WELQからの一連の騒動で、MERYも非公開になってしまった。復活は望み薄。
MERYというメディアは、公式Twitterのフォロワーも16万以上いるし、アプリも500万DL以上だし、人気アイドルが表紙を飾る紙の雑誌も出てて、規模と人気で言えば国内トップクラスのメディアの一つだった。
僕も女子が普段何を考えて生きてるのかそれなりに気になって、たまに覗いてたりしてたぞ。
MERYを潰してネット民達はヒャッハー状態だけど、「MERYがなくなった先に何があるのか」という話がそろそろ出てきてもいいのではないかと思う。
MERYやDeNAパレットがやりたかったのは「商品紹介」なのでは?
MERYやDeNAパレットは、「キュレーション」のイメージを著しく下げた。言葉が被害を受けた形になる。
ネットという場所に膨大な情報が同列に並ぶなか、何らかの選定機能が必要なことに変わりはないので、良いキュレーションをする人がウェブに増えてほしい。
MERYが主張した、ユーザーも投稿できる「キュレーションプラットフォーム」というのは、ほとんど盗用のための言い訳だった。
SEOを狙う主要な記事の多くは雇われライターが書いているが、ユーザーも投稿できるプラットフォームだから、編集やメディアとしての責任は回避される形になっていた。
「キュレーション」は、MERYにとっては目的ではなく手段だ。不当にコンテンツを生産して、検索で上位表示されるポジションを獲得するための手段。じゃあ目的は何だったかと言うと、それは「商品紹介メディア」だと思う。
MERY……というかそれまでの女性誌全般の特徴なのかもしれないが、提携先の商品を紹介するのがメインコンテンツだったりする。
「検索順位」でも「人気」でもいいから、とりあえず「見られる立場」を確保した後は、ひたすら提携先の商品を紹介していけばいい。商品紹介をするYouTuberみたいな感じで。
それがコンテンツとして受け入れられるのであれば、運営からすれば願ったり叶ったりだ。
これについては創業者陣のインタビューなどを見るとわかりやすい。
MERYのコンセプトは「ほしいものが見つかる」だそうだ。
ちなみに僕は、DeNAパレット構想自体が、「商品紹介メディア」を量産するためのものなのではないか、という記事を以前書いた。
パクリキュレーションの「健全化」は、今までは「他人のコンテンツ」がリソースだったのが、「勝ち抜け」た後は提携先の商品がリソースになる、ということを意味しないでしょうか?
「勝ち抜け」は、提携先の商品をただ紹介していけるようなポジションを手に入れることで、実際にMERYはその域に到達しつつあった。
CEOの守安氏は、最初、「他の9つを非公開にしてもMERYだけはやめない!」という判断をした。結果的にこれは悪手だったと思うけど、儲かっていたからどうしても潰したくなかった、あるいは潰す決断ができなかったのかもしれない。
そりゃあ、ECとも提携して、広告をコンテンツとして認識してくれるユーザーを大量に抱えたメディアを手放したくはないだろう。
ここで、そもそも「商品紹介」に特化したメディアとは何を意味するのか、について書いていく。
広告とコンテンツと意識の高さカースト
これは話半分に聴いてほしいのだけど、コンテンツの意識の高さカーストというものを今僕が勝手につくった。
- コンテンツそれ自体が商品であり広告の対象(映画など)
- コンテンツを無料で流して、傍らに広告を載せる(テレビなど)
- 広告を売るためにコンテンツを作る(アフィリエイトなど)
もちろん、世の中のコンテンツはそれほど単純に分類できるものではない。
例えば日本のテレビアニメは、グッズ展開をあてにする、(1)と(2)と(3)が混ざったタイプで、映画もほとんど版権ありきでつくってたりする。これについて書くと長くなるので、気になるなら以前書いた記事などを見てほしい。
で、カーストと言ったけど、基本的には(1)から順に偉い。
つくったら金出して買ってもらえるクリエイターは一流だろうし、ひたすら商品紹介のために労力を費やす人のプレステージは高くならない。理想としては(1)がいいと多くのクリエイターは思ってるだろうけど、現実的な兼合いで、採算がとれるようにやっていかなければならない。
「これからはコンテンツ広告だ!」って言う人もいるけど、ようは今までのように(1)と(2)じゃやってけなくなったから、低きに流れざるを得ないね……ってことだと思う。
で、DeNAパレットやサイバーエージェントやリクルートがやっていたキュレーションメディアって、ある部分では見下されていたような、小規模のプレイヤーがほとんどを占める(3)の領域を、大企業が全力で狙っていく……というものだったのだと思う。
建前としては、オシャレで新しい感じの「キュレーション」が使われていた。
その窃盗まがいの方法は禁じられて、パクリキュレーションは軒並み潰れようとしているが、「大規模な商品紹介メディア」のコンセプトはまだ死んでない。需要があることはすでにMERYが証明してしまった。
MERYが消えた後の世界
MERYの記事が9割削除だって。見られなくなって……
— カツセ (@katsuse_w) December 2, 2016
好きだったのに無くなって寂しいという人もそれなりにいるんだろうね。
で、気になるのは、MERYにつぎ込まれていたガールズの膨大な可処分所得は、どこが奪うのだろう?
1. ブロガー、アフィリエイター大歓喜
大手プレイヤーが参入できないようになっても、検索で上位に表示されることに旨味がある情況は変わってない。
眼の上のタンコブが消えて、競合のLocariなんかは今頃パーリーしてるかもしれない。
あと、個人のブロガーやアフィリエイターも、検索上位を狙いやすくなるから嬉しいだろう。
でも、個人で書くものが良いとも限らないし、下手したらもっと酷くなる可能性すらある。
もちろんMERY等が非難されているのは、集団で盗用に近いレベルの引用をしていたからだけど。
キュレーションメディアが消えたらまともな記事が検索で上がってくるようになるのかどうかは、ちょっと気になる
2. 綺麗なMERYが現れる
MERYが問題だったのは、責任の所在を不明確にする著作権ロンダリングの手法だ。ECで商品を紹介することは問題視されてない。コストをかけても、クリーンな方法で今のMERYと同じことをできるだろうか?
SEOにスケールメリットが働くかどうかはGoogleのさじ加減だし、しかるべきコストをかけて記事をつくっていった場合、採算がとれるか?
後ろめたいことを無くした上に、趣味も含めて個人でやってるコンテンツの数々を、何らかのやり方で上回る必要があるわけで、これはなかなか難しい。
3. 一億総マーケティング社会
MERYのようなことがまかり通り、一次情報が評価されないという問題には、ネットにコンテンツを投稿している人の権利意識の低さがある。
もちろんMERYに怒る人が多いけど、その背景には膨大な「うひょひょ~w うちの撮った写真MERYに載ってるぞ〜w」とむしろ満更でもなく思ってしまうような人達がいる。
広告手段が大衆化し、人気YouTuberの商品紹介を当たり前のように見て育った世代が、「自分が紹介したものが購入されたら分け前をもらえて当たり前」という意識を持つ未来があってもおかしくない。
例えば、このブログにもAmazonのリンクを貼ることができる。
このスカートめっちゃカワイイからおすすめだヨ!
って感じで僕が紹介したとする。
これをリンク先から誰かが買えば、その売上の2%だか3%が僕に入るのだ。
これがもっと一般化すれば、今のネットの環境も変わってくるかもしれない。
友達同士で、「じゃあ今日は◯◯の紹介で買うね♪」というやりとりがある。
学生の間で、無理やり商品を買わせるのがいじめのラインナップに加わる。スクールカースト上位のやつがクラス内や学内の規模で商品を紹介して小銭を稼ぐ。
……っていう、なんかディストピア小説みたいになった。
もともとネットには「嫌儲(けんもう)」という、無償の創作活動を尊び、金を稼ぐ奴を罵る文化があった。
2010年くらいまでは猛威を奮っていたのだけど、かつての嫌儲ニキ達は今どこで何をしているのだろう?
このような変化の速さを思えば、近々、「紹介してそれが購入に繋がったら金もらうのが当たり前」という意識が大衆化してもおかしくないんじゃないだろうか?
ほとんど余談ですみません。
キュレーションメディア亡き後の良い「インターネット」って何だろう?
ユーザーを無視し、他人のコンテンツをほとんど盗用し、SEOで上位表示のみを狙ったキュレーションメディアが許しがたいというのは同意。
ただ、そういう奴らがインターネットを悪くした……というのはちょっと違うのではないかと思う。色んな問題を混ぜすぎている。
「インターネット」は検索エンジンのことではないし、むしろハッカー的な価値観からすれば、「Googleのシステムをハックできたんだからすごいよクールだよ!」みたいに言われてもおかしくない事件だと思う。(それを人力SEOでやってるというのが闇なのだが。)
DeNAが潰れようと、古き良きインターネットが戻ってくるわけでもない。結局は、検索エンジンに依存しないものを盛り上げていくしかないのかもしれない。
2chやニコニコ動画は、検索じゃなくて盛り上がってるところに人が集まるようなシステムになってて、それはそれでGoogleとは別のやり方だと評価されていたんだけどね。
何が大事なのだろう。コミュニティだろうか?
ネットのコミュニティが文化を担保してきたという側面はある。ただ、そこにいる人がみんな同じ方向を向いていたり、わかりやすいものに一斉に飛びつくようになったなら、その場所の美徳はほとんど失われてきている。