてこのゲームを母体にして、次々に子供が生まれてほしいな、と。「マザーっていうゲームがあったよね。オレはあれやって育ったんだ」というヤツにゲームを作ってほしい。
(糸井重里、『ネスの冒険記』伊藤あしゅら紅丸との対談にて)
MOTHERは、文字通り「マザー」だった。
例えば、田尻智がつくった「ポケモン」がそこから生まれてきたように。