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しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

【藤沢数希】恋愛工学という厄介な新興宗教【批判】

 藤沢数希が提唱する「恋愛工学」は、支持者が多い一方で批判も多く、最近はブログやTwitterで信者とアンチが毎日のように戦いを繰り広げている。

 僕が藤沢数希の名前を認識したのは小保方さんついて彼が書いたものを目にしたときからだが、恋愛工学が一般に認知されて論争に火がついたのは青柳美帆子さんのブログエントリーがきっかけのように思える。

恋愛工学が謎タームばかりでめっちゃキモ面白い件 - アオヤギさんたら読まずに食べた


恋愛工学がなぜ流行するのか?

 記事を書くにあたって、一記事200円の有料メルマガ(ブロマガ)を、全部ではないがちゃんと金を払って読んだ。藤沢数希氏の著書である「僕は愛を証明しようと思う」も立ち読みで斜め読みだが一応は読了。

ぼくは愛を証明しようと思う。 (幻冬舎単行本)

ぼくは愛を証明しようと思う。 (幻冬舎単行本)

 恋愛工学が提唱する、「非モテコミットしてはいけない(一人だけを見ると失敗するから同時並行で色んな女性にアプローチしろ)」などの理論は、散々言い尽くされてきたようなことの焼き直しであり、恋愛工学の本質的な部分はそこにはない。

 恋愛工学の人気と盛り上がり、またそれに対する批判の多さは、それが持っている宗教的な構造に拠っている

 恋愛工学は、学際的な学問とか新しいテクノロジーとかを謳っているがその内実は新興宗教であり、有料メルマガというプラットフォーム、主観によって左右される男女関係、それを文字情報にする際の抽象化作用、を組み合わせることで作り上げられた信者ビジネスだ。


宗教と科学の違い

 恋愛工学は、最先端の学問の知見を学際的に取り入れてレベルの高い女性を獲得する科学的な方法論、みたいなことが喧伝されているが、実態は宗教であるのに信者に対しては「科学」を語るというのは、新興宗教ではオーソドックスな手法なのかもしれない。オウム真理教は真理に到達するための画期的で科学的な方法を謳って信者を集めた。


 宗教と科学の違いについて、宗教は起源となる物語や人物を疑ってはいけないのに対し、科学はその起源を誰もが検証できなければいけないということになっている。僕は別に宗教のことを悪く言いたいわけではなく、キリスト教や仏教のように、超越性を想定するからこそ得られる知性や教養のあり方も当然認める必要があるだろう。一方で科学は、どこまでも原理的に考え、「正しいから正しい」を打破する可能性を持っている。そして、科学にとっては「誰でも実験できること(反証可能性)」が最も重要なことになる

科学的発見の論理 上

科学的発見の論理 上

 科学は宗教的解釈の相違から生まれてきたが、「正しいから正しい」という宗教的な権威を、その「反証可能性」によって打ち破った。反証可能性とは、同じ前提条件で同じ手順を踏めば誰がやっても同じ結果が反証されることであり、物理的な法則はその筆頭だ。自分では別の信念を持っていたとしても、何度も何度も誰が試しても同じ結果が確認されれば、「くやしい!認めたくないのにっ!でも等加速度運動しちゃう…!(ビクンビクンッ!)」みたいな感じで、人々は段々と「科学」を信じるようになっていく。だからこそ、科学にとって最も重要なのが誰でも実験、検証できることなのだ。

 物理的や化学がハードサイエンスとして成り立つのは実験がしやすい分野だからで、同じ理系とされる分野でも地学や生物学は実験が難しい場面が多いので「科学」らしさは薄まる。経済学は数理的なモデルをよく扱う領域だが、実験ができない場面が多いからハードサイエンスにはなり得ない。歴史などは実験が不可能だし、教育においての実験は人体実験を意味するので、倫理的に考えるなら教育とは科学にしてはいけない領域である。

 文系学部不要論もこのような背景から出ていて、「実験できないなら結局好きなこと言えるし、それだと科学にならないのでは?」ということである。だが、世の中には「科学」になり得ない領域があまりにも多いということを認識しておくべきだろう。

 実験が難しい領域は、発言の引用元(ソース)を明確に記述することによって、学術性を担保している。つまり、発言の引用元を辿ることによってその意見の正当性を誰もが検証できるようにする。こうやって「正しいから正しい」という論法を禁止するからこそ、科学的で建設的な議論ができるということになっている。だから引用をしっかりやることが学術にとって何よりも大事で、今は見る影もないが、初期の2ちゃんねるは議論をするとき発言のソースを提示するのがルールだったそうだ。


 恋愛工学に限らず、「自分の頭できちきちり~ん?」とか「まだ東京でトマトおいしい!」など、色んな人が色んなことを言う。何か自分なりに切り込んで考えたり、騙されないようにするためには「その主張の正当性が何を担保にしているか」に注目するのが一つの方法だと思う。昔からこうなっているからとか、自分が上司だからとか、まあ色んなパターンがある。

 よくテレビに出演する成功した経営者などにありがちなのは「自分は成功したから正しい」という論法だが、こういうのはまったく科学的ではない。じゃんけん大会をすれば優勝者が必ず一人は出る。


小保方晴子騒動

 「科学」の正当性に関して、小保方晴子の事件は記録に新しい。小保方さんに関して藤沢数希は、オボちゃんは悪いことをしたけど文系の馬鹿よりは遥かにマシ、みたいなよくわからない擁護?をしていた。ただそれ以上に、こいつ本当にゲスいなと思ったのは笹井芳樹さん非モテコミットの件だが。

 ともかく、小保方さんは当時「STAP細胞はありまあす!」と弁明してテレビはそれを繰り返し放映していた。しかし、それが「ある」か「ない」かという問題ではなく、学術的に重要なのは「同じ結果が確認される実験の詳細な方法」を提示することであって、属人的な”コツ”とかが介在する時点でそれは科学的ではないし、今後STAP細胞に該当するものが見つかったとしても小保方さんの評価が覆ることはありえない。だって、仮にスタップ細胞の登場を予言してそれがあった場合に預言者の功績になるとしたら、皆があるかないかわからないものを予言しまくる競争になってしまう。(数学や理論物理学の「予言」は数式から導き出される。)科学において重要なのは、誰でも検証できるように実験の方法と過程を詳細に提示することだ。


恋愛は科学になりうるか?

 前置きが長くなってしまったが、ここまでの前提を踏まえた上で、恋愛や男女関係は科学になりうるだろうか?

 理論上は、前提条件を厳密に定めた上で、科学的な方法論を採用することが可能である。おそらくそれは「恋愛」と呼ぶには相応しくないだろうが、異性と性的な関係を結ぶためにはどうすればいいか、という目的のもとに、条件を設定した上で実験を繰り返し、それを検証可能な形で提示すればいい。しかしそれは、もし本当にやってしまえば著しく人道に反する。

 そして藤沢数希の恋愛工学は、その「人道に反する」ことをやっているわけではない。あくまで仮定としてはその実験が成り立つということと、それを本当にやってしまえば人道に反するということを利用して、科学の皮を被った宗教である恋愛工学を作り上げた

 それは、アクターの主観に大きく依存し、またプライバシーの配慮からその詳細を共有できないという特徴を持つ「恋愛」を対象にしているからこそできることだ。そして恋愛工学の人気は「科学に見せかけた宗教」という部分に拠っている。具体的に、①有料メルマガという形態をとっていること、②すべてが文章でのやりとりで構成されていること、が宗教が成り立つ土台になっている。


有料メールマガジンというプラットフォーム

 恋愛工学がすごいのは、恋愛という対象と有料メルマガの特徴を最大限に引き出している信者ビジネスだからだ。これを確立したという点に関しては、藤沢数希は評価に値すると思う。

 科学が科学であるために重要なのは誰もがソースを遡って検証できるということだが、有料メルマガの特性上、ソースを見るために課金が必要ということになっている。これはなかなか上手い!こうやって批判してる僕も藤沢数希にお金を払っているわけだからね。


 実際に課金して見てみたメルマガの内容は、①藤沢数希のテキスト、②マーケットやレストランの記事、③読者投稿コーナーと、どれも似たような構成になっている。

 まず①藤沢数希のテキストだが、有料メルマガだから無料のものより質が高いということは一切なく、むしろ低い。公平を期すために言うなら、藤沢数希はもともと人気ブロガーであり、それなりに面白くてなるほどと思わせる記事も書いてある。

金融日記:香港の悲惨な恋愛市場

 例えばこういうのは恋愛の市場調査みたいで面白い。しかし実は、藤沢数希の記事の中でそれなりに有用だったり面白いもの、一番良い部分はすべて無料公開されている。有料記事だからと言ってクオリティが高いわけではなく、それではメルマガで何が書かれているかというと、身内向けのモチベーショントークだ。

 要約するなら、「恋愛工学というのはとても凄くて素晴らしくて本当にヤバい画期的な方法論で、恋愛工学を受講している君たちは勝ち組で、結局のところ男はいい女とセックスできるかどうかで価値が決まって、女子の悩みを聴いたりする面倒な仕事はチ◯ポ騎士団(藤沢数希はメルマガを受講していない男のことをそう呼んでいる)達に任せて、俺たちはひたすらいい思いをしようぜ!」みたいなことが毎回書かれている。

 メルマガには続きが気になるようなキャッチーなテーマのものもあるが、中身は全部同じで、仕組みがわかってしまえば校長先生の話よりも退屈だ。


 モチベーショントークの次には、②間を埋めるためのマーケットやレストランなどの話。恋愛工学のノウハウが使える「ブログではいえないお店」ということになってるが、単に行ったことのある店を紹介してるだけだと思う。


 そして、③読者の体験談や交流コーナー。有料メルマガのテキスト量の大半をこの部分が占め、要は「◯◯を使って成功しました!」という話を他の読者と共有して「恋愛工学最高!」みたいな感じになっている。

 これが有料メルマガの全貌で、週に一回投稿されて月額800円ちょっと。値段分の価値があるとは到底思えないが、信者ビジネスにしては良心的な価格設定だ。


 ここまでで述べてきた有料メルマガの何が宗教的かと言うと、藤沢数希がいなければ「恋愛工学」が成り立たない点で、どうみても宗教です本当にありがとうございましたということになる。誰もが原理を追求していい「科学」なら、藤沢数希抜きでそれぞれのメンバーが恋愛工学の原理(もしそんなものがあるのなら)について遡って考えてもいいはずである。しかし、恋愛工学のすべてのやりとりは、藤沢数希が管理する意見受付用のメールアドレスに信者が投稿して、それを有料メルマガで発表するという形でなされている。当然ながら教祖にとって都合の悪いものは表に出てこない。

 「すべては女性とセックスすることにある」という似たような価値観を持った試みでも、ナンパブログは恋愛工学に比べればまだ科学的と言える。それぞれがナンパに対しての方法論と議論を戦わせることができるからだ。しかし、結局のところ恋愛工学もナンパブログも科学にはなり得ない。なぜならそれがテキストで書かれていて、さらにはプライバシーが配慮されているからだ


「文章」で書かれているからこそ恋愛工学やナンパブログが成り立つ

 恋愛工学やナンパブログみたいなものは、それが文章で構成されているからこそ流行する。実際の藤沢数希と彼に引っかった女性の姿が画像なり動画なりで客観的に検証できるなら、「あっ…お幸せに」となって誰も恋愛工学に見向きしなくなるだろう。

 実物よりも写真のほうがずっと美人に見える「写メ詐欺」とか「フォトショマジック」というのがあるが、文章の抽象化作用、美化作用はその比ではない。恋愛工学やナンパなどで頻出する「最高の女性」とか「究極の美女」とか「S級女子大生」みたいなものは、当然ながら実態から乖離した架空概念である。

 それが画像なり動画なり、まだ少しでも検証しようのあるものなら「あっ…」で終わるのだが、文章で書かれている場合、それぞれが(宗教にハマっているほど)自分の理想的な形で受け取ってしまう。文章は画像などと違って桁違いに捏造をしやすく、恋愛工学にしてもナンパブログにしても、やったかやってないかという事実から、その対象になる女性のレベルまで、すべて筆者の自己申告だからこそ流行するのだ。相手の女性の”レベル”みたいなものは個人の主観に大きく依存する。基準を明確に定めれば客観的な文章の書き方はできるが、恋愛工学のテキストでは対象を明確に定まらなくする方向に文章を使っていて、その言い訳として「プライバシーの配慮」がある。


 法的、倫理的な問題から、男女関係を論じるときはプライバシーを考えないといけない。しかしプライバシーに配慮したならば、誰もが検証できる「科学」にはなり得ない。「男はレベルの高い女をゲットするしかない!それが唯一のことだ!」と豪語しながら、一方でそれぞれ感じ方が違うという、恋愛の明快にはなり得ない部分、明快にしてはいけない部分をうまく利用して、科学の皮を被った宗教を作り上げたのが「恋愛工学」だと言える

 恋愛工学がその内容の正当性をどうやって保証しているか。それは科学であること(誰もがソースを検証できること)でないのは明らかだ。恋愛工学は、教祖である藤沢数希がレベルの高い女性を獲得する能力があること、その方法を知っていることに正しさの基準を置いている。そしてその根拠になる部分がプライバシー配慮の名目上、抽象的文章で書かれているなら、それは信じるしかない

 恋愛工学の実態は藤沢数希がモテるということを信じなければならない「宗教」であって、その形式をとっている以上ノウハウも正しく検証できる形では共有されないので、工学(テクノロジー)ですらない。ただの信者ビジネスで、ただの信者ビジネスであるが故に人が集まる。(学術的な厳密さなんて普通の人は好まないから)


恋愛工学の様々な矛盾

 恋愛工学に対して原理的に考えていくと、様々な矛盾や欠点に突き当たることになる。あんまり突っ込みすぎるのも君が泣くまで殴るのをやめないッ!みたいで嫌だが、ブロマガを買った分のもとはとりたいと思う。


なぜ恋愛工学徒は恋愛工学を布教しようとするのか?

 相対的に価値の高い女性というリソースが限られていると仮定するなら、当然そこには奪い合いが生じる。恋愛工学徒からすれば、そのノウハウがあまり共有されていないほど自分が成功する確率は高まるのに、なぜか皆に布教しようとする。自分の男性としての効用の最大化を目的として話が進められているかと思えば、いきなり「恋愛工学が広まれば皆が幸せになれる!」みたいな展開になって、わけがわからないよ。振興宗教としか言いようがない。

 まあこれも古典的なアレで、将来が予測できたり投資の優れたノウハウを本当に知っているなら、自分でそれを実践して儲けるだろって話になる。投資本のベストセラー「金持ち父さん貧乏父さん」の著者は自分で投資せずに印税で儲けたと言う。恋愛工学は藤沢数希がブロマガで儲けるためだけの信者ビジネスである。

金持ち父さん貧乏父さん

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恋愛工学は粉飾し放題

 恋愛工学の教祖である藤沢数希やナンパビジネスをしているカリスマナンパ師などは、自分がモテると他人から思われることで、それが利益に繋がる。そしてそれは文章による自己申告なので、いくらでも好き勝手なことが書ける。そのような状況にありながら、一方で彼らが誠実さなど何の意味もないという旨の主張をしている滑稽さに読者は気づくべきだろう。

 そして、字面だけで見ればこの世に生きるあらゆる女性を手篭めにしているように書いているが、自分の生活圏内やナンパで声掛けできるようなスポットにいる女性という時点で何分の一にも絞られ、さらに統計確率的な手法での声掛けに反応してくれる人で何分の一に絞られ、さらにそこからベッドまで持ち込める相手…みたいな感じでスクリーニングしてけば「それハッテン場と変わらなくね?」ってことになる。

 もともと「ザ・ゲーム」に出てくる海外のナンパはバーやクラブなどの社交場を舞台にしているわけだし、ナンパで1000人斬りとか恋愛工学の手法でヤりまくりとか言っても、同じような層でぐるぐる回ってるだけかもしれないよ。

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恋愛工学に成功はありえない

 そもそも、俺達がいい思いをしているのに対してノウハウを知らない奴らはいい思いをしていないから馬鹿だ、という論法が破綻している。いい思いをしているとか満足しているというのはそれ自体が自足的なものなのであり、本当に満たされた人は「僕は満足してます!ね?僕っていい思いしてるよね?そう思うでしょ?」みたいなことをブログやTwitterにこまめに書き込んだりしない。

 そして、恋愛工学やナンパを続けていること自体、それが成功していないことを意味する。本当に「最高の女性」をものにできるノウハウを持っているのなら、なんでお前はまだ一生懸命ナンパをしているんだ?ということになる。つまりはゲームクリアのないソシャゲと同じでサービス終了まで課金し続けろということである。信者ビジネスとしては合理的だね。


恋愛工学の何がまずいのか?

 本人達が好きで盛り上がってるならそれでいいじゃないか。仮に宗教だったとしても信仰の自由は尊重されるべきだ、というのはその通りなのだが、現実の偏った部分だけを切り取った暴力性と、その偏りを認めないまま藤沢数希を教祖とした宗教的な高揚感と一体感に依存しているコミュニティは、当然ながら危険だ。恋愛工学を批判したり叩く人が多いのも、その危険性を感じ取っているからだろう。


 たぶん恋愛工学のような信者ビジネスは、内部の価値観に浸ってしまえば楽だし気持ちいいのだと思う。「こういうやつがモテるんじゃね?」という誰もが仲間内でやるような話を最先端のテクノロジーと称し、少年漫画に出てくる「超サイヤ人」や「聖帝十字撃」みたいな用語を使ってみんなで盛り上がる。楽しいのはわかるが、その盛り上がりの根本が宗教的な特性に依存していることを忘れてはいけない。オウム真理教だって「ポア」とか「左道タントライニシエーション」とか「水中クンバカ」みたいな用語を作って身内で盛り上がっていたのだ。


 恋愛工学が注目されるにつれ、どんどん振興宗教っぽくなってきている。例えば、最近発売された藤沢数希の著書「僕は愛を証明しようと思う」の最も参考になったレビューなんて酷い。

Amazon.co.jp: ぼくは愛を証明しようと思う。の サウザーさんのレビュー

 まあ見てもらえばわかるけど、これが最も参考になったレビューで、信者が票を入れているのだろう。他にもTwitterやブログで色々な信者が「僕は最先端のテクノロジーを身につけたので女子からの反応が良くなりました!最強です!超サイヤ人です!」みたいなことを真面目にやってるのだ。


 オウム真理教は大規模なテロ被害を出すことで、その活動が終局に向かった。恋愛工学徒が集団強姦事件みたいなことを起こす確率は、高くなりつつあると思う。「東京はでっかい無料のソープランドみたいなもの」と藤沢数希は主張しているし、恋愛工学徒の持ち技の一つである「トモダチンコ」は、最後の詰めのフェーズでチンコを押し付ければ、相手の女性は観念して(性的に興奮して?)、行為になだれ込めるということになっている。メルマガでは実際に「固かった彼女のガードをトモダチンコの一押しによって崩しきることができました!」みたいな文章が信者によって投稿されている。怖えーよ!ゴーマンかますとか通りすぎて狂気だよ!小林よしのりに説教されたほうがいい唯一の集団が恋愛工学徒だと思う!

ゴーマニズム宣言PREMIUM 修身論

ゴーマニズム宣言PREMIUM 修身論

 真面目な話、恋愛工学による被害は性に関することだけに表面化しにくいだろうし、もし大問題になったとしても、藤沢数希は無事に逃げれるようになっている。

 有料メルマガの末尾に書いてある免責事項を引用する。

  • 免責事項: 本メルマガの情報により、みなさまに発生あるいは誘発されたいかなる損害について、メルマガ作者、メルマガのディストリビューター及び全ての関係者は一切その責任を負いません。本メルマガ作者は弁護士の資格を持っておりません。実際の法律相談、法的措置等に関しては、弁護士にお問い合わせ下さい。本メルマガはいかなる金融商品を勧誘するものでも、投資情報を提供するものでもありません。18歳未満の青少年との性行為は青少年保護育成条例により罰せられる可能性があり、本メルマガでは未成年者との性行為はできる限り避けるように注意喚起しており、万が一に刑罰の対象になったとしても、メルマガ作者、メルマガのディストリビューター及び全ての関係者は一切その責任を負いません。強引に性行為に及ぼうとする行為は、強制わいせつ罪、強姦罪などで告訴される可能性があり、本メルマガはそういった犯罪行為を助長するものでは決してありませんし、万が一にそのような事態になったとしても、メルマガ作者、メルマガのディストリビューター及び全ての関係者は一切その責任を負いません。本メルマガの情報により恋愛経験や性交回数が増え、その結果、HIVを含む性感染症、望まぬ妊娠、夫婦関係の破綻などが発生したとしても、メルマガ作者、メルマガのディストリビューター及び全ての関係者は一切その責任を負いません。

 すべてのメルマガ、ブロマガの末尾に、この長くてしつこい免責事項が書かれている。藤沢数希は馬鹿ではないので、自分が何をやっているのか、それが何を引き起こしかねないのかを十分に自覚している。恋愛工学徒は毎回これを見ても馬鹿だから何も感じないのだろうか。それとも「リスク回避超大事!さすが藤沢先生マジリスペクト!」と思ったりしてるのだろうか。


恋愛工学の厄介さ

 恋愛工学に人が集まる理由は理論の良し悪しではなく宗教的な構造にあり、ある極端な仮定を元にして、あらゆる議論や面倒さを放棄してそれを信奉するのは楽だろう。自分が特別な者になれるという高揚感を得ることもできる。

 信者ビジネスは他にも色々あるが、恋愛工学の会員料は月額840円とお布施にしてはかなり安く、恋愛という広く関心の集まる分野を狙った、テキストのみの薄利多売信者ビジネスだ。教祖は藤沢数希一人であり(藤沢数希という集団である可能性もあるが)、人前に出るリスクを負うこともなく、メルマガは片手間で更新できるような内容なので、十分すぎるほど美味しいだろう。

 藤沢数希自体はブログの下積みも長いし、人気ブロガーとしての実力もあるが、注目を集めることができるネタは寄稿という形で他メディアに無料で投稿して、有料メルマガでは信者を持ち上げて外側を馬鹿にする身内向けの内容。恋愛と金融工学を組み合わせたように見せかけ、馬鹿の関心とプライドをうまい具合にくすぐるという、まさに文字媒体信者ビジネスのお手本だ。

 このようなものが流行するのも、なんとなくわかる。婚姻という古くからあった枠組みですら機能不全になりつつある世の中で、過激さとわかりやすさを追求した「決め打ち」に対抗するのは段々難しくなってくる。これからどんどん新しい藤沢数希が生まれてくるだろうし、ニッチな部分を狙った信者ビジネスはすでに恋愛工学よりずっと酷いだろう。恋愛工学は信者ビジネスの中でも扱う領域が広く、比較的毒が薄いマイルドなものだと思う。


 そして、「僕は恋愛工学のおかげでどん底の人生から救われたんだ!」みたいな人もいることはいる、というのが厄介だ。オウム真理教やISISだって社会的弱者の受け皿という側面を持ち合わせている。恋愛工学は危険だし間違っているが、女性に蔑ろにされ続け現実に打ちひしがれた人間に対して、相応の常識や倫理的な正しさを説くのもまた不当なことのように思える。


恋愛工学徒に言いたいこと

 僕は恋愛工学の信奉者を、特別にミソジニーだとか下卑た人間だとは思わない。頭悪いんだなとは思う。ナンパブログにも言えることだが、恋愛工学徒が書いたりしてるものを見て思うところがあるのは、「とにかくやりまくりたい!」とかじゃなくて「ただ普通に女の子と仲良くなりたいだけなんだ…」という人が少なくないことだ。そのための方法論として恋愛工学を使おう!みたいな感じでみんな頑張っていて、それは本末転倒のような気がするのだが、そういう人は、自分が惹かれているものの根本に宗教的吸引力があることを自覚したほうがいい。


 何度も言うように「最高の女性」とか「S級美女」とか「普通の女の子」というのは架空概念で、そこから演繹的に現実を捉えるのって、二次元美少女の水準を現実の女性に求めるのと同じことだと思うよ?

 佐々木希だって堀北真希だって生身の人間なのであって、その実態を詳細に検討すれば最高とか究極みたいな言葉は当てはまらない。そして結局のところ、人は誰かを「最高」だと勘違いするしかないし、どうせならお互いに勘違いしたほうがいい。

 そういう種類の幻想を廃して世界を合理的に切り取りたい、という欲望を誰もが持っていることも事実だろう。だが、自分の手にする効用をすべて自分で引き受けようとするなら、ゴールは永遠に訪れない。十分過ぎるほどモテるという状況は男にとってあり得ないし、そんなことを主張したり自慢する奴はそれこそ勘違いしているか嘘をついている。何の誤認も幻想も抜きにして、異性から得られる性的な効用のみを求めるなら、その欲望には際限がない。それこそ男なら、自分の欲望を規定するものの特性くらいは理解しておくことだな(キリッ)

忙しい人を支える賢者の生活リズム

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 この記事はそこそこSEOが強いはずなので、「恋愛工学」と検索してこれを読んでいる人は多いと思う。僕が何かをとやかく言える筋合いもないのだが、とりあえずここまで読んでもらえたことに感謝したい。

 「金がすべて」とか「いい女とセックスすることがすべて」みたいな価値観が僕達の一面を構成することも確かで、この世界に明確な答えがない以上、それを否定しきることは難しい。結局のところ、僕だって何をしたらいいかわからないからだ。(彼女ほしい…。)

 それでも、考えることを放棄した生き方はかっこ悪いしつまらないよ、と僕は言いたいのだけど。



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