しっきーのブログ

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人類は感染症と「共生」していくべきなのか?

 感染症の見方ががらっと変わる本だ。著者は、人間と感染症との共存を提唱する。例えば、エイズウイルスの正しい対抗策は、それを撲滅しようとすることなのだろうか?むしろ、ウイルスとの共存の方法を探っていくべきなのではないか。

感染症と文明――共生への道 (岩波新書)

感染症と文明――共生への道 (岩波新書)

 今回読んだのは山本太郎『感染症と文明』。いつも炎上案件を扱っている人とは別の方です。


文明が感染症を手に入れるということ

 ある文明に根付いた感染症、疾病は、その文明に所属する集団に試練をもたらすと同時に免疫を付与する。人々に根付いた感染症は、他の文明に対する生物的攻撃機構、または防御機構として機能するようになる。


 土地から土地を渡り歩く遊牧民と、一箇所に定住する農耕民では、なんとなくヒャッハーしてる遊牧民のほうが強そうな感じがする。しかし、実際の歴史はそのような結果にならなかったことのほうが多い。

 ある集団同士が接触する場合、狭い所でまとまって生活していた人間が他を制圧する場合が多いのだが、その要因の一つが感染症だ。これは地政学的に文明を解き明かそうとしたジャレド・ダイアモンドのベストセラー『銃・病原菌・鉄』という本にも詳しく書いてある。

文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)

文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)


定住することで感染症が育つ

 人が定住をすると、糞便から虫卵が育ち鉤虫症や回虫症などの寄生虫疾患が増加する。また、野生動物の家畜化、共存は動物の起源を持つウイルスを人間に持ち込む。俗に言うケモナーというやつである。

 要するに、一箇所に留まって暮らすと不潔だから色んな病気が発生する。やがて、その病気はヒト社会に定着するようになる。


感染症の攻撃と防御

 もともとその感染症を持っていなかった集団に、別の文明でヒトに根付いた感染症がもたらされると、大規模な感染によって大勢の人間が死に至る。


 1953年、インカ帝国皇帝アタワルパとスペインの征服者ピサロとが、ペルー北方の高地カハマルカで対峙した。アタワルパが8万の軍勢を率いるのに対し、ピサロ率いるスペイン軍はたった168人だった。結果的に、ピサロはアタワルパを捕虜とした。

 当時はペルーの先住民たちもスペイン人達も同じく、疾病は神の怒りだと信じていた。そしてインカ帝国では、スペイン人が持ち込んだ天然痘、麻疹、発疹チフスが次々と流行する。スペイン人達が一方的に神の恩恵を受けているという事実に、ペルーの住民達は病気に苦しみながら恐れ慄き、彼らに抗うことはできなくなった。そのようにしてインカ帝国は滅亡した。


 また、16世紀以降には地域文明間の遭遇が頻繁に起こったのだが、アフリカは長く「暗黒大陸」と呼ばれていた。土着の人々が持っていたマラリアや眠り病(アフリカ・トリパノソーマ症)が生物学的障壁となって、ヨーロッパ人の参入を拒んだからだ。それが破られたのは、キナの樹に抗マラリア効果があることが発見され、マラリア治療薬の商業生産が開始された19世紀からだった。


感染症が行き渡った世界

 強い毒性を持つ感染症は、本来は感染者がすぐに死亡するのであまり広まらないが、人と人が大規模に入り交じる機会に爆発的に流行する。その最も顕著な例が戦争だ。感染症による死亡者数が銃弾による戦死者を下回った初めての戦争が、ペニシリンが大量生産されるようになった第二次世界大戦だ。


 やがて、交通手段の発達と、分業のために人が頻繁に行き来する近代世界システムが、感染症の処女地をなくす。まだそれと出会っていない文明にとっては脅威になる感染症が、ありふれた病気の一つになっていく。

 例えば麻疹は、5000年という長い時間をかけて処女地をなくし、世界中によくある病気として行き渡るようになった。地球上のどのような辺鄙な土地であろうと、疫病的流行をするほど長く麻疹の流入から隔絶される社会はもはや存在しない。


 現代社会では、麻疹、おたふく風邪、水痘といった感染症の多くが小児の疾病とみなされている。しかし、このような感染症が特別小児に対して高い感染性を持つわけではなく、大人の多くが免疫を有している社会だからこそ、小児の疾病のように見えるだけなのだ。

 衛生環境が向上し、家族が離れて暮らしすぎると、小児期の感染から逃れて成人の段階での発症が多くなる。麻疹はもともと致死率の高い感染性だ。急性感染症が「小児の疾病」となっていない社会では、何十年かの感覚を置いて突発的に流行する急性感染性が社会全体に壊滅的な影響を与えることになる。

 つまり、まったく感染症に触れていない集団は、それが突然他の社会からもたらされた場合に多くの人間が死ぬことになる。逆に、感染症が一度体内に入って免疫ができれば、それは他の病気から守ってくれるようにもなる。

 そのような観点から考えると、病原体の根絶は危険だ。ある感染症が根絶されれば、その免疫を人が失ってしまうことになる。だからこそ、たとえそれが人類にとって心地よいものにはならなくても、病原体との「共生」が必要だと著者は主張する。


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ヒトと感染症との「共生」へ

 HIVの類縁のSIV(サル免疫不全ウイルス)は、アフリカミドリザルに何千年、何万年も渡って感染してきた。現在では宿主にエイズを起こすことはない。ヒトにも成人T細胞白血病ウイルスという、平均潜伏期間が50~60年であり、感染者の内の5%ほどが発症するという病気がある。この潜伏期間が100年に伸びれば、それは人間にとってまったく脅威にならないだろう。

 エイズは致死性が95%を越える病気だが、HIVの潜伏期間が20年、30年、50年となっていけば、ほとんどの人がHIVに感染したとしてもエイズを発症することはない。また、HIVの感染は、他のウイルスの侵入に対する防波堤になるのだ。その点で、人類に求められているのはウイルスの根絶ではなく「共生」かもしれない。


 感染症の側から見ても、短期的な感染力の強い強毒性のものは淘汰され、感染力は弱いが人に長く根付く弱毒性のものが生き残っている。


 歴史的に、ある種の成功しすぎた事例、短い繁栄は、その後の長い困難をもたらす。それは高度経済期以後の日本を見てもわかりやすいことである。

 仮に人間の周りから感染症を殲滅することに成功したとしても、それは後に出てくる感染症に対して全くの無防備になってしまうことを意味する。当然、危険な感染症との共存は心地よいものにはならない。しかし、完全と思われる繁栄が次の悲劇の前触れに過ぎないのなら、感染症との共生への道を探っていくべきだというのが、著者の主張だ。

 本書は興味深い事例が丁寧にまとめられているだけではなく、著者の考え方にも示唆の多い名著だった。



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