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しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

リクルートスーツの女子は人界に於ける黄金、瑠璃、真珠なり

 その文章自体はよく覚えていないのだが、そこで引用されていた三島由紀夫の言葉だけは印象に残っていて、記憶にあった断片で検索をかけてみたところ、どうやら毎日新聞に寄稿された一文らしかった。

昔の武士は、藩に不平があれば諫死しました。さもなければ黙って耐えました。何ものかに属する、とはそういうことです。もともと自由な人間が、何ものかに属して、美しくなるか醜くなるかの境目は、この危うい一点にしかありません。(士道について―石原慎太郎氏への公開状)

 ひどい言葉ではある。その美意識に殉じて死んだ三島はともかくとして、彼が掲げた美しさを、醜い側におちた人間が持て囃したがるのは、我慢ならない。


 三島の文章には、真実が含まれているように僕は思う。

 美の源泉に窮屈さがあるというのは、自分の美観に照らし合わせてみても、納得できないものではない。


 例えば、多くの人が「制服」に愛着を寄せるのも、避けることのできない決まり事が背景にあるからだろう。



 今の時代において、制度と文脈と抑圧の裏に咲いた最も美しい華は、就活女子のリクルートスーツ姿だと僕は思っている。街を歩いていても、やはりリクスー女子に目がいってしまう。


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 22歳前後の人間が一様に、型にはまった制服と態度で就活をするというのは滑稽に見える。

 日本の労働システム、就職活動のシステム、そこに取り入ろうとする諸々の業者と、彼らが喧伝する、もはやわけのわからない理念、考え方、不合理、理不尽さ、やるせなさ……。

 そういった、どうしようもない最悪な強制力の中にいるからこそ、その反動として、リクスー女子は魅力的なのではないかと思う。



 髪を明るく染めた、はつらつなキャンパスライフを送っていたようなキラキラ女子も、黒髪に染め直し、メイクの方法も見直し、憂鬱な新品のリクルートスーツを仕立てる。


 男も女も就活はするが、女性のリクルートスーツは、男のそれよりもずっと歪んでいる気がする。スーツという衣装が男社会の名残だし、特に日本のリクルートスーツのレディースは男性の価値観に寄ったデザインになっている気がする。

 また、就活というもの自体も、結婚や出産や世代意識の問題がついてまわる女性は、男性の何倍も複雑だと思う。ある意味で、男は価値があるかないか二分されるところがあるので、それが楽なことか辛いことなのかはおいておいて、わかりやすくはある。

 ほとんどのリクスー男子が芋臭く見えるだけなのに対して、リクスー女子はびっくりするほどに魅力的だ。その魅力が、背景の複雑さと矛盾の深さの裏返しであるとしたら、賞賛していいものでもないのだけれど。



 就活生は、合理的でも生産的でもない仕組みに、重要なファーストキャリアをかけた熱量を惜しみなく注ぎこまざるをえない。

 そしてリクスー女子たちは、暗黙に要求される貞実と献身を、驚くほど見事に身に着けているように見える。彼女たちのふるまい方の、初々しさと細やかさ。公的でありかつ理不尽なものへの志向性と、その強さと美しさ……。



 こうやって述べてきたことは、必ずしもキモいおっさんの視点ではないし、性的なものでもない。むしろ、それが当たり前だと思っているおっさんだけが、現在においてリクスー女子が成立する奇跡的な価値に気づいていないのかもしれない。

 市場価値とかそういうことではなく、ただそのあり方が美しい。もちろん、だからと言って何がどうなるわけでもないのだけど。



 そして、そのような日本の宝であるリクスー女子と、グルディスとか情報交換とか色々なことをするのは、われわれ人類にとって史上の幸福なのである。



 とか思ってみたし書いてみたんだけど、まったくモチベーションがあがらねえ!


 実は僕、「24歳、学生」なんだけど、就活生でもあるんだよね。ただ、何もしてないし、何もやる気が無い。なんていうか、魂が就活というものを拒絶してる。リクスー女子とおしゃべりできるとしても行きたくないレベルなんだ。


 就活に行こうとすると、ボコボコに殴られて包帯を巻いた未来からやってきた自分に、「出かけるのをやめなさい」と言われてしまうんだ。


 愚かなことをしているかもしれない、というのはある。就活に行くべきだという理屈も、行くべきじゃないという理屈も、いくらでも組み立てられる。

 でも、魂の命令に逆らうことはできない。