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しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

テレビが衰退しない理由とネットがやるべきこと

メディア

 ネットの登場によって、テレビは終わったのか?

 これからはネットの時代とさんざん言われてきたし、その界隈の人達も、いつかネットがテレビに取って代わる時代が来ると思っていた。今も思っているかもしれない。


 テレビの横暴さが毎日のようにネットで暴かれ、叩かれている。一方で、YouTubeなどの動画サービスでは優れたコンテンツが供給され続けている。テレビよりも明らかに手のかかっている動画を無料で配信するユーチューバーなどが増えてきている。当のテレビ局でさえオンデマンドで自社の番組を配信するようになった。

 しかし、だからといってテレビがそのまま衰退していくとは限らない。むしろ盛り返す可能性すら十分にある。なぜならテレビは「中心」という機能を担っているからだ。


 一度出来上がってしまった「中心」を解体するのは並大抵のことではない。テレビとは、電波という「大多数に発信できる場所」を独占してきた利権であり、それ故に「中心」を担い続けてきた。ネットの登場によってその利権自体の価値は低下している。しかし、多くの日本人の意識にこびりついた「中心」という意識は、ますます強固になってさえいるかもしれない。


中心と周辺

 日本は海外と比較しても、中心と周辺という枠組みが強い国ではあると思う。特に戦後は、東京のマスメディアと東京に本社のある大企業が最も偉く、あとはその子会社だったり奴隷だったりするというのが、強固な枠組みだった。

 海外では、職業や階級の枠組みが強くて、そこに格差が生じる。

 一方で日本では、仮に同じ仕事をしていたとしても、大企業と中小企業、正社員と非正規雇用ではまったく待遇が違ったりする。労働組合は職ごとではなく会社ごとに作られる。また、日本では金銭の格差は開いているにしても、階層ごとに享受するコンテンツや共有する文化がまったく異なる、みたいなことにはなっていない。


東京が一番偉いことのメリットとデメリット

 東京が一番偉くて地方はその奴隷という構図は、法律や行政上の手続きのレベルでそうなっている。地方レベルで何かをやろうとしても、中央の規制でガチガチに固められていて自由にできることの幅が少ない。

 例えば、公園は日本全国で同じようなものが多いが、それは設置する遊具の種類など、国の規定をしっかり守らないと補助金が降りないからだ。同じように、地方の自由を制限する仕組みはあらゆる場面に渡る。

 現状も、各県が中央の支配を脱しているとは言いがたく、むしろ少子化により若年層が中央に流出することで、ますます格差が開いている。地方が独自に何かを始めようとしても、あまりにも規制が多く、また長く支配下に置かれていたため自分たちでやるノウハウもない。


 一方で中央に支配されていたことのメリットもあって、自由ではない代わりにある程度の保証はされていた。日本ではほとんどすべての地方が一定の生活の水準を保てている。群や市のレベルで自由な政治をしやすいアメリカは、今どんどん格差が開いていて、人が集まらずに荒廃するところがあったり、金持ち同士が警備員を雇って町を囲ってしまうみたいなことも起きている。


 日本の場合、一定の均質さを保ったうえでちょっとした差を出すみたいなことがよく起こった。ラーメンのように、一定の形式がありながら驚くほどの多様性がある食文化も特徴的だ。また、よく海外から特徴的と言われるニッチな需要を満たす製品も、規制と抑圧の下でニッチな競争が行われてきたからこそ生まれてきたものが多い。


中心としてのマスメディア

 法律、行政の運用、大学などの制度の至るところで、日本は東京という中心の権力が強いのだが、戦後においてその最も大きな要因を担っていたのが、日本の中央メディア、特に「テレビ」だろう。

 日本人の均質性にテレビはずっと一役買ってきた。どの局も内容が似通っていて、さらに階層や職業に関係なく、多くの日本人が同じような番組を見ていた。一億人を超える国民が同一のメディアを見て似たような価値観をある程度共有していたというのは、ほとんど歴史上類を見ないことだろう。


 僕達は、意識せずともテレビの価値観を受け入れているし、テレビを見ずにネットに入り浸っている人でも、テレビが作り上げてきた認識から自由なわけではない。


「情報を発信する手段」を独占していた時代のテレビが、どれだけ圧倒的な影響力を持っていたのかは、説明するまでもないだろう。

 そして、ネットが登場した。テレビの権力が特に強い日本において、ネットが大衆に受け入れられる際には、テレビに対抗する可能性を持ったものとして、希望とコンプレックスと共に広まっていった。


テレビは力を増しつつある?

 当然ながら、テレビしかない時代と今とを比べれば、テレビのプレゼンスは圧倒的に下がっている。しかし、僕が主張したいのは、この傾向がそのまま続いてやがてテレビが消えてしまうわけではないということだ。


 誰もが自由に発言できるネットでも、その発言のキッカケをテレビに依存している事態はよく見られる。Twitterが落ちたのはテレビで放送されたSMAPの番組が原因だった。多くの人が金曜の夜にバルスとつぶやいたのも、ベッキーが不倫した話題を多くの人が共有しているのも、テレビがあるからだ。


「大多数に情報を発信できる」というテレビの利権が、ネットによって相対的に価値を持たなくなったのは事実だ。しかし、テレビが担っていた「中心」の価値は、ますますその力を増しつつある。


 何かの対抗というスタイルは、その相手の存在に大きく依存してしまう。アンチテレビというあり方は、逆説的だが、憎き対象であるテレビを承認してしまうことでもある。

 そして脱中心や反中心の勢力は、対象である中心の力が弱くなること、つまり目的を達成する半ばで、その力を決定的に失う。反対する対象が力を失う以上のダメージを自分達が受けてしまうからだ。

 テレビがしょうもないものになるにつれて、アンチテレビの勢力がまとまれなくなる。「ネット」がテレビに対抗するものとしてひとまとまりになれなくなったことで、以前よりも力を落とした「テレビ」が支配的な力を取り戻してしまう。


くっそ雑な図だけどゆるして

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「中心」は、その特性からして、力を弱めることでアンチを解体し、衰退することで逆説的に影響力を増す。一度確立された中心の持つ力は侮れないのだ。


中心と周辺と日本

 テレビとネットのみならず、同様の現象は日本の至るところに見られる。

 自民党の支持基盤や得票率はこれまでにないほど低下している。また現状これほど労働や格差の問題が言われているのだから、かつての社会党のような非共産党系の社会主義勢力が台頭してきてもおかしくないように思える。しかし自民党的な価値観が弱くなっているからこそ、反自民として一枚岩になれなくなってしまった。もしくは反自民というだけでは人々に支持されなくなった。

 社会党や、この前政権をとった民主党は、アンチ自民党という形で存在していた。自民党は、支持基盤や得票率が減り続けているにも関わらず、それに反対する勢力がまとまれないという理由で、今も政権が安定している。


 大企業とベンチャー(またはフリーター)の対立も同じ構造がある。

 これから働こうとする人にとって、大企業や公務員などもブラック化が進んでいるし、上の世代のツケを支払わされる仕組みだし、どんどん割の合わないものになってきている。しかしその代わりになるものが存在しないので、現状では最もマシな選択肢だったりする。

 一部のウェブで発言する人達の「大企業はクソ」みたいな発言は、たしかに真実ではあるのだが、それ故に大企業的なものへのオルタナティブを作ろうという動きには発展していかず、個々の「自分の頭で考えて私と同じ考えになるべきだ」的な考えが無責任に取り上げられてきた。大企業の正社員はかつてと比べて魅力的なものではなくなっているかもしれないが、オルタナティブとそれを保証する制度が確立されていないという理由で、正社員の価値はますます高まっている。


ネットは今後何をするべきなのか

 テレビと、その中央メディア的な価値観は、均質性と平等を日本人に提示できていた側面はあるのだが、横暴なところも多く、これからの時代を担えるものだとは思えない。一方で、それが時代遅れであるからと言って、その価値観がそのまま力を失ってしまうわけではない。

 今まで述べてきたように、「中心」は、それが弱体化することによって反対勢力を解体し、ますます強くなるからだ。


 僕は、ネットや新しい働き方や自民党以外の政治勢力に可能性がないと言いたいわけではないし、上のような皮肉を論じて満足したいわけでもない。

 今後、ネット的な、利権も責任も持たないバラバラなものが、どのように力を持ちうるのかに興味がある。いかに「アンチ」というやり方に頼らずに、自分たちの力だけで中心を担える価値を作り上げていけるのか。

 ネットが大衆化しきった後は、分散という特徴ではなく、どのようにして統合が起こるのかに注目するべきだ。



 だから、何かのウェブメディアを立ち上げたくて、それなりに野心を持っているなら、どうやって「中心」をつくっていけるのかを意識するのがいい戦略だと思う。ネットに強い人達はいかにニーズを満たすかという考え方をしがちなのだけど、ニーズ重視はリテラシーが高かったネット初期の文化であって、大衆化の後は、いかに欲望をつくり出せる場所を構築できるかが重要になってくる。

 小さなウェブメディアレベルでも、トップページに力入れるとか記事のランキングを載せるみたいなことは、簡単だし効果の高い施策ではあると思う。



 もちろん、視点をグローバルに移せば、グーグルやアマゾンがものすごい勢いで統合を進めていて、それについての話はまた機会があればやりたいと思います。(ちょっとつかれたので今回はここまでにします。ごめんね。)



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