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経済学の名著30

 経済学の古典を30冊、簡単な要約と解説を添えて紹介していく本。中で紹介されている古典もそうですが、この本自体が非常に良書なのでおすすめです。

経済学の名著30 (ちくま新書)

経済学の名著30 (ちくま新書)

 作者は幅広い分野で活躍している松原隆一郎氏。ただ紹介するだけでなく、短いながらも的を射た解説つきで、ざっと読むだけで勉強になります。年代順の紹介で経済学の議論の流れが掴めるような構成です。

 本ブログエントリーはその要約の要約。


ジョン・ロック『統治論』(1690)

完訳 統治二論 (岩波文庫)

完訳 統治二論 (岩波文庫)

 本書は名誉革命を正統化する文章として読み継がれてきた。1688年に起こった名誉革命を、人々の同意によって作られた権力以外には従わない民主主義政治革命として位置づけている。これを経済という側面に注目して読むと、市場社会の勃興という流れに則した統治がいかなるものか、というテーマを含んでいることがわかる。

 ロックは、多数決、国民主権、抵抗権などの概念を個人の自由や法の支配という原理から導いたが、これは同時に、「自己決定する主体」と「生産要素の私的所有権」をも定めた。また、資源が有限だという前提ではない、「労働によって資源が増えるという前提での市場経済」の分析はロックが創始したものだ。


ヒューム『経済論集』(1752)

経済論集 (1967年) (初期イギリス経済学古典選集〈第8〉)

経済論集 (1967年) (初期イギリス経済学古典選集〈第8〉)

 ロックは理性的な人民の社会契約によって近代的な自由主義国家が現れたとした。一方でヒュームは、キリスト教が嫌った消費への欲望、社会に変動をもたらす技術革新を肯定することで、ロックとは別の形で市場文明の幕開けを告げた。

 本書は勃興しつつあった市場社会を論じている。ヒュームの見方では、消費への欲求にもとづく奢侈と技術革新が欲望と勤勉の好循環を生み出し、趣味や作法を洗練させ、それは市場を拡大しつつ文明を発展させる。


アダム・スミス『道徳感情論』(1759)

道徳感情論 (講談社学術文庫)

道徳感情論 (講談社学術文庫)

 アダム・スミスはご存知の通り古典派経済学の創始者だ。本書は1967年の『国富論』より17年前の著作だが、その後の1970年に「まったく別の著作」と評されるほど大幅に書き直された。彼がかつて言い損ない、最晩年に言い残したことが書かれている。

 スミスが関心を寄せたのは、「フェア・プレイを侵犯されたとする基準は何か」という問題だった。18世紀の半ばには、以前までは認められなかった富を名誉と出世を目指す競争が受け入れられつつあった。そこでは競争相手を追い抜いて構わないとされたにもかかわらず、ある一線を越えるやり方で他人を押しのけるのは許しがたいこととされた。なぜなら、他者への侵害が市場社会を存続し得なくするからだ。そしてそれは、どうして人が誰かのアンフェアな行為で不利を被った他者に「同感」できるのかというテーマにも繋がっている。


ジェームズ・スチュアート『経済の原理』(1767)

経済の原理 第3・第4・第5編 (名古屋大学出版会古典翻訳叢書)

経済の原理 第3・第4・第5編 (名古屋大学出版会古典翻訳叢書)

  • 作者: ジェイムズステュアート,小林昇,James Steuart,飯塚正朝,竹本洋,柳田芳伸,渡辺恵一,奥田聡,中西泰之,渡辺邦博
  • 出版社/メーカー: 名古屋大学出版会
  • 発売日: 1993/10
  • メディア: 単行本
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 スチュアートは有効需要論や発展段階説などの重要な考えを生み出したが、「悲劇の経済思想家」という印象がつきまとっている。スミスの『国富論』よりも9年早く経済学を体系的に論じておきながら読者に見逃され、盛名において天と地ほどの差がある。また、市場への介入を論じたことから重商主義者という誤解も長らくつきまとっていた。

 彼は、貨幣経済の不安定性や有効需要の創出を述べた点ではマルクスやケインズ、発展の段階に注目した点ではリストを生み出す源泉であった。しかし20世紀以前にスチュアートを高く評価したのはマルクスのみだった。


アダム・スミス『国富論』(1776)

国富論 1 (岩波文庫 白105-1)

国富論 1 (岩波文庫 白105-1)

 「各人が社会全体の利益のために努力しようと考えているわけではないし、自分の努力がどれほど社会のためになっているかを知っているわけでもない」のに、「見えざる手に導かれて」人々の自由な振る舞いは市場のメカニズムによって適切に調整される。妙な政策によって歪められずに自然な状態におかれれば、市場経済は物的な豊かさを最大限の引き出すことができる、というのが本書の中心的な主張。

 しかしスミスは本書後半の「自然な資本投下の順序」という考え方で、利益率が同じであるなら、まず資本は土地の農業の投じられ、次に都市の製造業へ、そして貿易は後回しにするべきだと述べている。名著として広く知られていながら、このようなスミスの考えに注目が集まることは少ない。彼は自由貿易を唱えてはいたが、人々は当たり前のようにコミュニティの経済や国民経済を優先するはずだ、という前提を信じてもいたのだ。


デヴィッド・リカード『経済学および課税の原理』(1817)

経済学および課税の原理〈上巻〉 (岩波文庫)

経済学および課税の原理〈上巻〉 (岩波文庫)

 これまでの経済学者は道徳的存在として人間を捉えていたのに対して、リカードは「特定の定義のもとでの限定的な市場経済」を仮想し、数式こそ出てこないものの周到な論理展開を持つ経済学を論じた。リカードの「比較優位」説は高校の教科書に出てくるほど有名。

 本書で注目すべきは、交換価値(価格)が投下労働量に比例するという投下労働価値説を唱えたところ。アダム・スミスも投下労働価値説を論じていたが、それは地代も利潤も存在せず、自分で得た商品のみが交換される初期未開経済だけに当てはまるとした。一方でリカードは、資本や土地を用いて他人を雇う資本主義社会にも投下労働価値説が妥当だとした。これが後にマルクスを感激させ、余剰価値論を思いつかせるきっかけとなった。


フリードリッヒ・リスト『経済学の国民的体系』(1841)

経済学の国民的体系 (1970年)

経済学の国民的体系 (1970年)

 経済史において優勢を保ってきたのは貿易自由化の勢力だった。ケネーらの重農主義、古典派のスミス、比較優位説のリカード、新自由主義のフリードマンという流れだ。それに対抗する「幼稚産業保護」などの主張でリストは知られている。リストはドイツの経済学者であり、当時のドイツはヨーロッパの中でも田舎だった。

 例えばイギリスは、東インドからの輸入を航海条例によって規制したために、亜麻、木綿、絹、鉄といった国内工業の育成を行えた。そして発展の頂点に立った以後、イギリスの経済思想家達は「はしごを後ろに投げ捨てる」ようにして自由貿易を唱えている。

 リストは二つの点で自由貿易論を批判する。第一に、発展には段階があること。産業は保護しなければ育たず、発展の初期に経済先進国と自由競争をさせるのは幼児と成人が格闘するのと同様の結果になる。第二に、経済は物質と精神、世界性と地域性、個人と社会という二つの面を持っている。青年の教育、法の維持、国防などの公的支出は民間の交換価値を奪うが、長い目で見ればそれがあってこそ社会全体の生産性が高まる。


J・S・ミル『経済学原理』(1848)

経済学原理〈第1〉 (1959年) (岩波文庫)

経済学原理〈第1〉 (1959年) (岩波文庫)

 1890年にマーシャルの『経済学原理』が現れるまで、本書は経済学の代表的な教科書として普及していた。豊かさの観念、自由論、人間観、それぞれにおいて魅力的な本だ。ミルは名文家として知られ、経済学に限らない多作な思想家だった。

 ミルは、彼流の功利主義にのっとって人類に幸福をもたらす経済制度を求め、現実社会を漸進的に改革する道を模索した。寛容さを求める自由論者のミルからすれば、マルクスの革命論はやがて他者への危害も招き寄せるであろうほど急進的すぎた。この洞察は一世紀半の時間を経て的を射たものだったことが明らかになる。


カール・マルクス『資本論』(1867)

資本論 1 (岩波文庫 白 125-1)

資本論 1 (岩波文庫 白 125-1)

 『資本論』についてはあまりにも多くのことが語られてきたが、現代から振り返っての経済学的な核心は二つ。一つは、貨幣はどんな商品とも交換できるのに、商品は貨幣と交換されるとは限らないこと。「命がけの宙返り」が果たされ、貨幣が商品から「流動性」という万能の価値を持つようになる。「欲望の二重一致」は偶然にしか起きないから、手持ちの商品と自分の欲する商品を交換するための手段として貨幣が導入されたというフィクションが生まれたが、商品を売って貨幣を得ることと貨幣で商品を買うことは根本的に非対称であり、マルクスはその謎を解明する。二つ目は「投下労働価値説」と言われるもの。これはリカードも唱えていたが、マルクスはただの商品だけにではなく、「労働力という商品」にも労働価値説を適用した。


レオン・ワルラス『純粋経済学要論』(1874)

純粋経済学要論―社会的富の理論

純粋経済学要論―社会的富の理論

 ワルラスの主著は彼の生前にあまり読まれなかったが、20世紀に入ると本書が展開した「一般均衡理論」は誰もが共有すべき理論と注目されることになる。1936年に書かれたケインズの『一般均衡』は本書への反論として一世を風靡したが、戦後のアメリカではケインズ理論のほうが本書の「一般均衡理論」に吸収され、後に「IS=LM」や「総需要=総供給」というマクロ経済学の主要な理論に繋がっていく。

 彼の理論は、自由主義のもとで市場が自動的に需給の均衡をもたらすことを論証する資本主義経済の擁護に使われたが、ワルラス自身は土地の国有を主張する社会主義者だった。多くの社会主義者の主張は「結果の平等」を求めるものだったが、ワルラスは「条件の平等化」のためにこそ土地の公有化が必要だと考えた。


ソースティン・ヴェブレン『有閑階級の理論』(1899)

有閑階級の理論 (岩波文庫)

有閑階級の理論 (岩波文庫)

 ヴェブレンは、階級の上下を消費の見せびらかしや見栄の張り合いによって示そうとする文明社会の経済を「野蛮」と評して、読者からの熱狂的な評価と同時に敵意をも買い取った。もともと人間の本能は「有用性や効率性を高く評価し、不毛性、浪費すなわち無能さを低く評価する」ものであったが、暴力で他を屈服させるようになるとその証拠として戦利品を見せびらかすようになり、市場社会が開かれると習得に有閑が必要な礼節や教養が重んじられ、見知らぬ人との接触が多くなる機会産業の時代には有閑よりも消費が評価される。裕福さのわかりやすいシンボルが必要だからだ。

 消費は個人の欲望の充足というよりも、「裕福である」とか「どの階層に属しているか」を見知らぬ他者に対して示す自己表現の手段となった。これは経済学の議論からすれば、「供給されたものはすべて需要される」という供給ベースの考え方を批判し、需要の側から経済を考える視点になる。


ヴェルナー・ゾンバルト『ユダヤ人と経済生活』(1911)

ユダヤ人と経済生活 (講談社学術文庫)

ユダヤ人と経済生活 (講談社学術文庫)

 なぜ資本主義が発展したのかという問題について、日本で有名なのはマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』だ。いわゆる『プロ倫』は、カトリックの「節制」が資本主義を作り上げたと説明する。一方でゾンバルトはこの論に反対し、「奢侈」が資本主義を作り上げたと主張する。

 ユダヤ人が流入した地域は勃興し、退出した地域は衰退した。ユダヤ人はいかなる苦境にあっても世界を肯定し富を楽しむ態度を勧める。ゾンバルトによれば、資本主義の理念とはつまるところ営利であり、それは長期的展望のもとで事物に関心を持つ「企業家」と、有利な仕事をしようとする「商人」の「二つの魂」から成り立っている。

 経済思想史の展開を見れば、企業家の投資活動に注目するウェーバー説は、アダム・スミスや新古典派の供給重視の立場にあり、奢侈や商売熱心さを重視するゾンバルト説は、ヴェブレン、ボートリヤール、ハイエクなど需要重視の立場にある。


ヨーゼフ・シュンペーター『経済発展の理論』(1912)

経済発展の理論―企業者利潤・資本・信用・利子および景気の回転に関する一研究〈上〉 (岩波文庫)

経済発展の理論―企業者利潤・資本・信用・利子および景気の回転に関する一研究〈上〉 (岩波文庫)

  • 作者: J.A.シュムペーター,Joseph A. Schumpeter,塩野谷祐一,東畑精一,中山伊知郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1977/09/16
  • メディア: 文庫
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 本書以前の発展のイメージは既存の枠組みの中での量的な変化にすぎなかった。しかしシュンペーターの言う「発展」は、「郵便馬車をいくら連続的に加えても、それによってけっして鉄道をうることはできない」ように、これまでの延長にはなりえない不連続なものだ。

 シュンペーターが重視する「イノベーション」は、土地や労働に対してより高い対価を提示しなければならない。そのための資金は「貯蓄」によってまかなうことはできず、銀行による「信用創造」が必要になる。銀行と企業家がリスクを負って未知の可能性に懸けることでイノベーションが可能になる。


アルフレッド・マーシャル『産業と商業』(1919)

経済学原理 1

経済学原理 1

 マーシャルと言えば、経済の一部門において需要曲線と供給曲線が交差する点で価格と量が定まる「部分均衡分析」が有名だ。(高校の教科書に出てくるやつ)

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 収穫逓増と企業の共存に関して有名な「マーシャルのジレンマ」は、企業が収益逓増の状態にあるとき、生産量を増やすほど費用が下がるから競争力が増し、他の企業を淘汰して独占に至るため、競争が維持されなくなってしまうという問題だ。

 マーシャルは企業制度に関心を寄せていて、株式会社が普及すると所有と経営が分離し、株主が短期的な利益の追求に走ることで競争の場が破壊されてしまうと考えていた。彼はあくまで中小企業に期待をかけ、大企業には短期的な利益に走らない「経済騎士道」を求めた。結局はマーシャルの意に反した方向に歴史が進んでいくのだが。


フランク・ナイト『リスク・不確実性および利潤』(1921)

危険・不確実性および利潤 (現代経済学名著選集 6)

危険・不確実性および利潤 (現代経済学名著選集 6)

 ナイトは、ヴァイナーやサイモンズと共に自由主義市場経済を擁護するシカゴ学派の創始者だが、彼自身は独占的な企業体を自由の象徴とみなす新自由主義者に対しての強力な批判者でもあった。ナイトは、将来の変化につき確立で予測できる「危険 risk」と、主観的にしか推定できない「不確実性 uncertainty」とを区別する。リスクと区別される「不確実性」が現実の経済には常に存在し、その大きすぎる不確実性に対処するために経営と職能を分離する株式会社の仕組みが必要だった。技術革新とは未知の領域に挑むことであるから、それが経済社会にどのような帰結を招き寄せるのかはナイトの言う意味で「不確実」である。

 市場が倫理的な「グッド・ゲーム」であり得るためには、能力・努力・運の割合が適切でなければならない。運が必要というのは、結果が事前にわかってしまえばゲームにならないからだ。しかし、不確実性が個人の能力や努力で担えないほど高ければ、最初に運を掴んだものが累積的に有利になっていく。良い教育機会は金で買えるし、巨大化した企業だけが不確実性を処理しうるからだ。


カール・メンガー『一般理論経済学』(1923)

一般理論経済学―遺稿による『経済学原理』第2版 (1)

一般理論経済学―遺稿による『経済学原理』第2版 (1)

 なぜ水とダイヤモンドとではダイヤモンドの価値が極めて高いのか。水は自然界における賦存量が無尽蔵であるために、すべての欲望を満たしても使い切れず、ダイヤモンドは賦存量が少ないために全員の欲望を満たすことができない。このような考えは、「価格」が価値でありそれは限界効用によって決まると捉えられ、メンガーは古典派経済学の「限界革命」に寄与したと目されてきた。

 しかしメンガーの論述には両義的な部分がある。古典派ではリンゴはみかんと代替的などと説明されるが、メンガーは「財としての性格もまた、物に付着しているものではない。それは物のある種の客観的な性質を前提としてはいるけれども、それ自体は性質ではなく、物とわれわれとの関係であり、それが消失すればこの物は財であることをやめる」と述べている。ある財が財になるのはわれわれがその事物と結ぶ「関係」によるのであり、関係次第で果実は食べ物であるとは限らず、陳列品にも種子にもなりうる。


ライオネル・ロビンズ『経済学の本質と意義』(1932)

経済学の本質と意義 (1957年)

経済学の本質と意義 (1957年)

 本書は「経済学とはどんな学問か」という定義づけにかんし、決定的な影響を世に与えた。現在の大方の経済入門書にもロビンズの定義が紹介されている。ロビンズは、経済学を「希少性」と「選択」を中心とする学問と定義する。経済学の中核を担う問題はアダム・スミス以来長らく茫洋としてきたが、30年にいたって自分たちがその正体を「希少性」や「選択」と見抜いたのだと彼は言う。

 本書の主張は明確で、経済学は「形式」を扱う学問である。「物質」を扱うのでは狭すぎるし、「実質」を追求すると学問として成り立たなくなってしまう。また、経済学は倫理性や価値判断からは自由であるべきだと言う。これは経済学が不道徳であるとか冷酷であるという意味ではなく、あくまで「形式的」な分析として、対象が売春などのサービスであったとしても、それが「希少」でありさえすれば分析の対象とする。

 これには問題があり、論理や形式を経験や価値から切り離せると考えるのは浅薄な思い込みでしかないという主張も多い。ロビンズの定義により経済学は「科学」を自称するようになるのだが、その結果として数量データをいじるだけの技術に陥ってしまう側面もある。


バーリ=ミーンズ『近代株式会社と私有財産』(1932)

現代株式会社と私有財産

現代株式会社と私有財産

 本書は経済学者ガーディナー・ミーンズと法学者アドルフ・バーリがアメリカにおける株式会社の動向に関して行った調査の報告書だ。株式社会において、経営者への「権力の集中」と株主における「所有の拡散」、併せて「所有と経営の分離」が生じていると主張し、世に衝撃を与えた。株式があまりにも広く分散しているため、経営者が会社を支配しえている「経営者支配」が、上位200社のデータのうち44%もあった。「実証」という手法が鮮やかに経済観の枠組みを転換した一例だ。

 本書が発見した「所有と経営の分離」は、現在に至るまで資本主義経済の趨勢となった。これは金融資産市場の不安定性に繋がり、また、所有と経営が切り離されているが故に、株式を市場で大量に取得すれば会社の買収(M&A)が可能になる。


ジョン・メイナード・ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936)

雇用、利子および貨幣の一般理論〈上〉 (岩波文庫)

雇用、利子および貨幣の一般理論〈上〉 (岩波文庫)

 ケインズは、本書『雇用・利子および貨幣の一般理論』で世界に革命的な影響を与えたが、『一般理論』は難解を持って知られる。その理由には、当時の専門的経済学者を論破すべく著された論争の書であるところが大きい。ケインズは、ワルラス以降の新古典派が工学化を推し進めていた経済学を人間社会の学として復帰させようとした。彼はまず20世紀前半のイギリス経済という社会現象を内省的に理解しようとするところから始める。

 ケインズにとっての経済は、実物が交換されるネットワークだけから成り立っているものではない。将来が楽観視されるときには消費と投資が伸び、人々は貨幣を手放して需要が拡大する。逆に将来への不安感が広がると貨幣の保有が最も安全と思われ、人は消費や設備投資に貨幣を使わなくなる。将来は不確実であるから、楽観や不安という社会心理にもとづいて好況と不況が繰り返される。ケインズの示す景気循環の原因は実物的なものではなく、不確実性のもとでの社会心理の「揺れ」である。

 ちなみに、ケインズの『一般理論』は山形浩生が翻訳をウェブにあげている。(ケインズ『一般理論』全訳


カール・ポラニー『大転換』(1944)

[新訳]大転換

[新訳]大転換

 多くの経済学は、「経済」を独立で完結したシステムとみなし、そのなかで原因を追求している。それに対しポラニーは、「市場経済」はいまだに非市場的な要素を制度として多分に含み、それによって安定を得ているとする。つまり、「市場」はそれ自体で独立しているわけではなく、外部の調整が働かないと成り立たないということだ。

 19世紀には市場経済が自由調整されるものだという信念が広まっていたが、ポラニーは、市場の作用には市場から社会を防衛しようとする反作用が伴うと言う。例えば労働が供給過剰で失業が発生したときには賃金が下がるべきだが、現実には賃下げ反対運動が政治化するということがあり得る。市場の作用とそれに抵抗する反作用をポラニーは「二重の運動」と呼び、そのバランスが大きく崩れたために起きたのが大恐慌だったと解釈する。世界経済が混乱するとともにバランス・オブ・パワーが崩壊し、世界大戦が勃発することになった。


ポール・サムエルソン『経済分析の基礎』(1947)

経済分析の基礎

経済分析の基礎

 サムエルソンの果たした役割は巨大で、現在私達が「主流派の経済学」として受け入れている教科書を定着させた。サムエルソンの経済学には数式が大胆に導入され、以後、専門分野としての経済学に数学が不可欠と言われるまでになる。

 しかし限界もある。サムエルソンが対象としたのは、起きうる事態の種類や確率が判明しているような日常的な社会心理のもとでの市場の運行だった。彼は観察可能な量から実用的な帰結を導く方法を好んだが、一方でケインズのように非日常的な社会心理のもとでの不確実性の考察にまでは及んでいない。


ジョン・メイナード・ケインズ『若き日の信条』(1949)

貨幣改革論 若き日の信条 (中公クラシックス)

貨幣改革論 若き日の信条 (中公クラシックス)

 アダム・スミスの『道徳感情論』やJ・S・ミルの『自伝』に代表されるように、歴史に名を残す経済学者は哲学や倫理に通じる本を書いていることが多い。ケインズの遺言で死後に出版された『若き日の信条』は、人間関係の屈託を冷静に分析した稀有な回想記であり、彼の経済観における転換を示唆する貴重な記録でもある。

 サムエルソンの経済学の前提では、ある定数に変化が起きても他の定数は影響を受けない。しかしケインズの考えでは、ある人の意思決定が他人の思想に依存してしまう投機市場を「美人投票」に例えたように、定数や変数も人々の主観によって揺らいでしまうのだ。


フリードリヒ・ハイエク『科学による反革命』(1952)

科学による反革命 (ハイエク全集 第2期)

科学による反革命 (ハイエク全集 第2期)

 ワルラスの調整市場においては、需要と供給を均衡させる価格と量とが模索され、均衡値が発見された後に取引されることになっている。それに対してハイエクが主張するには、実際の市場は自分が「何を作るべきか」「いかに作るべきか」を知っている人たちが集まって均衡値を発見し、その後に取引を行うような場ではない。人々が事前にいかに行動すべきか知っているという前提のモデルは現実の社会の説明には使えない。

 ハイエクの描く「市場」は、誰かの商業的な発明を市場が取捨選択し、人々の商品についての主観的な分類を編成し直す、その過程のことだ。何が重要な商品であって何がそうでないかは、市場過程のなかで事後的にしか示されない。


ジョン・ケネス・ガルブレイス『豊かな社会』(1958)

ゆたかな社会 決定版 (岩波現代文庫)

ゆたかな社会 決定版 (岩波現代文庫)

 ガルブレイスは「豊かな社会」に到達したアメリカの社会を分析した。当時のアメリカは、独立した小企業が競争状態にあるという古典派的な市場から、少数の大企業が市場を寡占する資本主義経済へと移行していた。

 大企業は、大量生産を行って利潤率の低下を克服し、自らの生産に有利な市場を自分たちで作り出せるほどまでに力を持ち、租税を低めに押さえるよう権力に訴えかけるようになる。その結果、私的財ばかりが生産され、対称的に教育や福祉などの公共部門が貧弱になっていく。「豊かな社会」は貧困を撲滅することすらできず、「社会的なバランス」が失われていくのである。


フリードリヒ・ハイエク『自由の条件』(1960)

自由の条件I ハイエク全集 1-5 【新版】

自由の条件I ハイエク全集 1-5 【新版】

  • 作者: F.A.ハイエク,西山千明,矢島鈞次,Friedrich August von Hayek,気賀健三,古賀勝次郎
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2007/08
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 本書『自由の条件』を出版以降のハイエクは自由主義の指導者のような存在と評されるが、その多くが誤解である。ハイエクの描く自由な市場は、あくまで「法の支配」のもとに置かれる必要があり、その法は国ごとの歴史の蓄積から生み出されたものでなければならないとしている。グローバルに均質な規則を市場に課したり、政府が積極的に構造改革を主張したりというのは、ハイエク自身がもっとも批判するような行為だ。

 法の支配が貫徹する「法治国家」の特質として、政府の権力に限界を画すること、法が知られており確実であること、法のもとでは平等であること、の三点をハイエクは挙げている。つまり、政府の意図によって法がねじ曲げられず、市場のプレイヤーが信頼できるルールが示されている場合に、健全な市場経済が成り立つのだ。国家など権力を持つ主体が市場のプレイヤーであるかのようにリスクある決断をするのは、決してハイエクの意図したことではない。


ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』(1962)

資本主義と自由 (日経BPクラシックス)

資本主義と自由 (日経BPクラシックス)

 1980年代以降、世界の経済運営は新自由主義の支配下にあったが、本書はその聖典として圧倒的な影響力を誇った。

 本書の論調は、市場への絶大な信頼を背景に、政府の市場への干渉を批判する方向で一貫している。貨幣供給の増加量を成長率に合わせてルール化する「k%ルール」、当時としては少数意見だった「変動相場制」、義務教育の学校に競争原理を導入する「教育バウチャー制」、医療も含む「職業免許制の廃止」など、当時の常識からは過激すぎるほどの市場主義の政策を論じた。


ピーター・ドラッガー『断絶の時代』(1969)

断絶の時代―いま起こっていることの本質

断絶の時代―いま起こっていることの本質

 ドラッガーの『断絶の時代』は、経済におけるポストモダン時代の到来を告げる書である。モダンの時代には、モノとして商品が生産され流通した。しかしポストモダンの時代には、モノだけではなく情報や象徴、知識が経済の中心を占めるようになる。

 そのような時代において、ドラッガーは企業に二つの機能があると言う。一つはイノベーションだ。シュンペーターの言うようにイノベーションは断絶をもたらし、それゆえにこそ発展する。もう一つはマーケティング。シュンペーターはイノベーションによって商品が開発される生産側に注目しているのに対し、ドラッガーは需要する側へのマーケティングを重視する。大量生産・大量消費の時代を過ぎ、必要としない商品は安くてもいらない時代が到来した。そのような時代において、マーケティングとは「市場が必要とするものを生産すること」であり、消費者の嗜好を見抜いて顧客を「作り出す」ことである。


ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』(1970)

消費社会の神話と構造 普及版

消費社会の神話と構造 普及版

  • 作者: ジャンボードリヤール,Jean Baudrillard,今村仁司,塚原史
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 1995/02
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 本書は、消費活動が文化と深いかかわりを持つという従来の消費論を超え、文化が経済によって変容する過程まで踏み込んだ消費社会を論じる。

 ボードリヤールが示唆する消費の社会的論理には二つの方向があり、第一の方向は分類と社会的差異化である。肉体労働者はTシャツ-ジーンズ-スニーカー、頭脳労働社はワイシャツ-スラックス-革靴と、ヒエラルキーの序列が象徴されていて、「豊かになる」とはこのヒエラルキーの階段を登っていくことだった。新しい商品にしても、それ自体の機能を求めてというよりも、「豊かさ」という観念を享受することを求めて購入された。また第二の方向として、消費者自身の「個性」さえも消費の対象になるとボードリヤールは言う。以前とは異なる化粧品を使うとき、消費されるのは化粧品だけではない。それを使う「ちょっと違った自分」というイメージもまた消費されるのだ。


ジョン・ロールズ『正義論』(1971)

正義論

正義論

  • 作者: ジョン・ロールズ,川本 隆史,福間 聡,神島 裕子
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2010/11/18
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 『正義論』は二つの原理を主張する書物であり、「第一原理」は、市民には他者の自由を侵害しない限りでの自由が平等に与えられるべきだとするもの。それを踏まえての「第二原理」は、自由にもとづく活動の結果として生じる不平等がどこまで許されるかを規定する。すべての人に機会の均等が行き渡っているならば、不平等はもっとも恵まれない人の利益になると期待される限りで容認される。このようにしてロールズは功利主義を採らずに「正義」を定式化した。

 この試みは多くの称賛とそれに勝るとも劣らないほどの批判を浴びたが、『再論』で修正された議論では、『正義論』は「普遍的な基礎づけ」から「重なり合うコンセンサス」へ、特定の歴史的文脈において提起された仮説とみなされることになった。


アマルティア・セン『不平等の再検討』(1992)

不平等の再検討―潜在能力と自由

不平等の再検討―潜在能力と自由

 9歳のときにベンガル大飢饉に遭遇したインド出身のセンが見たところ、インドではたとえ所得を保証されたとしても先進国の人々のようにふるまえない者が大勢いる。いったい何をもって「平等」とするべきなのか?

 「所得平等主義者」は所得の平等を望み、「厚生平等主義者」は厚生水準の平等を望み、「リバタリアン」は一切の再分配を否定し権利や自由が平等に与えられることを望む。つまり、あらゆる立場が平等主義者なのであり、何をもって平等と考えるかで主義が分かれることになる。

 センは平等を測るとき、「潜在能力」という概念に注目する。貧困とはただの低所得ではなく、なんらかの制約によって潜在能力を欠いた状態なのである。それゆえ、センの「潜在能力アプローチ」は福祉水準を評価するのに適切な機能を特定するところから始まる。彼がインドの貧困から見出したのは、単なる福祉制度ではない市場が機能するための公的領域の必要性だった。自由な市場を整えるというのは非常に入り組んだ問題なのだ。




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