しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

写真が嫌いな女の人


 写真が嫌いな女の人って、いるのだろうか?


 けっこういるのではないかと思う。そういう人達をSNSなどで目にすることがないだけで。


 美人でも、写真写りの悪い人がいる。良く見えるように写ろうとしない人、そういうことが苦手な女の人がいる。



 画像や動画という形で記録に残せること。そのための技術が行き渡ることで、新しい種類の野蛮が生まれた。何かあるたびに、携帯のカメラを一斉に向ける人々の群れのような……。


 それくらいまで、カメラは人間にとって当たり前のものになった。



 写真が、決定的な効果を持ちうるような場所も、まだ無くなってはいない。匿名やハンドルネームの文化が残っているインターネットなど。

 何らかの活動をする上で、うまく撮れた写真があれば有利になる。自分の写真がネットに出回ってしまったことで、活動を続けられなくなった人もいる。



 撮り方や修正など、写真の印象を良くする方法はある。

 写り方にしても、女優と一般人を比べてみたりすると、うまく写る技術があることがわかる。


 しかし、実際以上に自分を良く見せようとするための努力に、馴染めるのかどうか、という問題もあるように思う。

 それを謳歌できる人もいれば、どうしてもそれが苦手だという人もいるのではないだろうか。ネットで僕達の目に入ることはないにしても、たぶん、写真が嫌いな女の人はいると思う。



 僕が写真というものに感じる憂鬱は、それがずっと残り続けることから来る。

 誰かの写真がどういうふうに残りどう見返されるかなんてことは、ほんの些細なことではある。

 しかし、今の僕達の思いや逡巡が、未来からどのように総括され説明されてしまうのか、という問題を考えたとき、そういった写真は、微小とはいえ確実な断片として残り続けていくような気がするのだ。


 それは、残らないものは消えてしまうという、ごく当たり前の事実の裏返しでもある。


「歴史とは、人類の巨大な恨みに似ている」と言ったのは小林秀雄だっけか。今の僕達が感じている様々な不公平や不均衡は、思い入れとは無縁の未来からは、ずっと平らに見えるのだろう。




 身辺については詳しく語らないが、写真が嫌いな女の子がいた。

 美人でも、そういう人はいるのだ。写真の写り方は酷くぎこちなかった。

 彼女は魅力的だったけど、それが写真という形でちゃんと残されたことは、僕が見ている限りなさそうだった。彼女のほうでもそれを避けているみたいだった。


 自分の美しさが世に残されることへの慎みのようなもの。自分を高く見積もられることへの躊躇いのようなもの。

 それはいったい、どのような形で報われ得るのだろうかと、考えてしまうことがある。



 文章を書くという行為も、多くの場合、なかなか報われないものだ。

 自分が何かしら書くことができるなら、あるいはそういう修練をこれから積んでいこうとするなら、写真という形では残り得ないものを、ほんの少しでも掬いとって残しておきたい、と思ってはいる。



 というキモヲタの戯れ言でした。