日本の漫画やアニメやゲームは、逃避先としてのコンテンツの機能を強めてきたのではないかと思うことがある。二次元はある種の欲望を抽象化して、自由に消費できるようにした。強さを数値として抽象するRPGは、「努力」や「成長」や「成功」をメタファーにして、ボタンを押すだけで無限に強くなっていく世界観をベースにしている。
ようは「俺TUEEE」であって、さらに、「ずっと遊べる」という永遠への指向が、それなりに魅力的であることは言うまでもないだろう。
このような、RPGにおける「ずっと努力してずっと成長」のベースになる部分は、おそらく少年漫画から持ってきたものだ。ドラゴンボールに出てくる悟空とかベジータって、ずっと修行してる。特に倒すべき敵がいないときも、働かずに、ひたすら強くなろうとする。これって、オンラインゲームやソーシャルゲームとやってることが同じだよね。
ソシャゲ厨は悟空やったんや!
強さが数値として抽象化されていること。見た目や機能と強さの相関が見られないこと。このベースには、鉄腕アトム、聖闘士星矢、ドラゴンボールなどの流れからくる、漫画作品の影響があったことは間違いない。
鉄腕アトムは、小さい身体ながら、巨大なロボットを倒す。聖闘士星矢は、細身の少年がただ手を突き出しているだけに見えるポーズに、宇宙を揺るがすほどの力が込められている。
ドラゴンボールは、必ずしも魔人ブウを倒した時点で終わる必要はなかった。見た目や機能と強さが結びついていないのだから、次に出てくるさらに強い敵を用意することはそれほど難しくない。(この場合は作者の限界が来た)
少年漫画が、ゲーム以前に、次々と新しい敵を作り出していくフォーマットを確立していたわけだが、これは発表する場所が「連載」という形式をとっていたことと無関係ではないだろう。
まずは打ち切られないように、柄が面白いものを打ち出して、ストーリーを伸ばしていく。もちろん最初からストーリーを主体にしたものもあるが、少年ジャンプの王道とされる、「友情、努力、勝利」というスローガンは、かつての敵が仲間になり、それよりも強い敵が出てきて、そいつを倒すために努力して勝利する。その繰り返しを指向している。
だらだらストーリーを引き延ばしている人気連載は少なくない。だがそれ以前に、引き伸ばす必要すらなく、継ぎ足しが簡単なのだ。
「NARUTO」が完結したよね。岸影様の次回作に期待したいが、NARUTOという作品の後半が、(前半に比べれば)退屈だったことは否定できないと思う
終盤は能力のインフレが起こって、一人一人のキャラクターや技の価値が薄まった。強力な技が出ても「まあそんなもんか…」という感じで、あとは消化試合に過ぎなかった。しかし、こういうインフレは、NARUTOが優れた漫画だからこそ起こったことだ。
NARUTOの場合、キャラクターや技の背景と根拠がしっかりしていたからこそ、終盤になるにつれてインフレしていった。それが避けられなかった。(ジョジョはリセットすることでこれに対処している)
まあとにかく、多くを説明するまでもなく、NARUTOは少年漫画の中でも異質なくらい良く出来た漫画だったということ!

- 作者: 岸本斉史
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その点「ONE PIECE」は、戦闘描写とか設定とかにそれほど頭を使ってないから大丈夫。蓄えておいた強いやつらを順番に戦わせるだけで神展開だろう。(ただ、安易な方向に行かずに物語のほうに比重を置いているのが尾田栄一郎のすごいところ)
あと、BLEACHはもっと大丈夫!千年決戦編で完結するらしいけどね。