読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

オワコンになったウェブコミュニティのその後

インターネット はてな

どのようなウェブコミュニティも、いずれピークが過ぎてしまう。 驕れる者久しからず、というか、webみたいな変化の激しいところで10年以上持ったらむしろおかしい。

ウェブコミュニティがオワコン(終わったコンテンツ)になったとき、ユーザーがいなくなってしまう場合もあるが、ユーザーが離れずに「場」として残り続けることもある。


コミュニティの一生?

「コミュニティの一生」と言われる、元2ch管理人ひろゆきの書き込みは有名だ。

初期:面白い人が面白いことを書く

中期:面白くない人が面白いものを見に来る

終末期:面白くない人が面白くないものを書き始める


ニコニコ大百科によると、現在は少し違うものが流布しているらしい

【コミュニティの一生】

面白い人が面白いことをする

面白いから凡人が集まってくる

住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める

面白い人が見切りをつけて居なくなる

残った凡人が面白くないことをする

面白くないので皆居なくなる

これに関して、”ひろゆきは「コミュニティは段階を経て消えるものだ」とまでは言っていない。”と大百科には書かれているが、やっぱりひろゆきはすごいなあと思う。


面白くなくなったからと言って、人がいなくなるとは限らない。そこが居心地のよい場所でありさえすれば、他に移ることができずに残り続けるユーザーは多い。

流行して一定数のユーザーが住み着いたウェブコミュニティの場合、面白い(クリエイティブな)要素がなくなっても、「場」として残り続けることが、往々にしてある。


今や、2ちゃんねらーの成れの果てが住まう本スレに足を踏み入れることは、ジャングル奥地の原住民を調査する文化人類学者の行いに近いとも言われるが、Facebookユーザーは情弱でLINEユーザーは反日だと思っているいきものは、まだ日本にいるのです。たぶん。

f:id:skky17:20160717212428j:plain


場所だけが残るとどうなるか?

これはあくまで僕の意見だが、面白さが枯れ果てて、たんなる「場」となってしまったウェブコミュニティは、「インターネットにおいて人を感化しやすいもの」の比重が増えていく。(インターネットにおいて、というのは、参加してもしなくてもいい無責任で不安定な場において、ということ。)


3つほど例を挙げるとするなら、例えば

  • やさしい世界
  • わかりやすい正義
  • 成功先取りポルノ

みたいなものがあると思われる。ちょっと詳しく説明していく。


やさしい世界

いろんな文脈で使われる言葉なので、この主旨で使うのが適切かわからないのだけど、ここでは「自分が受け入れやすいものだけを受け入れる」という意味。ようは、検証という概念が存在しない世界だ。(もちろん、そういう偏りがあるからこそ生まれる優れた部分は否定しない。)

ネットを語るときに言われがちな、「インターネットはあらゆるものにアクセスできるが実際は好きなものにしかアクセスしないので視野狭窄になる」というのは、主語が大きすぎるという気もするけれど、一部のウェブサービスは明らかにそういう側面がある。


わかりやすい正義

「正論」で攻撃しやすい対象や概念があるとき、あるいは叩きやすいロジックが確立された場合、ネットではそれが陳腐に広まりやすいし、誰でも気やすく利用可能になる。

どのような議題であれ、それなりに整合性のあるロジックを作るのは意外と簡単で、例えば2ch嫌韓スレみたいなものも内側の体系のみを見れば筋が通っていたりする。

相手の事情を汲んだりとか、匿名で人を叩くことに対する内省みたいなものは、なかなかウェブコミュニティに求められることではない。

もちろん、色んな不満や意見を各人が抱えているのだが、それを差し引いても、誰かを攻撃できる枠組みに需要があることは、インターネットを見渡してみるとよくわかる。


成功先取りポルノ

自己啓発、英語学習、仕事のできる人は◯◯をやってる、ブログでお金を稼げる……など、意識高い系のインターネットにありがちなやつ。この種のコンテンツやコミュニティは、娯楽と同じようにそれを見た瞬間、それに感化された瞬間に効用のピークがある。成功した自分を先取りすることで気分がよくなるようなものが多い。(ネットで金稼げるから会社やめよう系になると、決意して会社をやめた宣言をするところに消費者のピークがあるわけで、やはり罪深い。)

逆説だけど、もしそこで示される理想が本当に実現しやすいものであれば、そのような内容のものが溢れかえることにはならないだろう。

「僕も成功したんだから同じやり方をすればあなたも成功する!」という形式のものが多く、スナック菓子みたいに袋詰された「成功」が、コンテンツとして消費できるようになっている。

「成功先取りポルノ」は現実でもよく見られるが、ネットは物理的な結びつきから離れた場なので、利益共同体的にはなりにくく、教祖と信者(フォロワー)の関係ができるものが力を持ちやすい。


ウェブコミュニティが凡庸になるということ

例を挙げたが、僕はそれらを馬鹿にしたいわけでも非難したいわけでもない。むしろ、そのようなものも人間にとって必要だと思っている。(どこかで批判的に見る目を持っておくのも大事だと思うが。)


ただ、これらは代替可能で、「場」がありさえすればどこだろうとそれなりに流行る。あるウェブコミュニティにおいて、この種のものが大部分を占めるようになってしまったのなら、それは独自の役割を失って凡庸になってしまったということだ。

少し具体例を挙げてみる。


はちま、JIN、まとめサイト

「はちま寄稿」「オレ的ゲーム速報@刃」に関しては、過去に一度書いた記憶がある。

いわゆる「2chまとめサイト」は、典型的な「やさしい世界」。「本当にそうなの?」がない場所になってる。

ただ、そういうものを必要としてる人は多いだろうし、まとめサイトが大嫌いな人にも「叩きやすい対象」を提供しているという点で二度おいしい。なんだかんだ、日本のインターネットにおいて大きな影響力と支持を持つコンテンツだと思う。

しかし、2ちゃんねるの元スレ自体が、特定の話題を話し合うときには優れたプラットフォームではあると思うけど、全盛期のようなコンテンツ生成力を持っていない。まとめサイトは過去の人気なトピックを縮小再生産でやっているのが現状だと思う。

一方で、本スレをまとめず、「場」の提供に特化している「はちま」や「JIN」が一群の中では最も成功している印象。


はてな

「株式会社はてな」は、「人力検索はてな」というQ&Aサイトの先駆け、「はてなダイアリー」というブログサービスの先駆け、「はてなブックマーク」というブックマーク兼キュレーションサービスなど、日本のインターネットに決定的な影響を与えてきた企業である。

現在は、コンシューマー向けの自社サービスに限って言えば、かつてのような存在感はなくなっているし、2chと同様に衰退の傾向にあると思われる。最近だと、京大卒専業主婦の件が印象的で、(こういう言い方も何様だって感じなんだけど)質が落ちたんだろうなあと感じた。


少し前に、「京大卒で専業主婦はもったいないのか?」みたいな記事が話題になって、様々な議論が噴出したんだけど、その記事を投稿した本人が「いや釣りだからw ネットの議論に何ムキになってんの?w」みたいなことを後で書いて、大炎上した。

その京大卒専業主婦の人は、記事が大勢の注目を浴びる前からほそぼそとブログを続けてた人で、書いたものに突然たくさんの意見や批判が来たとき、それをちょっと茶化してしまうのは別におかしなことでもなんでもないと思う。「え?なんでこいつら個人のブログにこんなムキになってるの?」と素直に疑問に思ったのかもしれないし。(それもまったくおかしなことではない!)


でも、後釣り宣言の後はものすごい叩かれ方で、結局彼女はブログをやめちゃったんだよね。「後釣りはルール違反」というのは、一応ネットの常識みたいなものではあるんだけど、その程度のものを掲げて大勢で一人を叩いていいのかというのはある。

机上の弱者は擁護するけど具体的な人間のちょっとしたミスや弱さには容赦しないって、典型的な左派の失敗パターンみたいな感じなんだけど、まあそういう空気のコミュニティになってるわけです。

少数だけど、それを指摘する人もいた。

こういう人が一定数いる内は、まだオワコンになったとまでは言えないだろうと思う。でも、趨勢を見る限り、叩く音頭をとる人とそれに乗っかる人のほうが圧倒的に多くて、即物的に「わかりやすい正義」を求めている感じがする。もちろんウェブコミュニティに高い倫理観は求めるべくもないので、誰かに石を投げたい人が集まってくるのは、それはそれで変なことでもない。


ちなみに、「はてブ」は、ブックマークサービスという特性上、「成功先取りポルノ」がもっとも活き活きとする場所でもある。ブクマ数という指標で見た時に一番ウケやすいのは英語学習とかエクセル使えば毎日が幸せみたいなやつだ。

最近のはてなでは、ブログでお金儲け系が流行しているけど、これも「成功先取りポルノ」で、こういうことが好きな人達が今のはてなに来ちゃうのは不自然な流れではないと僕は思う。「面白い文章」みたいなものより、「自分もお金儲けできちゃうかも!」と思わせてくれるものがコンテンツとして強力なのは、凡庸になった世界では当然のこと。

陳腐なやり方が横行するのは、それが許される場所になってしまったということであって、一部の層が流入したから生態系が崩れたというよりは、ネットいじめの件も含めて全体的な劣化によるものだろう。


もっと不毛で楽しいインターネットを!

あるウェブコミュニティが流行するときには、サービスのアーキテクチャに触発されたユーザーの創作がある。

「2ちゃんねる」は、匿名で見返りがないにも関わらず、面白い発想を出し惜しみしないような人達、純粋に楽しい場所が欲しかった人達に支えられていた。

f:id:skky17:20160717212533j:plain


「はてなブックマーク」は、面白いものを最初に見つけてくる人達のコミュニティがあったからこそ、代替不可能で、なおかつ精度の高いキュレーションサービスが成り立っていた。


あらゆるコミュニティは変化し衰退してしまうのだが、当然ながら一時期であれそういうものが成り立っていたことがすごいわけで、「2ちゃんねる」や「はてな」の価値は不滅だ。歴史の教科書にもたぶん載るだろう。

ただ、ウェブコミュニティの黎明に、何の裏付けも見返りもないところで面白いものを生み出していた人達は、いったい今何をしているのだろう? と思うことがある。


この記事で述べてきたことを踏まえるなら、ウェブサービスを新しく打ち出す場合、サービス独自の設計に触発されて生まれてくるものを目指すべきと考えることもできるだろう。

ただ「場」を提供するだけなら、昔からユーザーがいるような歴史のあるところに勝つのは難しいし、代替可能なものしか集まってこない。ウェブはウェブらしく、軽薄に、どんどん新しいものを作っていくべきなのかもしれない。


もっとも、最近はウェブだけで完結するものは低く見られがちだ。「Facebook」は現実に紐づくことで、ウェブサービスの浮薄さから脱して、今やインフラになってしまっている。「UBER」や「Airbnb」だってそんな感じ。

でも僕は、便利とかハックとかじゃなくて、何の役にも立たない不毛で楽しいインターネットが好きなんだ!