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しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

ネットでよく見る漫画のバナー広告が好きになれない

漫画 インターネット

ウェブサイトやスマホアプリによく載ってるバナー広告は、なんか気になってクリックしたくなってしまうものが多い。それは広告という目的を考えれば当然なのだけど、中でも、漫画の一コマを切り抜くバナー広告の酷さは群を抜いてる。


見たことある人は多いと思うけど、「もう二度とウンコできないねえ」とか「隣家から聞こえる幼い泣き声…」とか「いい子にしてたらランドセル買ってあげるから」とか「ギャルの生乳うめえ~(ギチチ…)」みたいな感じ。


拷問、強姦、児童虐待など、過激な内容のものが多い。

エロは規制されるからこういう形で攻めてる。不快だったり気持ち悪くなったりして、だからこそ気になってしまう、という種類のものなんだけど、単純にクリック率が高いから配置されるのだろう。 アダルトサイトやアングラなサイトならこういうのが載ってても別にいいと思うけど、特にそうでもない普通にサイトに表示されるからなあ……。

こういうのは、アダルトコンテンツと違って、明確な基準があるわけでもないから規制できない。


何言ってるかわからない人のためにいくつか具体例を出す。


透明なゆりかご

バナー広告漫画の代表格である『透明なゆりかご』なんて、ほんわかした絵柄だけど、産婦人科で中絶していく人達を扱ったショッキングな内容が多い。 f:id:skky17:20160731180453p:plain


善悪の屑

『善悪の屑』は、個人的にバナー広告で一番良く見る漫画なのだけど、「復讐屋」の主人公たちが悪人を残酷なやり方で裁いていく内容。

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漫画に出てくる加害者達は、実際に起こった事件を元ネタにしている。1巻を読んでみて、あくまで個人的な感想だけど、あまり優れた漫画とは思えなかった。ただ、こういうわかりやすい過激さはバナー広告と相性がとても良い。

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人気の理由としては、主人公「カモ」の容姿が某大物YouTuberに酷似しているというのもあるかもしれない。


漫画家とヤクザ

最近目につくようになったのは、『漫画家とヤクザ』という漫画の広告。

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漫画家の女の子に、ヤクザが「借金待ってやるからワイとスケベしようや」と迫る。おそらく女性向けの漫画。わりとエッチな内容だと思うんだけど、ニコニコ動画の広告にこれが乗ってた。やはりクリック率が高いのだろうか。女性向けの漫画バナー広告がこのような感じになるのはわりと興味深くはあるけどね。


こういうのが好きになれないのは、とにかくクリックさせればいい、続きを気にならせて買わせればいい、というのが全面に出てて、それを罪もなく見た人達の感情の揺れみたいなものをまったく考慮しないからだろう。郵便受けに機械的に入れられる広告チラシの束に似ている。物理的な煩わしさが、精神的なものに変わったのだ。

注意したいのは、書いてる漫画家がそういうことを意図していたわけではないだろうし、一部の目を惹く部分を切り取って広告にするという考え方も別におかしなものではない。誰が悪いわけでもない、強いて言うなら、こういうものが気になってしまう僕たちが悪い。


ただ、そういった漫画バナーは、「消費者が自分の見たいものを選ぶ」ことの失敗をまざまざと見せつけられている感じがする。もちろん、僕たちは普段からそういう世界に生きてるわけだけど、あまりに露骨なものを見ると我に帰ってしまうのかもしれない。


消費者が欲しいものを自由に選ぶことを突き詰めた先にある世界は、それほど素晴らしいものでもなさそうだ。ロバート・B・ライシュだったかが、「規制のない市場は、”規制のない市場”という規制が働く場なのだよ」みたいなことを言っていた記憶がある。(ちょっと記憶が曖昧だが。)

勝者の代償―ニューエコノミーの深淵と未来

勝者の代償―ニューエコノミーの深淵と未来

今の漫画の話に即して言えば、消費者の可処分時間が決まっていて、その多くが短絡的に目を惹くようなものに奪われてしまっているのなら、わかりやすくキャッチーなコンテンツ以外は市場に存在できなくなっていく。それは、そういう種類の規制が働いているのと同じではないか、ということだ。


かつては情報発信の手段を特定の人達が占有していて、ネットによってそれは特権的なものではなくなった。それはいいことだ。しかし、発信の手段が限られていた時代は、ある種の「目利き」がいて、彼らが大勢に届けられる水準に達するものを選んでいた。だからこそ、ぱっと見て目を惹く要素がなくても、ちゃんと読んでみたら良い作品だった……みたいなものが商業的に成り立っていた。


一部の目利き(編集者など)が消費者に届くものを選ぶのか、消費者が自分の好きなものを自由に選ぶのか。そこはバランスの問題で、どちらかに行き過ぎてしまうのが良くないと僕は思ってる。 日本の漫画雑誌なんかは、まず編集者が連載するものを選んで、後から消費者が選ぶ単行本の売上やアンケートなどで何を残すか決めるから、ネットがなかった時代から続く、選者と消費者のバランスがうまくとれたシステムだと言えると思う。


出版文化みたいなものは、ネット的な感覚からすれば時代遅れかもしれないが、ネット全盛だからこそ必要とされている側面もある。出版社がなくなれば、それこそ書店に漫画の広告バナーみたいなものが並ぶ世界になってしまうかもしれない。角川と経営統合したドワンゴ(ニコニコ)には頑張ってほしい。


ちなみに、漫画の広告バナーからたどって好きになった作品もある。『恋は雨上がりのように』という漫画。

恋は雨上がりのように(1) (ビッグコミックス)

恋は雨上がりのように(1) (ビッグコミックス)

女子高生がバツイチ子持ちのおっさんを好きになる漫画なんだけど、女の子が誰かを好きになることの不思議な切なさと残酷さみたいなのがあって、いいんですよね。気になったら読んでみてください。



ギチチ…

喧嘩稼業(4) (ヤングマガジンコミックス)

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