しっきーのブログ

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「NPO」という考え方:なぜ日本でNPOは嫌われるのか?

NPOに興味を持ったのは、大学でたまたま受けたある講義がキッカケだったりするのだけど、友達に「最近NPOに興味がある」って言ったら「大丈夫かお前?」と返された。

多くの人が、NPOを「なんか胡散臭くてよくわからないもの」と考えているのかもしれない。
たしかにNPOには、そう思われても仕方のないところがある。語義通りの「Nonprofit Organization(非営利組織)」とも限らないみたいだし。

僕がこの記事で「NPO」という考え方を紹介したい理由は2つある。

  • 1つ目は、日本人が社会問題について語るときにはある癖があって、それを認識するために「NPO」という考え方、視点はけっこう大事なのではないかと思うから
  • 2つ目は、ブログとかYouTuberで情報発信してる人達って、NPOとけっこう相性がいいかもしれないと思ったから

長めの文章なので目次を用意した。NPOが何かなんて知ってるよという方は、最初の2つをとばして「なぜ日本でNPOが嫌われるのか」から読んでみてほしい。

そもそもNPOとは何か

「NPO」とは、「今までなかったもの」「企業でも政府でもないもの」……みたいな感じの意味の言葉だ。
企業にも政府にも属さない何らかの活動をする集団をネーミングする必要に迫られて、つけられた名前の一つが「NPO」で、これが国際的に使われてる。

NPOという名称は失敗だった?

NPOやNGOという言葉があるが

  • NonProfit Organization:「企業」ではない組織
  • NonGovernmental Organization :「政府」ではない組織

と、既存のものを否定する形で定義している。つまり、「今までなかった新しいもの」に名前をつけるときに、「企業ではないもの」と定義したわけだ。
ちなみに、「NPO」と「NGO」は学術的には(一応の正式な定義としては)まったく同じ意味で、「NPO」にNGOが含まれる形になっている。

他にも
非営利組織、非政府組織、ボランティア団体、社会的経済、第三セクター、ソーシャルビジネス、社会的事業、社会起業家……みたいな言葉が色々とあるが、これらはすべて広義のNPOにあたる。
こういう種類のものをまとめて「NPO」と呼んでいるのだ。

あくまで個人的な意見だが、僕は「NPO」というネーミングがけっこう情況をややこしくしているのではと思ってる。少なくとも現在の日本ではあまりいい印象を与えない。「お金のためじゃない組織」ってわざわざ名乗るのはとても胡散臭い。
しかも、実際はNPOだからといって収益事業をしないわけではないし、色々と混乱する要素が多い。

発祥はアメリカで、それが日本に広まったのだけど、最近は「ソーシャルビジネス」「社会的事業」みたいな言葉が使われだしてもいる。ただ、ちょっと違和感を含むアルファベット3文字のほうがカッコイイみたいなこともあるし、ビジネスや事業を推すとニュアンスが違ってくることもあって、どう命名するかは難しい。

なぜNPOという言葉が必要だったのか

日本にNPOという言葉が広まったのは、95年の震災がキッカケだったと言われている。
阪神・淡路大震災の際には、のべ138万人の大学生や社会人が被災者支援に参加し、ボランティアのような活動が「特別な人が特別なことをする」ものではなく、わりと一般的なものになった。それを皮切りに、他のボランティア活動や社会福祉活動も活発になる。
日本では震災という緊急時に浮き彫りになったことではあるけど、「企業でも政府でもない草の根的な活動でしか解決できない問題ってあるよね」という認識が生まれてきたのだ。

  • 「企業」は、採算のとれないものには手を出せないし、例えばビジネスとして福祉を扱おうとしても、利益がでなくなれば撤退せざるを得ない
  • 「国家」がやろうとしても、柔軟性、創造性、問題発見力、資金などの面で、手の届かない課題はたくさんある

企業でも政治活動でもないけど、社会を良くするために、あるいは自分や身の回りの人の共益のために、組織をつくって何らかの活動をするのはおかしなことではない、と認知されてきた。

「草の根活動なら草の根で勝手にやってればいいじゃないか」となるかもしれないけど、何らかの活動を継続的にやるには「Organization(組織)」として認められないと不便なことが多い。
そして、そのような活動に「NPO」という名称が当てられたのだ。

NPO法人って何?

ボランティア活動などを「組織」として認める制度として、「特定非営利活動促進法(NPO法)」が、震災から3年後の1998年に施行された。
届け出を出せば誰でもNPO法人を作れるという法律だ。法人格を与えるだけで、税の優遇などは一切ない。
しかし、インフォーマルな団体・活動が「社会的な存在」という位置付けを与えられる意義は大きい。法人格が付与されると同時に責任も発生するが、NPOにおける「責任」とは、まずは情報公開である。何をやっているのかちゃんとわかるようにしろということ。

NPOの考え方

NPOの考え方は、企業と対比させてみるとわかりやすいと思う。

  • 企業は、儲かりそうなビジネスのアイデアを提示して、投資を募る
  • NPOは、社会や共同体を良くできそうなアイデアを提示して、寄付を募る

本当はもっと広い概念なんだけど、雑にわかりやすく説明するとこんな感じ。

認定NPO法人

2001年に創設された制度で、一定の基準を満たしたNPO法人をグレードアップさせることができる。
「認定NPO法人」になると、寄附金控除や優遇税制などを受けることができて、国のほうでもNPOを支援しようという感じになっている。少なくとも制度はちゃんと作られている。

ただ、政府にできないことをする団体の是非を政府が認めるのは矛盾してるという問題もあったり、制度が暴力団などの組織に利用されるみたいなこともある。満たすべき要件があるのだけど、頑張って穴を防いでいる。

長くなるので詳細は詳しく触れない。参考リンクを貼る。

認定とろう!NET byシーズ・市民活動を支える制度をつくる会 - 認定とろう!NET

認定制度について | NPOホームページ

日本のNPOの現状

内閣府のホームページで数字が公表されている

NPOホームページ | 内閣府

以下データと画像は内閣府ホームページを引用。


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まず、日本でも認定NPO法人の数は年々増えている。

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しかし、アメリカやイギリスと寄付総額を比較すると、日本のNPOが盛り上がっているとは言い難い。


冒頭にも述べたが、日本ではNPOという考え方が浸透していないのに加えて、何かしら偏見に近いようなものを持たれていると思う。
たしかに、社会的なイメージを隠れ蓑にして犯罪組織や政治団体がNPOを設立することもあるが、実際にはごく一部だ。
しかし、具体例とかじゃなくあくまで雰囲気として、なんとなく胡散臭い、という認識を持たれている気がする。

誰とは言わないが、Twitterである程度影響力のある人が、公然とNPOって胡散臭いみたいな発言をしているのも見た。どうしてそういうことになるのか、その理由についてこれから書いていく。今までは基本的な説明で、ここからが本題。

なぜ日本でNPOが嫌われるのか

まず僕は、「NPOが流行っていないから日本はダメ」と主張したいわけではない。「良い悪い」ではなくて、考え方や発想の違いだと思うからだ。

例えば日本では、原発反対の抗議を官邸前に集まってする。
それは、アメリカ人からすると「なんで政府に言うんだよ東電の前でやれよ」となるらしい。アメリカでは政府よりも企業のほうが強いと考えられているから「ウォール街を占拠せよ」となる。これは考え方の違いだ。もちろんそれは今までの歴史なり文脈から来ている。
日本において、官邸前に集まって抗議をするのは筋が通っていると思う。しかし、多くの日本人がそういう発想をするが故の問題は何か、ということについて述べていきたい。

フランスのNPO(アソシアシオン)

以下、『世界のNPO』第5章、久塚純一「NPOとアソシアシオン」を参考。

世界のNPO―人と人との新しいつながり

世界のNPO―人と人との新しいつながり

アメリカや日本での「NPO」にあたるものが、フランスでは「アソシアシオン」と呼ばれている。英語でassociationのこと。
アソシアシオンは、市民的な活動で、皆が届け出をするわけではないので詳細な実態は把握できない。ただ、90万程度のアソシアシオンがあり、フランス人の約3分の1が何らかの形でそれに関係しているとも言われている。

一方で日本は、最近になってだんだんと数が増えてきているものの、2016年時点で、認証された法人数が51,260、認定NPO法人数が972だ。フランスと比べれば圧倒的に少ない。
認証・認定数の遷移 | NPOホームページ

フランスでは、人々がアソシアシオンに多くのことを期待している
「薬物使用の防止」や「環境保護」については、「国」と「アソシアシオン」に対する期待は拮抗しているが、「消費者保護」「スポーツ」「高齢の親に対しての援助」に対しては、「国」に対する期待よりも「アソシアシオン」の役割を期待している人々の割合がはるかに高く現れている。
日本でこのようなことは考えられない。日本の場合だと、ほとんどが「国」に対する期待になってしまうだろう。

国と団体のコンフリクト

参考論文の内容を雑にまとめると、フランスの場合、医療保障や福祉などを、私的な団体や職業間の協同組合が連帯して担ってきた。そして、包括的な社会保障制度の普及過程において、「私的団体」と「国」との軋轢を経験してきたそうだ。
フランスでは、人々がお互いに連帯して助け合うという経験や組織化を経由し、それとの緊張関係のもとで国家による社会保障が構想されてきた。

つまり、「自分たちで集まって福祉を担うよ」というのと「国が一括で国民全員の面倒を見るよ」という考え方はコンフリクトしてしまう。そのような争いを経て、フランスでは国民の社会保障が出来上がってきた。だから、国家的な福祉制度が成立した後も、国民の間に「連帯」や「共助」という考え方が強く残っている

市民による社会的活動が根絶された経緯

一方で、日本では戦時動員体制時に社会的な活動が根絶されてしまった、という経緯がある。
セツルメント活動など、戦前は貧しい人々を支援しようとする社会奉仕事業がけっこう盛んだった。しかし、そのような社会活動は、国のあり方に疑問を持つ「非国民」的な思想に結びつきやすく、弾圧や規制の対象になっていった。
1938年の「社会事業法」という法律によって、社会事業をやるために届け出が義務付けられた。こうやって、市民活動はほとんど根絶させられてしまったのだ。

戦後は、GHQが「政府の統一的な責任」と「全国民に対する無差別平等の対応」を指示した。そして迅速に福祉の制度が整えられていくのだが、これはそれなりに成功したのだと思う。
しかしその弊害として、「社会保障や社会福祉は国や自治体の責務・責任である」という考え方が一般になった。
これ以降、日本において社会保障や福祉の問題は、「国民の権利」対「国の責務」という基本構造で語られるようになる。今もその延長にあることは、新聞やネットの言説などを見ていてもわかるだろう。

「国民の権利と国の責務」以外の考え方もある

これまで歴史的な経緯を述べきたが、何が言いたいのかと言うと、「国民の権利」対「国の責務」という二元論は、それほど普遍的なものではないということだ。上で例に出したフランスの場合は、その二つの間に「アソシアシオン(NPO)」が入る形になっている。

久塚純一氏の言葉を引用するが

「公」「私」の二元論でなく、「私」を活かして「公共」を形成し、それが「公」を開いていく、新しい「公共」の形成(「公」「公共」「私」の三元論)が必要となっている。

と彼は主張している。

これはかなり重要な視点だと思う。
下手な批判が相手を強化する枠組みに回収されてしまうということはよく起こる。質が低下したと言われるマスコミでも、「マスコミなのにこんな酷い記事を……」と批判される立場にいることによってマスコミたりえている、みたいな話だ。
社会福祉に関する何らかの問題に対して、すぐに「政府批判」へと向かってしまうその回路そのものが、二元論を強固なものにしていく
そして、「国民」と「政府」の二元論以外の発想に寛容でない人は多い。

2011年の東北大震災の際にも、たくさんのボランティアが駆けつけた。
それに対しての「2chまとめサイト(当時は全盛期だった)」の論調は、「素人は余計なことをせずに”わかってる人達(政府)”にまかせろ」みたいな感じだった。
自衛隊の人達は被災者のためにまともに仕事をしていて、とりあえず流行に乗ってボランティアに来た馬鹿が迷惑をかける……みたいな典型が、「女叩き」や「日本スゲー」みたいにわかりやすくパッケージされて人気が出ていた。
当時(民主党政権)の2chまとめサイトの論調は全体的に「政府は無能」だったが、同時に、市民や素人が公的な領域に手を出したときには「よくわかっている政府にまかせるべき」という話になる。そのような感覚が庶民的なものとして存在するのだろう。

日本では新しい「組織」が嫌われる?

以上まで述べてきたことに加えて、さらに日本のNPOには困難がある。それは、日本人は新しい「組織」を信用しないのではないかということだ。

これについては以前書いた記事があった。
日本の雇用は「身分制」 - しっきーのブログ

濱口桂一郎氏が指摘する日本の雇用や福祉のあり方に「メンバーシップ主義」というものがある。
これは、「所属」によって人の評価と信用が決まる考え方で、専門(何をやったか)ではなく大学名(どこに所属していたか)で評価される採用システムにも繋がっている。

福祉に関しても「家(あるいはそれに近いしくみの会社)」か「御上」か、の二元論で、昔は所属する企業に社会福祉などもくっていている形だった。今でも企業が社員向けに保育園を設置したりしてる。
こういう社会意識があって、自由な市民が連帯によって何らかの組織をつくり、福祉的な役割を担っていく……みたいなものを許さないと思っている人が多いのではないだろうか。

信頼性の高い「所属」が重要だから、NPOのように、所属に基づかない人達が新しく創る「組織」は、「胡散臭いもの」と思われてしまう
基本的に日本の組織は、部活とか社内サークルとか、所属に紐づく形で形成される。何らかの市民的な連帯に基づく組織ができても、悪意のない素朴な日本人の反応として「え…何でこんなことするの?」とか「なんかキモい」とか「裏で悪いことしてそう」という発想が出てきやすいかもしれない。

日本の仕組みが悪いと主張するつもりはないのだけど、NPOへの風当たりは非常に厳しい。しかしだからこそ、今の色んな行き詰まりを解決する可能性がNPOにはあると思う。

これから、参考として、プロジェクト型のNPOが成功しているアメリカの事例を見ていく。

NPOが盛り上がっている事例(アメリカ)

アメリカはアメリカで極端な例かもしれないが、けっこう面白い。
上で挙げたフランスの例が、市民の連帯を重視するやり方だとすれば、アメリカは目的を達成するためのプロジェクトとしてのNPOが成功しているといった印象を受ける。

NPOへのありがちな批判に「人の善意に頼るシステムは成功しない」というのがあるけど、NPOは必ずしも善意に依存しているわけではない。価値や社会問題への同意と寄付を集める形でアメリカの多くのNPOが機能している。

問題解決の手段としてのNPOが成功しているアメリカ

アメリカは、上で画像を出したけど、日本に比べてバカみたいにNPOの寄附金額が多い。
事業規模で見た場合、最もNPOが成功している国だろう。
寄附金に関する日米英の状況 | NPOホームページ

まず、アメリカではNPOの社会的地位が非常に高い。
「ティーチ・フォー・アメリカ」という教育系のNPOがあるのだけど、2010年の全米文系大学生の就職先人気ランキングで、GoogleやAppleを抑えて第1位だった。他にも影響力のあるNPOがたくさんある。

繰り返しになるが

  • 企業は、儲かりそうなビジネスのアイデアを提示して、投資を募る
  • NPOは、社会や共同体を良くできそうなアイデアを提示して、寄付を募る

というやりかたをする。そして、アメリカでは多くのNPOが寄付を集めて事業を展開することに成功しているのだ。

アメリカのNPOの成功の理由と日本が盛り上がらない理由

まず、アメリカの学生の就職先としてNPOが魅力的なのは、人材の流動性が激しい社会だからというのがある。そして、NPOで働いた経験が評価されやすい社会になっている
NPOで社会経験を積んだ後に良い企業に入るというキャリアが珍しいものではなくなっているし、企業とNPOがお互いに協調している。(それ故の問題もあるが)

次に寄付の多い理由だが、「寄付金控除」の制度があり、NPOに寄付すると、ある程度のある程度税額が控除される。
どうせ政府に勝手に使われるくらいなら、少し多めに支払ってでも、自分の支援するNPO団体に寄付したほうがいい」という発想だ。子育て支援に問題意識を持っている人はそういうNPOに寄付して、マイノリティの問題が気になる人はそういう団体に寄付する……みたいに形になっている。

注意したいのは、日本の認定NPO法人にも、税額控除の制度はちゃんとあるということだ。
わかる!寄附金控除 - 認定とろう!NET

しかも、控除の上限も所得の40%で、アメリカと比べてもそれほど低いとは言えない。
NPO の寄附税制の拡充について

それなら、なぜ日米で寄付総額にこれほどの開きがあるのか?
必ずしも意識の違いだけではなく、確定申告の仕方に大きな違いがある。アメリカでは、各人が会計士に頼んで確定申告をするのに対して、日本では「会社」が確定申告をやってくれる。社員にとっては楽な仕組みかもしれないが、NPOにとっては最悪の習慣だ。

このような面でも、「家族」や家族共同体な「会社」対「国」という、サードセクターの育たない二元論が強化されてきたと言えるだろう。

それでもNPOは社会に必要だ!

フランスやアメリカを見習うべきと言いたいわけじゃない。曲がりなりにも国民全員に健康保険を行き渡らせた日本の福祉政策はそれなりにすごいだと思う。
ただ、今はその仕組みの耐用年数が切れて、色んな問題が噴出している。そういうときに、政府に向かって「責任を取れ」とか「もっと頑張れ」と言ってもどうしようもないかもしれない。

何かが急に解決するような魔法は存在しないが、「NPO」という考え方は問題解決の糸口になり得ると思うし、にも関わらず日本にいる多くの人はNPOという選択肢を最初から除外しているように思う。
かく言う僕も、今まで全然深く考えたことがなくて、大学で受けた講義をきっかけに興味を持ったくらいだから。

政府にしかできないことは当然あるしそれは要求して然るべきだけど、今の枠組みだとどうしようもないだろ、ということも多い。

ブラック企業問題(長時間労働問題)

ブラック企業の問題は根が深い。色んなところで問題が取り沙汰されているが、それに憤って「労基はちゃんと仕事しろよ給料泥棒かよ!」みたいなことを言ってしまう人が、根っこの部分でブラック企業と繋がっているというある種の皮肉がある。
それを取り締まらないといけない労働基準監督官の待遇がブラックだったりするらしいし、消費者庁など他の政府機関にも言えることだけど、ちゃんとやろうとしても人員と制度には限界がある。
労働基準法を設定しても守られていない現状、「とにかく政府に対して声をあげよう」という意識自体がブラック企業的なものと繋がっているのだとしたら、それは「政府」と「企業」だけの枠組みで解決するのが難しい問題だと言えるだろう。「いや、だからもっと金かけて人員増やしてちゃんと取り締まって……」みたいな物言いこそがブラックなわけだから。

子育て層の支援

今、高齢者を優遇する政治が続いているとして、少子高齢化で子供の数は少ないので選挙の有利不利は覆らない、というのはそうかもしれないし、その仕組み自体はわりとどうしようもない。しかし、育児支援を担うのは必ずしも政府だけではない、という前提になると話が変わってくる。
今のような情況を放置したと見られている高齢者を責め立てる声は大きいが、仮に僕達が彼らと同じ時代に生きていたとして何かができたわけでもないだろう。今の高齢者世代は実際に裁量も自由も制限されていたのだし、それだけ国に救われるのは当然という気もする。
何らかの価値に対して寄付を募る形の「NPO」は、仮にそれが機能した場合「子育て」や「教育」は金が集まりやすい分野になると思う。そして、おそらく「介護」にはそこまで価値を感じて寄付する人は多くない。そうしたときに誰が高齢者の福祉を担うのか、ということを考えれば、やはり国の古い仕組みは尊重して然るべきだと思う。

NPOという可能性があるという事実はある種の人達にとって都合が悪い

そろそろ、僕達の世代が何をやってきたのか、ということを問われる段階に入りつつある気がしている。
これは不都合な真実なのだが、それほど認知されていないにしろ、すでにNPOの制度は整備されているし、そういうものが国に弾圧されるような時代ではない。実際にNPO法人は今の日本で増え続けている。今の日本で組織をつくるのは生半可なことではないが、すでに多く人達が積極的に活動しているのだ。

しかし、おそらくNPO的な公開性を持った社会的活動は、仮に世のため人のためになることをしていたとしても、認知されるほど理不尽に叩かれると思う。自分もそれにコミットできる、という道筋が示されると、とりあえず政府を攻めるといったことができなくなる。だから、日本においてその種のNPOを設立したり広めようとすることは、多くの人の利益に反することになる。

ざっとネットでNPOについて意見などを見てみたのだが、「NPO=税金泥棒」とか「非営利組織が税制の面などで政府に支援されるのは許せない」みたいなレベルの人がたくさんいた。

ブロガーやYouTuberはNPOに向いているかもしれない

ネット活動してる人って、「情報発信の手段」と「公開性」というNPOに必要なものを最初から持ってるし、誹謗中傷に対する耐性もあるだろうから、けっこうNPOと親和性高いと思う。
今の日本でも草の根的にNPOが発生することは多いけど、そういうところは情報を発信する手段を持っていない。
逆に、日本のNPOで大きく成功しているのはちゃんと宣伝できているところだと言われている。アメリカのNPOなんかはまず最初に広報を雇う。

現状はまず認知が足りないという段階なので、単純にブログなどで良いと思ったNPOを紹介していくような文化を作っていくだけでも、何かしら変わるものがあるかもしれない。

僕もこうしてブログやっているけど、商品紹介のPRと違って、普通に良いことをやっているNPOを無償でブログで紹介するのはほとんど何の負担もない。書くこと無くて必至にネタ探してるブロガーもいるくらいだし、そこらへんはマッチングしてもいいかもしれない。

連帯するだけでも価値はある

原発反対のデモの議論に際して、柄谷行人が「デモをすることによって、日本の社会は、人がデモをする社会に変わる」という妙な?理屈を使っていたけど、たぶん今の日本では、部活とかサークル以外の、市民的な集まりの公開性を持った組織をつくるだけで、けっこう意味がある。
「組織をつくることによって、日本の社会は、人が組織をつくる社会に変わる」みたいな。

「レールを外れてなんとなく行きづらい人達が集まって、同じような人に向けて情報発信する」みたいなやつでもいいし、「生き方とか働き方について考えていきたい」とかでもいい。
活動内容はブログで啓発とか、そのレベルでも、組織的にやるだけで大きな価値があると思う。
当たり前だけど日本的なべったりした組織である必要はないし、NPO登録しなきゃいけないわけでもない。

イケハヤはNPO支援してる

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実は、イケダハヤトはわりと早くからNPOに注目してるし支援もしていて、なんだかんだスゴイやつだなーと思う。

NPO(非営利組織)が次の社会を創る理由 : まだ東京で消耗してるの?

こういう活動に対して、「コイツが取り上げることでよりNPOの印象が悪くなるから逆効果だ」という批判があるなら、それには対抗していく必要があるだろう。
たしかにイケハヤは殴りたくなる顔をしているし炎上芸人だが、イケハヤのすべてを「社会の害悪」として切り捨てるような思考様式が蔓延することのほうが害悪だということは十分にありえる。

もっとNPOについて勉強したい

まだ全然知識とかお勉強が足りてないのだけど、一応興味があることなので書いた。
何らかの問題を解決するための方法としては十分選択肢に入ると思うし、個人的にNPOを支援することにやぶさかでない。
何かのキッカケでこのページを見て、NPO的な活動をしてるけど情報発信の手段がないので取り上げてほしい、みたいな方がいたらご連絡ください。無料で紹介します。ただ今忙しいので連絡するのは来年の2月以降にしてほしい。

あと、ビジネスから逃げるなという天の声が今聞こえてきた。中途半端な能力と展望で社会を良くしたいとか考えると殺されるのがビジネスの世界。それでもまだしばらくは「for profit」で闘っていきたい。
たぶんまたNPOについて何か記事を書く。

テキストブックNPO 第2版―非営利組織の制度・活動・マネジメント

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ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる

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