「成功」した事例の共通要素を抽出して「こうすれば成功する!」という方法は、楽にできるしわかりやすいので、自己啓発書やコンサルなんかがよく使いたがる。しかしその「成功」は、同じ方法をとった大勢の中から偶然成功したもの、つまりジャンケン大会やビンゴ大会の優勝者に、その勝利の秘訣を聴くようなものだったりすることが多い。
多くの人が自分の成功の理由と方法を喧伝したがるのに対して、「なぜ失敗したか」は往々にして闇に葬り去られる。失敗とは恥であり、世間に晒される前に隠したくなるものであるからだ。だからこそ「なぜ失敗してしまったのか」の事例研究の価値は高い。大東亜戦争という日本の巨大な「失敗」に目を向けたのが『失敗の本質』という名著である。

- 作者: 戸部良一,寺本義也,鎌田伸一,杉之尾孝生,村井友秀,野中郁次郎
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1991/08
- メディア: 文庫
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84年に書かれた本だが、バブル崩壊など日本企業の失敗が目立つごとに引用され、3.11の機にも注目を浴びた。そして個人的には、2020年東京オリンピック・パラリンピックこそ、この本で示された「失敗」が最も当てはまる事例なのではないかと考えている。
本書は、ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄県戦という6つの事例における日本軍の行動を詳細に分析し、それぞれの戦闘に共通する「失敗の本質」を抜き出そうと試みる。
あいまいな戦略目標
いかなる軍事上の作戦も目的が曖昧では必ず失敗する。そもそも「作戦」は統一された明確な目的がなければ成り立たないものだが、日本軍では曖昧な目標に基づいた作戦というあり得べからざることがしばしば起こった。
例えばミッドウェーの作戦目的は
ミッドウェー島を攻略し、ハワイ方面よりする我が本土に対する敵の機動作戦を封止するとともに、攻略時出現することあるべき敵艦隊を撃滅するにあり
という多義的で不明確なものだった。そのような曖昧さは日本軍の作戦の至るところで見られる。目的が曖昧なまま個々人の希望的観測に基いて戦略が組み立てられ、明確な目標に基づいて戦争全体をできるだけ有利なうちに集結させるグランドデザインが欠如していた。
これを2020年東京五輪に当てはめると、オリンピック誘致という目標が明確に定まっているときは成果を出すことができたが、これから実際に開催するオリンピックは、何をもってして成功とするかも合意がなく、目的が漠然としていて、個々人の希望的観測が入り交じっている。何の根拠もなく、オリンピックさえ開催すれば日本は良くなる、という曖昧な見通しに基づきながら、こうするしかないという形で話が進んでいるのではないか。
短期決戦の戦略思考
日本軍の戦略志向は短期的性格が強かった。攻撃を有利に進めても相手のタンクや工場などの施設に手を付けず引き返したり、補給・兵站を軽視して大人数の兵士を病気や餓死で殺してしまった。また、短期的で直接的な戦闘力を重視しすぎ、情報や諜報活動への関心が低かった。
これは日本軍の特徴が短期的視野だったというよりも、第二次世界大戦より前の戦争の常識が「短期戦」にあったことに由来する。長期的で総合的な戦争は第二次世界大戦から主流になったものである。そのような新しい常識に軍を適用させようという意見も持つ者も当然いたが、それは軍内に行き届かなかった。
日本軍は日露戦争での成功体験から離れることができず、新しい時代の常識に適応できなかったが故に、相手の戦力を削減するチャンスを逃し、大量の人員を戦闘以外のところで失ってしまった。2020年の東京五輪は、64年の昭和五輪から離れて、新しい時代に適応できているのだろうか。
空気の支配
この特徴は、現代に生きる僕達が聞き飽き、嫌というほど実感しているものであると同時に、当時の日本軍の分析が現代を知る上で無視できないものであることを意味する。
日本軍は精神力を頼りにした「必勝の信念」「神明の加護」「能否を超越し国運を賭して断行すべし」という言葉を振りかざしたが、それらを具体的な方法論にまで詰めることは一切しなかった。
政府やマスメディアが一斉に「オリンピックをやるのはいいことだ」と断言し、SNSなどを見ていれば難色を示す人も当然ながらいたのだが、メリット・デメリットに関する具体的な試算などが何もないまま、日本はオリンピックを誘致すべきという空気に支配されていった。
アンバランスな戦闘技術体系
日本軍の技術体系は、ある部分は突出してすぐれているが他の部分は絶望的に立ち遅れているといった、バランスの悪い一点豪華主義だった。その典型例が「零戦」や「戦艦大和」だ。
「零戦」の戦闘力は間違いなく世界最高水準のものだったが、その材料である超々ジェラルミンの入手と加工が困難だったために、大量生産体制が確立できずに次第に消耗していった。「大和」は日本の建艦技術の粋を集めた巨艦であり、その主砲は最大で四万メートル(東京-大船間ほどの距離)の射程を誇ったが、遠距離砲爆に必要なレーダーの性能が悪く、それと連結した射撃指揮体系も立ち遅れていたために、持てる力を発揮することなく海に沈められた。
豪華なアーチを持った国立競技場は戦艦大和に似ている。わかりやすく豪華な箱物を作っても、交通や宿泊施設や観戦方法とそれを有機的に結びつけるという発想がない。競技場なんかに金を使うくらいなら都内に無料のWi-Fiを整備したほうが安上がりで観光客に喜ばれるし五輪の後も国民の利益になるという意見も見られたが、まず注目が集まるのは豪華な建築である。
長くなりすぎるので割愛するが、他にも、狭くて進化のない戦略オプション、人的ネットワーク偏重の組織構造、属人的な組織の統合、学習を軽視した組織、プロセスや動機を重視した評価、というものが指摘されている。どれも頷ける話である。
本書では日本軍と米軍との比較が表にしてまとめられている。
項目 | 日本軍 | 米軍 |
---|---|---|
1 目的 | 不明確 | 明確 |
2 戦略志向 | 短期決戦 | 長期決戦 |
3 戦略策定 | 帰納的 | 演繹的 |
4 戦略オプション | 狭い | 広い |
5 技術体系 | 一点豪華主義 | 標準化 |
6 構造 | 集団主義 | 構造主義 |
7 統合 | 属人的統合 | システムによる統合 |
8 学習 | シングル・ループ | ダブル・ループ |
9 評価 | 動機・プロセス | 結果 |
(本書338P 表2-3 日本軍と米軍の戦略・組織特性比較より)
ここで重要なのは、上で示した日本軍の特徴が必ずしも悪いわけではなく、むしろ場合によっては良い効果を発揮するということである。例えば
①下位の組織単位の自律的な環境適応が可能になる。
②定型化されないあいまいな情報をうまく伝達・処理できる。
③組織の末端の学習を活性化させ、現場における知識や経験の備蓄を促進し、情報感度を高める。
④集団あるいは組織の価値観によって、人々を内発的に動機付けて大きな心理的エネルギーを引き出すことができる。
などを長所として挙げることができる。そしてそれらは短所と対になっている。
日本軍最大の失敗の本質
日本軍は特別に腐敗していたわけでもなかったし、全体的に士気が高く勤勉で真面目な組織だった。しかし、環境の変化に合わせて自らの戦略や組織を主体的に変更することができなかった。その理由は過去の成功への「過剰適応」にある。本書で結論づけられる「日本軍の最大の失敗の本質」は、逆説的だが、成功しすぎてしまったことにある。
日本は日清・日露戦争で、非西洋国でありながら国際社会の主要メンバーの一つとして認知されるほど劇的な成功をおさめた。そして、第一次世界大戦という近代戦に直接的な関わりを持たなかったが故に、過去の成功体験を見直す機会がなく、組織の「過剰適応」が始まる。
日本軍は、日露戦争時のパラダイムのまま、それを突き詰める形で成長しようとした。例えば「零戦」は、これまでの固有技術を極限まで追求し、ぎりぎりまで軽量化することで生まれた代物だ。白兵戦や砲撃技術の見事さでの勝利体験は、時代とともに神聖視され精神論に結びついた。
日本軍は時代の変化に合わせて過去の成功体系を捨て去ることができなかった。古いパラダイムのまま新しい時代に対応しようとした。これこそが最大の失敗の本質だと結論づけられる。
東京五輪と失敗の本質
以上で述べてきた分析に従うなら、東京五輪は大東亜戦争の破滅的な前例をそのままなぞろうとしているかに見える。日本という国が足並みを揃えて取り組まざるをえない久方ぶりの国家的事業だが、テレビが珍しかった64年と違い、インターネットでマスメディアの優位性さえ崩れ、既存の産業の枠組みが崩壊して失業と社会的不安が増大し、少子高齢化で今より未来が良くなるというビジョンも描けない。
2020年東京五輪に、高度成長期のパラダイムを脱した新しい価値観は見つかるだろうか。過去の成功体験にしがみついたまま、合理的な算段もなく、ただなんとなく良くなるのではないかという空気の中で、オリンピックが誘致されたのではないか。
64年と変わらない土建政治の理屈、マスメディアの特権意識、空気と精神論とノスタルジーと根拠のない期待、間に合わないかもしれないスケジュール、低いとは言えない確立で起こる首都直下型地震、日露戦争から大東亜戦争における日本軍とのアナロジー。フラグ立ちまくりですよね…。
アンチオリンピック勢は何をすればいいのか?
僕は2020年の東京五輪が上手く行くものだとは到底思えない。土建政治とマスメディアの利権と老人のノスタルジーに付き合わされるのはうんざりだ。しかしオリンピック開催は、それが目的だった人達の思惑通り、「もう決まったこと」になってしまった。オリンピック反対デモをやったりオリンピック会場を破壊するテロを画策するのもそれはそれでいいと思うけど、あまり生産的な試みとは言えない。
仮にオリンピックは大失敗するだろうという予測が自分の中で立っても、それを主張するのは望ましくない、と僕は思っている。悲劇的な予言を口にすれば、その予言に縛られるように、自ら破滅的な未来を望むようになってしまうかもしれないからだ。未来を定める変数にはこれからの自分自身の行動も含まれている。「この先には絶望しかない」というのは厨二病か老害の言葉だ。未来を予測した時点で、僕達はそれを変える可能性も手にしている。

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裏オリンピックを開催しよう
日本を破滅に追いやる可能性を孕み、さらに目前に迫ったオリンピックに対して、それを今更阻止しようとすることは生産的ではない、というところまで僕達は追い詰められている。それに対抗する提案の一つとして、「裏オリンピック」の開催というのはどうだろうか?
日本のコンテンツ文化は、反権力、反マスメディアという場所で花開いた。それはインターネットというインフラによって海外に伝播し、評価の高まりを見せている。TPPの著作権非親告化で見せつけられたように、国家的な事業に本来の日本のカルチャーが入り込む余地はない。そこで、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの裏側で、漫画やアニメなどのコンテンツをベースにした裏オリンピックを開催しよう!

- 作者: 平本アキラ
- 出版社/メーカー: 講談社
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学校という逃げ場のない空間と、スポーツという暴力、それに与えられる女子達の歓声。あるいは、肉体的魅力を振りまくことを求められる場所と自分との距離。日本のコンテンツ文化には、それらに対する恨みがある。
オリンピアの祭典では詩の共演も行われていたという。華やかな現実に馴染むことのできない非モテ達の屈辱と憂鬱と倦怠に捧げられるのは、やはりジャパニーズ・HENTAI・カルチャーこそが相応しい。それこそが2020年の日本でやるべきことではないのか。漫画、アニメ、カラオケ、ボーカロイド、MAD、ゲーム実況、コスプレ、HENTAIなどなど、各国の自主制作コンテンツをインターネット上に集めて、世界的に競わせよう。
この案は、本来のオリンピックを否定せずに、それと競い合うことでオリンピックを利用する試みである。「オリンピックは失敗に終わる最悪だ日本は終わりだ」というネガティブな意識を「俺達で本当のオリンピックを越えてやんよ」というポジティブなものに変更する。単なる反対運動に終わらずに、やりたい人たちで自主的にやることができるし、オリンピックという機会を、世界的なジャパンカルチャーの祭典を初めて開催するきっかけと捉え直すことになる。
本来のオリンピックが成功すればなお良いし、仮にオリンピックが燦々たる結果に終わったとしても、むしろこれからの新しい日本の価値を示すきっかけになる。オリンピックをダシにして盛り上がるイベントであるのと同時に、オリンピックが失敗してしまったときのセーフティーネットとしての役割を持つ。
夏コミもオリンピックで無くなってしまうことだし、どうせなら裏オリンピックをやろう。WiMAXの事例であったように、誰かが動けば、そこから大きな運動が始まるということもあり得る。主要なコンテンツは全部インターネット上でいつでも見られるという形にすればいいし、現地に行かなくても世界中の皆が参加できて盛り上がれるイベントがいい。コミケみたいにボランティアで人を集めても、多くて数千人、少なくても数十人いれば運営が成り立つのではないだろうか。
オリンピックの絶望感を考えるにつれ、ますます裏オリンピックやったほうが良いような気がしてくる。5年後は僕も29歳だから、たぶん今よりも色々と動けるように成長していると思いたい。
まあ冗談みたいな話なのですが、東京五輪は失敗する!みたいな主張で話を締めるのは良くないと僕は思ってるのでね。もし「裏オリンピックマジでやろうぜ!」という方がいましたら「bunjinsyobai@[あっと]gmail.com」までご連絡ください。裏オリンピック設立委員会を発足しましょう。
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