子供は自分で正しいものを選ぶ能力がないから、子供の買うものは親が選ぶ、という考え方をする国や文化圏は多い。日本にもそういう家庭はあるだろうけど、なんでもかんでも親が決めるのはよくないという意見を持っている人のほうが多数派だろう。
日本の子供は、小学生の頃から、どんな漫画を買うか、どんなゲームで遊ぶかを選ぶことができた。
同列に並んだ作品の中から、自分の好きなものを選ぶという文化。
ウィナーテイクオールではなく、それぞれの作品が同じ高さに並んでいるということ。もちろんその中で突出した人気を持つようになる作品はあるが。
漫画、アニメ、ライトノベル、ゲーム、それぞれのジャンル自体に優劣をつけたがる人はあまりいないだろう。ライトノベルを原作にした漫画、アニメを元ネタにしたゲーム、漫画を元ネタにしたアニメなど、日本はメディアミックスが盛んだ。
リスクの分散、マーケティングの効率化など、お互いにメリットのあるコラボを実現する製作委員会方式で、様々なメディアミックスがおこなわれてきた。
日本のコンテンツは、漫画もアニメもゲームも、それぞれが同じ高さにあった。同じ階層にあることが決定的に重要だった。そこには優劣を定める根拠も権威もなく、だからこそ、大切なのは「自分は何が好きなのか」ということだった。
消費者が自分の好きな作品を買い支えることによって、日本のコンテンツ全体が成り立ってきた。
消費者が「買い支える」ということ。実際に買う側にはそんな意識はなかったかもしれないが、結果的にそうなっていた。金銭を介さずとも、少年誌のアンケートなどはそのような役割を果たしてきた。少年ジャンプは徹底的なアンケート主義で知られている。

バクマン。 コミック 全20巻完結セット (ジャンプコミックス)
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嫌いな人は嫌いだが、好きな人は好きで、自分の好きなものを応援する。1作品あたりの規模が小さいので、ある程度手に届く範囲で作品を支援することができた。小学生のお小遣いのおかげで作品を作り続けてこれたクリエイターもいるだろう。
テレビアニメなどは、テレビの放映料だけで製作費を回収できるわけではなく、DVDや関連グッズを売ることでリクープしてきた。ロボットアニメは、色んなロボットを出してその玩具を売らなければならないという事情が背景にあった。萌えアニメというのも、オタクと呼ばれる人達がDVDやフィギュアを買い支えてくれるからこそやってこれた。というより、そのような仕組みが確立したからこそ萌えアニメが流行したのだとも言える。
リクープを確実にするために萌え要素やエロ要素を入れなければならない事情もあっただろうし、逆に言えば、そこを踏まえておけばその他の部分では作者の創意を発揮できたのかもしれない。「魔法少女まどか☆マギカ」などの傑作も、そういう文脈から生まれてきたものだろう。
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少数のファンがグッズや限定品などを買って支えてくれるから、日本のコンテンツは存続できている。それら一つ一つが積み重なって、かなりの規模の市場と文化の厚みになっている。大多数に売れる必要はないから、共通項をとる必要がない。だからいろんなチャレンジができる。それができるのは、日本のコンテンツ産業がそのような厚みをつくりあげてきたからだ。
コミケはそういう文化の最たるものだろう。また、作品だけではなく、製作者と消費者が同じ高さにいるということで、まさに日本型コンテンツ産業最大の美点と言っていいと思う。
日本の作品が海外で人気だ。クールジャパンだ、と言っても、今はインターネットで誰でも日本のアニメを見ることができるようになったから、需要の集約化が起こったと考えるのが妥当だ。もともとが10人に1人好かれればいい種類のものなのだ。国によって人気になる日本の漫画やアニメは全然違う。
コスプレしたり日本語を習ったりする外国人が多いと言っても、海外の大多数が日本の文化を好きなわけではない。和製コンテンツに顔をしかめる人だって多いと思う。
アニメの表現を規制しようとする人は「日本の文化は世界中から人気があるのに、グローバルスタンダードではタブーの表現ばっかりでけしからん!ハリウッドやディズニーを見習え!」という考えなのかもしれないが、その種の和製コンテンツが海外の大多数に人気があるというわけでもないし、ハリウッドなんかは最初から海外に売ることを目的としているからあんなにちゃんとやってるわけ。
今は世界的にユーチューバーが話題になったりと、個人で情報を発信しやすくなっているので、プロフェッショナルが作る大多数に売りこむための作品よりは、少人数低コストでつくって少数のファンがついてくれればいい、というモデルが増えていく可能性は高い。
例えば今僕が書いているこのブログにしても、まあ仕事と言えるほどの収益はなのだが、少数でも読んでくれる読者の方がいるというのは幸せなことだし、小規模の産業ってそういうものだと思う。無理に変なことをして目立つ必要もない。
もちろん、たくさんの人の目に触れれば、気に入ってくる人の数も増える。どんな偏屈なことを書いても10人に1人くらいは納得してくれる。明らかに釣りとしか思えない記事ばかりのブログにもそれなりの読者がついている。そんなものなのだろう。
何かを言えば、必ず誰かから応援されるし、そのぶん必ず批判もされる。ブログにしても作品にしても、明確なコンセプトを打ち出してファンをつくりアンチをつくっていくには、それなりに徹底したものが必要になる。そうやって成功するのが良いことなのかはわからないけど。