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しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

日本のクリエイターへの差別や偏見とスーパーマリオメーカー

 今ではそれほど見られないが、かつて、日本において漫画、アニメ、ゲームに関わる者は差別や偏見に晒されてきた。クリエイターの地位は低かった。


 それは単なる不理解というわけでもなく、文化的特徴と言っていい。

 かつて偏見に晒されてきた人が、新しい日本的なコンテンツに対して、むしろ積極的に偏見を持ってしまうくらいだからだ



 以前、日本のクリエイティブ産業は、クリエイターの地位が低い分野が発展していったという旨の記事を書いた。

 プロフェッショナルを重視するアメリカや、アートを重視するヨーロッパと比べて、公権力に結びつかないところでクリエイティブが発展してきたのが日本であり、それゆえに文化の担い手の地位は低かった。

 それは現在も続いている。アニメーターの待遇は酷いものだし、景気の良いはずのソシャゲ業界ですら給料がそれほど高くない。制作者を守る仕組みが整備されていないからだ。


 しかし、クリエイターが守られていなかったからこそ、あらゆる流行や趣向を取り入れることのできる大衆文化が発展してきたと言ってもいい。地位が低かったからこそ、偏見を持たれていたからこそ、待遇が悪いからこそ、好きなようにやれたのだ。


 現在、「異常性愛者」だとか「気持ち悪い人達」と堂々と言われていた時代に比べれば、ずいぶんオタクも市民権を得たと思う。今は普通の女の子だってアニメ見たりゲームしてるくらいだから。だが、その文化が低く見られる特徴は根強く残っている。



ゲーム実況者を低く見る人達

 僕は以前、ゲーム実況のある問題について論じた

 その記事へのレスポンスで象徴的だったのが、「ここでのクリエイターが何を指すのかイマイチつかみ損なっているのだが、多くの実況者はクリエイターではないよ」「実況者ってクリエイターなの?芸人あたりが精々やろ」みたいな意見だ。

 リンクを貼ると晒すみたいだから止めておくが、このような書き込みがそれなりに賛同を集めていることから、ゲーム実況者を低く見ている人は多いと思われる。


 「クリエイター」という言葉に関してだが、ニコニコ動画の公式がゲーム実況者に対しても「クリエイター奨励プログラム」という言葉を使っているわけで、僕が意図してクリエイターと論じたわけでもなく、「そこにとびつくの!?」と思わないこともない。ゲーム実況者をクリエイターと呼ぶことが我慢ならないという人がたくさん集まってくるほど、実況者を嫌う層がいるのだろう。


 そして、こう指摘すると彼らは激怒するかもしれないが、「ゲーム実況者はクリエイターではない」と発言した人やそれに賛同する人達は、かつて二次元の創作物を「気持ち悪い」「犯罪者予備軍」と差別していた人達と、まったく同じことをしている



ゲーム実況者はクリエイターなのか?

 一部の人からゲーム実況者が嫌われるのは、理解できる。他人の作品にタダ乗りすることで人気を得ているからだろう。しかし、気に入らないことと、実況者が何の創造性も持っていないことは、別の問題だ。


 日々投稿され、多くのユーザーに莫大な時間を消費させているゲーム実況動画が、クリエイティブでないと言うのは難しい。

「まったくのゼロから何かを作らないとクリエイターではない」とこのご時世に主張するような馬鹿はいないだろう。現在のほぼすべての作品は、何かの情報や文化やツールにタダ乗りすることで作られている。よって、ゲームをツールにして実況動画を作る者がクリエイターではないとは言えないし、実際にゲーム実況という形で優れた作品がいくつも創作されている。


 気に入らないというのはわかる。しかし、気に入らないという理由で優れた部分に目を向けず、「ゲーム実況者はクリエイターではない」と感情的に言い放ってしまうなら、それはオタク文化をロリコン製造機だと言ってはばからない連中と実質的には変わりない


 他人の著作物を無断で使用しているという理由で彼らを悪にすることはできる。しかし、現在のゲーム実況はその制作者側からのお墨付きを得ている。権利に厳しい欧米ではとっくに許可が出ているし、任天堂が自社のゲーム実況を正式に認め、「スーパーマリオメーカー」というゲーム実況者向けと言っていいようなゲームまで世に出した。(だから僕は前回の記事を書いたのだが。)



ゲーム実況で作家性を発揮しなければならない現実

 ゲーム実況は、手軽に面白いコンテンツを作る方法として非常に強力だ。既存の優れたコンテンツの上に、自分の作家性を上乗せできる。


 そして、一生かけても見ることができないコンテンツがネット上に蓄積されてしまった現在、何かを作ろうとするとき、ゲーム実況という強力な手段で創作活動をしようとする人が多いのは、当たり前だ。というより、そうせざるをえないとさえ言える。周りがゲーム実況という方法でコンテンツを作り、それが見られるような文化が出来上がってしまったら、自分も同じようにしなければなかなか見てもらえないからだ。

 つまり、使わざるをえない強力なツールが一般化したことで、創作のレイヤが引き上げられてしまったのだ



レイヤが引き上げられるということ

 ツールが発展していく(強力な手段が生まれる)に従って、一般人の創作のレイヤは上に引き上げられる。


 ウェブサイト界隈の話を例に出そう。

 例えば、現在、最初からHTMLから組んでサイトを作るハードルは非常に高い。作るだけなら誰でもできるが、今の水準の標準機能であるレスポンシブ、SNSとの連携、動画の設置などをやろうと思うとかなり骨の折れる作業になるし、メンテナンスも大変だ。そして何より、これが一番大きいのだが、サイトにアクセスを集める導線を用意できない。(それがブログサービスに奪われてしまっているから)

 よってユーザーは、標準機能が全部そろっている上に、サービス内でアクサスを集める機能も持っているブログサービスに、デザインに目をつむってでも登録しようということになる。大抵の人は自分で組み込むよりも既存のブログサービスを使うだろう。


 ブログサービスが人口に膾炙し、アクセスが集まるコミュニティが形成されてくることで、自分でHTMLから組むのが難しいことになる。

 ブログサービスが流行ってない時代は、最初から作るのが当たり前だったし、同じような仲間もコミュニティもあるからHTMLを書こうと思えるし、またそのようなサイトが他の人からも見られる文化があった。

 しかしブログサービスが標準になってしまうと、HTMLを自分で書くというのは労力がかかる上に益のないものになってしまう。多くのユーザーがブログのほうに行ってしまうからだ。


 このようにして、テキストサイト(死語)はブログサービスに滅ぼされた。テキストサイトが消えてしまうわけでも、作れなくなってしまうわけでもないが、ただ大多数の人が作りたい、入りたいと思う分野が、ブログになってしまう。

 現在インターネットで文章などを書いて人に見られたいと思う人は、はてなやアメブロやライブドアやブロマガやFC2などの、強力なツールの上に乗ることになる。サービスを使うよりも自分でいじったりしたい人はサーバーを借りてWordPressやBootstrapを使うかもしれないが、最初からHTMLでやろうとする素人は少数派だろう。

 このようにして環境が変わる。ほとんどの人は企業のサービスの上に乗っからざるをえなくなる。レイヤが引き上げられるとはそういうことである。そして一部に、「ブログサービスを使うやつは低能」と言う人間だけが残る。



 エンジニア界隈では、低いレイヤを扱う仕事ほど偉いみたいな風潮があるそうだ。たしかに、現在において底レイヤで仕事してる人は技術を持った人が多いだろうと思う。だからと言って、高いレイヤで活躍している人の価値がないわけでもないし、かつて今と比べて相対的に底レイヤでやっていた人が偉いわけでもない。


 レイヤが引き上げられ、環境が変わると、もうそうなった状況の中でやっていかなければならない。当たり前の話だ。「Unityで作ったものはゲームじゃない。C言語で作ってこそだ!」みたいな主張をする人は、かつては機械語でゲームを作っていたなんて考えもしてないのかもしれない。



 現在も、あらゆる方法であらゆる作品を作ることができる。できることの幅は過去に比べると大きく広がっているだろう。だからといって、昔と比べて自由になったわけではない。

 ゲーム作品が、創作のための強力なツールであることが知られ、「ゲーム実況動画」に視聴者が多くの時間を費やす文化が形成されてしまった現在において、何かを作りたいと思う人がゲーム実況を選ぶのは不自然なことではない。

 そして、むしろゲーム実況文化に追随することを強いられている今の状況において、ゲーム実況を既存の作品にタダ乗りしているだけの創造性の欠片もない行為だと非難するのは不当なことだ。

 ゲーム会社ですらそれを認めてしまった今、感情的に彼らを貶めるのなら、それは、真っ当な人間に育たなくなるからみたいな理由で漫画やアニメやゲームを禁止していたような人間と同じだ。




 あと、小説なんかはずっと底レイヤの創作のように見えるけれど、リアリズムが流行しているわけでもなく、最も流行している投稿サイト「小説家になろう」を見ても、アニメやゲームの世界観を前提に作られているものがほとんどだ。


Re:ゼロから始める異世界生活 1<Re:ゼロから始める異世界生活> (MF文庫J)

Re:ゼロから始める異世界生活 1<Re:ゼロから始める異世界生活> (MF文庫J)



スーパマリオメーカーの「問題」

 ゲームが好きだからこそ、ゲームという作品を手軽に利用するゲーム実況者が許せないと思う人が多いのかもしれない。しかし、考えなしに感情をばらまくことが、今後のゲーム業界を考える上でも生産的だとは思わない。


 ゲーム実況の盛り上がりによって、ゲームが個人の創作性を発揮する上で有用な「ツール」であることが、明らかになってしまった。そしてゲームの制作者側もそれを無視することができなくなってしまった。



 「スーパマリオメーカー」は、明らかにゲーム実況を意識して作られたゲームである。発売日からすぐに実況動画投稿を推奨され、また収益化も可能だった。だから多くの実況者が投稿したマリオメーカー動画がランキングを埋め尽くし、「マリオメーカー問題」が言われたりした。


 しかし、仮に「マリオメーカー問題」があるとしたら、実況者側ではなくゲーム制作者側の問題かもしれない。人気のゲームがゲーム実況に使われるのではなく、ゲーム実況で使われるゲームが人気になるのだとすれば、制作側はゲームを作る上でゲーム実況を意識しなければならなくなる

 これは確かに「問題」なのだが、そこで実況者達を叩いても何の解決にもならないだろう。

 今注目されているVR(ヴァーチャルリアリティ)も、ゲーム実況することができないという理由であまり流行しない可能性すらある。というより、もし新ハードとしてVRをちゃんと売りたいなら、絶対に実況動画にしやすい機能をつけるべきだ。



 コンシューマーゲーム業界は苦しい。ただでさえ作品をつくるのに必要なコストが上がっているのに、一方でソシャゲが消費者の金と時間をジャブジャブ吸い上げている。

 将来的には、ゲーム実況者が稼いだお金の一部をゲーム制作側に入れる、みたいな収益化が許されるべきなのではないかと思う。


 例えばニコニコの実況者は限定チャンネルという形で収益化しているのだけど、ゲーム会社側がそのゲームを使った投稿を許可する変わりに、ゲーム実況者が稼いだお金の一部がゲーム会社に支払われる、みたいな感じで。

 動画サイトを運営する会社との交渉は可能だと思う。例えばニコニコ動画とYouTubeがあり、任天堂がどちから一方には自社ゲームの実況を許可しない、と宣言すれば、ユーザーは片方に流れることになるからだ。

 もちろん、そこまでかっちりと「権利」の枠組みを作ってしまえば、窮屈な世界になる。

 だが、ゲーム実況者がゲーム会社に金を払うのは道義的にまったくおかしなものではないし、将来的にそういう方向に行くことは十分考えられる。というより、そうしないとゲーム会社が存続できなくなるかもしれない。



 任天堂側も、思うところはあるだろうし、色々考えているだろう。マリオメーカーは、創作のための「ツール」という役割を明確に意識したゲームであるという点で、一つの事件だった。


 スクエニも「ドラゴンクエストビルダーズ」を出すみたいだ。みんな思ってるだろうけど、マインクラフトのパクリだよね。

 ツールとしてのゲームは、メーカーにとって重要な位置づけのものだと思うし、ドラクエとFFを創りだしたのはスクエニなんだから、もっとプライドを持ってやってほしかった。まあ、洋ゲーのシステムを分かりやすくして持ってくるのは伝統ではある。

 いや、なんだかんだでめっちゃ面白そうだし、国内では売れそうだよね。




かつて差別されてきた人達が同じことを繰り返してしまう

「ゲーム実況者がクリエイターとか冗談だろ?死ね」と言ってしまう人が、ゲーム嫌いというわけではなく、むしろゲーム好きだからこそ嫌っているところもある。


 漫画、アニメ、ゲームが好きで、そのことで差別された経験を持つ人達でさえ、今において同じ立ち位置のものが生まれてきたときに、かつて自分を差別してきた人間とまったく同じことをしてしまう

 それはありがちな類型でもあるのだが、やはり「クリエイターの地位が低い」日本のコンテンツ文化の延長にある現象だと思う。


 だから、クリエイター(実況者)の立ち位置を考えたときに、ニコニコ動画とYouTubeではかなり文化が違う。



認められていくゲーム実況

 ニコニコ動画のゲーム実況者は、それこそ責められるべき著作権違反者であり、視聴者達と同じ底辺にいる仲間であり、グレーゾーンの実況で得た人気を金に変えるのはやってはならないこととされていた。今考えると可哀想だが、当時の人気実況者の「塩」は、温泉に行ったときのDVDをコミケで1500円で売っただけで大炎上したのだ。


 しかしユーチューブは、実況動画で人気を得てスターになることが、かなり肯定的に捉えられている。


 ゲーム実況に対する後ろめたさ、アングラ感がなくなって、ニコニコ動画も変わっていくのだろう。

 権利関係が整備され、コメントが綺麗にされ、人気者が公式に守られ、明るく、真っ当なものになっていく。


 それは仕方のないことであり、そして正しいことなのだろう。


 わかってはいても、変わってしまうことに対して感じるものはあるよね、みたいなことを書いたのが前回投稿した記事だったのだけど。




ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ - PS Vita

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