グランブルーファンタジーのガチャが炎上した。
ソシャゲ業界がガチャ儲けていたのは前からだけど、グラブルは宣伝されていたガチャのレア排出率と実際の確率が違ったから、ものすごく問題になっている。
グラブルはやり過ぎたし、詐欺として罰せられてもおかしくはない案件だと思う。
しかし根本的な問題は、なぜ人がこれほどガチャにハマるのかということだろう。射幸心を煽るから……みたいな定型文で看過できないくらい、その問題は大きい。
70万つぎ込んだのに目当てのものが出なかったというのが今回の問題だが、そもそも70万もソシャゲガチャに使おうと思ってしまうことが大問題だ。
なぜ人は、数十万、数百万使ってガチャを回すのか?
オンラインゲームのレアアイテムやレベルアップに何ヶ月も時間を費やしてしまうのか?
「それにかける金や労力を、社会的成功に向けての努力や抱えている問題の解決など、生産的なものに回すことはできないのか?」という疑問が生まれてくるのは、不自然なことではないだろう。
どのような理由で、ガチャがそれほど人を惹きつけるのか?
ガチャを回すユーザーは、確率の恩恵を享受し、確率への信仰を育てている。
コミットと結果のわかりやすさと安心……これだけお金をかければ期待値としてこれだけのものが手に入るという関係が明白であるという仕組みが「ガチャ」であり、「確率」そのものが立派なコンテンツになっている。それは裏返して、世の中の大半の難事は確率で表すことができないということでもある。
僕達が直面するような問題……どういう職を選ぶか、どのようなキャリアプランを描くか、どういう人間と付き合うか、だれと結婚するか、それとも独身でいるか、子供は作るかどうか……みたいなものは、「確率」で表現することができず、入口と出口が明確ではない、常に不安と理不尽がついてまわる問題だ。
確率で把握できる領域は広がり続けているし、それが良いことであるという教育を受け続けてきたにも関わらず、個人的な問題については回答が与えられない。従来の伝統が自分の進退を決めてくれるわけでもなくなった。
現代人は、確率で把握できない未知の領域を歩み続ける不安を常に抱えていなければならず、実際に多くの人がそうやって生きている。
一方で、色々な理屈をつけて、人は安心を求める。
自己啓発とかライフハック的な言説の多くは、単純な因果関係で物事を把握できると錯覚させる仕組みになっている。その種のものは、読み終わった後は気持ちよくなったり何かを理解した気になるけど、どこかで破綻をきたす。自己啓発の書き手の多くは、リタイアしてたりパトロンがついてたりと、もうプレイヤーになる必要を迫られない人間だ。
多くのことは確率では把握できないのに、確率の問題だと錯覚させるビジネスは多く、その種の混同が悲劇を産むことも多い。このようなご時世において、「確率」で表現されているということは、ゲーム内の資産という無根拠なものを多くの人がありがたがる程度にはありがたい。
「確率」で示されているもの自体に価値があることを、まずは認めるべきだろう。
目当てのものを手に入れる確率が、アイマスのガチャのようにどれだけ厳しいものであったとしても、それが確率で表現されている時点で、現実の人間関係よりはずっと希望があるかもしれないし、少なくとも不安や理不尽を感じなくて済む。(低確率で入手できることがその価値を担保するというトートロジカルな関係ですらある。)
それがスマホの画面にドットで表示されるイラストに過ぎないことは、さすがにみんなわかっているはずで、その過程にある「確率」への信仰がおこっている。そうであるなら、恣意的に確率が変更されていたという今回のグラブル騒動が消費者の怒りを買うのももっともだ。
さらに、「確率」を享受する仕組みはゲームと相性が良い。それは仕様上の問題でもあるが、もともとゲームというメディアが、人間が何かをやろうとするときにつきまとう冗長さを縮減するものだからだ。指先を動かしさえすれば、後はプログラムがすべての処理と演出を実行してくれる。至れり尽くせりだ。
じゃあどうすればいいのかという話だけど、自分がガチャを引かないようにするくらいしか対処する方法はない。そもそもソシャゲの位置づけは娯楽のためのコンテンツであり、ガチャ規制が現実的だとも、規制をするべきとも思わない。
しかし、まず認識として重要なことは、普通に生活していて直面する問題の多くは確率で表現できない種類のものであることと、その反動としてガチャのような「確率」が娯楽の内容になっているということだ。
変な話だが、僕のブログへのメールやDMで一番多いのが「記事を読んでソシャゲ辞めれましたありがとうございます!」みたいなやつだ。別にそういう記事を書いているつもりはないんだけど。
確率が娯楽になってしまうのはやむを得ないとしても、娯楽に使うべきでない額を使って生活が破綻してしまうのは問題だろう。何らかの理解を自分の中に持っていることで、踏みとどまれるということもあるかもしれない。
このブログを読んで何か得るものがあったのなら幸いです。
過去にゲームについて書いた記事。もっとちゃんと説明してる。長いけど興味があるならどうぞ
↓