しばらく連載っぽくやっていた一連の記事のまとめです。要約つきでどうぞ。
ゲームは、入力から出力までの時間が短く、入力に対して出力が誇張され、自分の外部に確信があるという働きによって、誰でも「成功」することが可能になっている。
過去の名作のストックから、素人が趣味でつくりだしたものまで、限りある人間の可処分時間に対してコンテンツが過剰供給されているし、その多くは無料か、とても安くなっている。今までのようにコンテンツそれ自体を売るのは難しくなってきている。基本料金無料から収益を回収できる仕組みが必要。
米国のハリウッド型産業は、一作品あたりの制作コストが高く失敗できないので、プロフェッショナル主義で大多数の共通項をさらう作品になる。漫画を始めとする日本型コンテンツは、一作品あたりの製作コストが低く個人でも作れるので、ニッチな需要を狙ったものが作りやすい。
4.消費者が買い支えることで成り立ってきた日本のコンテンツ産業
小規模なものが多い日本型コンテンツ産業は、参入が容易で、コンテンツの流通や評価に権威が働きにくい。それぞれの作品が「同じ高さ」にあり、コンテンツの優劣を決める根拠が定められないとき、力を持つのは「自分は何が好きなのか」ということだった。そのため、一人一人の消費者が作家を買い支える文化が根付いた。
制作過程ではなく流通過程を支配するのがハリウッドの仕組み。確実に成功する場を整えることで、金と人材を集める。徹底的なプロフェッショナルを求めるハリウッドでは、制作に関わること自体がすごいことであり、成功が保証された場所に入るために一流の才能が競い合う。
ハリウッドと日本型産業は特徴がかなり違うのに、日本がハリウッド的な方法を見習うのは間違っているんじゃないかという話。日本の場合、小規模で数の多い一つ一つの作品をピックアップする形で支援するのは難しいが、プラットフォームを支援するやり方なら不可能ではないのかも。
日本のコンシューマーは、ハードのスペック上昇により、ハリウッド化(=プロフェッショナル化)している。新規参入、二次創作、コラボが盛んな日本型コンテンツの土壌から離れていくと厳しくなってくる。
洋ゲーは現実にあるものをゲームに表現するシミュレーション志向。操作は難しかったり複雑だったりしても、現実にあるものの再現しているので、その意味ではわかりやすい。和ゲーは抽象されたものをゲームで表現する。子供向けに作られていることから操作は簡単だが、現実から離れたものを扱うという意味でわかりにくい部分がある。
「ポン、ブロック崩し→インベーダー」、「ウルティマ、ウィザードリィ→ドラゴンクエスト」の流れに、和ゲー的な文脈が生まれる最初の発想を見ることができる。
10.日本の国民的なゲームは、ドラクエ、モンハン、パズドラです
日本で大人気だが海外ではそれほど人気のないドラクエ、モンハン、パズドラに共通しているのは、「ぬるま湯に浸かっているような努力」。
ゲームバランスとゲームの自由度はトレードオフになるところがある。和ゲーはバランス調整重視。現実を模した洋ゲーは自由度が高いがまとまりが悪いことが多い。
細かな調整と摺り合わせが求められる職人芸は、日本のゲーム産業にも生きているのではないか。和ゲーメーカーに特徴的なのは「会社」で作っていること。任天堂やカプコンは閉鎖的だが、そのぶん職人的な作品をつくれる。
13.日本のRPGとは何か?
JRPGは、模倣すべき実態から数値のみが抽象されている。目に見えるものと数値が切り離されているからこそ、様々な世界観の表現が可能になった。
14.ゲームは冗長さを縮減する
現実の冗長性を縮減することで、それがゲームになる。
ゲームの仕組みの一つは、誰でも「成功」することが可能になること。ゲームの世界の中に限ってはみんなが成功、勝利することができる。
ソーシャルゲームの仕組みと、少年漫画の連載の仕組みには共通点がある。
ゲーム内における選択肢が横軸だとすれば、ソシャゲにおける「時間によって回復する資源」、「期間限定イベント」は、縦軸としてのゲームの広がりをもたらした。そして、その発明は現実とゲームの世界を結びつける。
18.ソーシャルゲームは日本のコンテンツ文化を味方につけている
多くのソーシャルゲームに共通している、「クエスト」「モンスター」「レベルアップ」「ガチャ」のような仕組みは、ゲームを作る際に無視できない「フォーマット」のようなものになっている。それは、歴史を遡ってみれば、日本のコンテンツ文化の流れを味方にした、優れた収益ツールであることがわかる。
日本のソシャゲは、他プレイヤーとのコミュニケーションによって発生するものをあまり重視しない。しかし、自分の欲望を満たすための自己完結したゲームであるという点では閉鎖的だが、その欲望の根拠が他者に依存しているという点では「ソーシャル」だ。
ソシャゲのフォーマットを、ゲームシステムではなく「ツール」として捉えることで、娯楽以外にも様々な応用が考えられそう。
誰でも動画を投稿できるようになって、ゲームは個人のタレント性を見せるための有用なツールになっている。
「機能」が価値を保証してくれたわかりやすい時代が終わって(=不可能になって)、多くの若者の感心事が、価値に明確な裏付けを持たない「コンテンツ」になりつつある。
ネット上で発された他罰的な言葉は、その成り立ちからして、その発言の対象となる人間には届かず、言葉を必要以上に受け止めてしまう人を傷つけてしまうことになりやすい。
クソ記事。
「何が嫌いかより 何が好きかで自分を語れよ!!!」(ドン!!!!)
「素人の最高値>プロの平均値」になっていくので、レギュレーションを作りにくいコンテンツの世界ではプロは素人に勝てなくなる。
近年のアイドルや声優は、実態がありながら二次元にもなっている。生身の人間から、「かわいい」や「美少女」という概念が抽象され、それが消費される。デフォルメやJRPGの手法と同じ流れにある文化。
悲しみ。
短い時間で目を惹くような動画を投稿するのは、一見自由なように見えても、グローバルスタンダードに似たある種の最適化になっている。プラットフォームには多様性が必要で、YouTubeの一人勝ちというのは良くない。
「パッケージ販売」「アイテム課金」という収益モデルの他に、「ユーザー間のお金のやりとりを促進してマージンを取る」やり方も考えられる。特に、大規模な制作コストが必要になるコンシューマーゲームはそれに適している。
日本のコンテンツにおいて「学校」は、漫画やアニメやラノベの舞台になるだけでなく、ゲームにおいても、システムのより深い部分で強く影響を与えている。
日本型コンテンツの「逃げ方」は、現実のある要素を延長して抽象化する。また、それは「強さ」や「女の子」など、低俗なものを消費するような文化だった。コンテンツの価値が高まってきている現在、そこから培われてきたソシャゲやアイドルなどのフォーマットが、もっと現実のあらゆるものと結びついていく未来が想像できる。
反省会
くぅ〜疲れました。全部で32回、合計するとけっこうな文字数ですね。
連載っぽくやってみたかったんだけど、途中でかなり休んじゃった。これが僕の限界なのでしょう。最初はもっとかっちり書くこと決めてやろうと思ったけど、だんだんどうでもよくなってくるんだよね。前後の繋がりはほとんどないけど、一つ一つのトピックはそれなりに独立してるので、気になるものだけ読んでもらえればいいかと思います。
なんとなくのテーマのようなものは自分の中にある気がしていたんだけど、実際に書いてみると知識も筆力も全然足りない感じ。また機を改めて挑戦してみたい。
でも連載形式って、後から見返しやすいし、終わるとなかなか充実感がありますね。これの他にも、「インターネットについて」「仕事と社会について」「恋愛について」などなど、連載形式で書きたいことは色々あります。気が向いたらやるかもしれません。
それでは、今後ともよろしくお願い致します。
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