しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

現代世界の十大小説

 かつて、作家のサマセット・モームが、「世界の十大小説」という本で10人の作家を選んでいる。そのリストは


  • トム・ジョーンズ/ヘンリー・フィールディング
  • 高慢と偏見/ジェイン・オースティン
  • 赤と黒/スタンダール
  • ゴリオ爺さん/バルザック
  • デイヴィット・コパーフィールド/ディケンズ
  • ボヴァリー夫人/ギュスターヴ・フロベール
  • 白鯨/ハーマン・メルヴィル
  • 嵐が丘/エミリー・ブロンテ
  • カラマーゾフの兄弟/フョードル・ドストエフスキー
  • 戦争と平和/レフ・トルストイ


 というものだった。これらの特徴は、イギリスが4つ、フランスが3つ、ロシアが2つ、アメリカが1つと、どれも国民文学だということだ。19世紀から20世紀半ばまでは国民国家の時代であり、国家一つ一つの単位で国民意識を強化していくというのが文学の大きな任務だった。


 しかし、現代の作家を国民文学の枠組みで捉えることはできない。国境を跨ぎ、あるいは移民先の言葉で小説を書き、一つの国の中では捉えられないような新しい試みが生まれつつある。

 今回読んだのは、池澤夏樹著「現代世界の十大小説」。

現代世界の十大小説 (NHK出版新書 450)

現代世界の十大小説 (NHK出版新書 450)

 池澤夏樹は有名な作家だが、翻訳や編集なども幅広くこなす小説マニアである。

人間は永遠不変であるけれども、世界は変わる。考えてみれば、トルストイは『戦争と平和』を永遠の課題として書いたのではなくて、彼にとっての同時代を書いたのです。それが結果として永遠の価値を持つようになった。同じように、たった今書かれたばかりの作品群のなかから永遠の価値を持ちそうなものを選び出すのが、今の編集ということにならないだろうか。

 と著者自身述べるように、現代の十大小説を選ぶ大変野心的な試みで、読んでいてすごく面白かった。池澤夏樹編集の短篇集は良作揃いだったし、けっこう信頼に値する10選だと思うのだが、少なくとも一冊の新書くらいは読んで損はしないだろう。

 どのような10冊が挙げられているか、簡単にだけどまとめてみた。


百年の孤独/ガブリエル・ガルシア=マルケス

 50年代から60年代にかけて、ジェームズ・ジョイスの「ユリシーズ」とプルーストの「失われた時を求めて」によって、文学がやれることはすべてやり尽くしてしまったと言われていた。その後で「百年の孤独」が世界中に衝撃を与えることになる。小説の新しい可能性を切り拓いた作品。

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

 マルケスを代表とするラテンアメリカ文学は、民話的な手法を取り入れ、その小説世界では現実と幻想が共存している。これに対して、ヨーロッパの批評家は「マジック・リアリズム(魔術的リアリズム)」という文学用語を考えだした。


 編者の池澤夏樹が最も美しいと評する場面の一つが、あまりにも美人なので男たちが殺到し、その入浴を除いた者などは屋根から転げ落ちて死んでしまう小町娘レメディオスのエピソードだ。レメディオスは、家刀自のウルスラ達と庭先でスーツを畳んでいるとき、突然風に連れさらわれてしまう。

 小町娘のレメディオスの体がふわりと宙に浮いた。ほとんど視力を失っていたが、ウルスラひとりが落ち着いていて、この防ぎようのない風の本性を見きわめ、シーツを光の手にゆだねた。目まぐるしくはばたくシーツにつつまれながら、別れの手を振っている小町娘のレメディオスの姿が見えた。彼女はシーツに抱かれて舞いあがり、黄金虫やダリヤの花のただよう風を見捨て、午後の四時も終わろうとする風のなかを抜けて、もっとも高く飛ぶことのできる記憶の鳥でさえ追っていけないはるかな高みへ、永遠に姿を消した。

 何のトリックも説明もなく、彼女は姿を消してしまう。読者はただそれを信じるしかない。それがマジックリアリズムの文章であり、ラテンアメリカのリアリティだ。


悪童日記/アゴタ・クリストフ

 著者のアゴタ・クリストフはハンガリーに生まれ、56年のハンガリー動乱のときに西側に亡命、フランス語でデビュー作の「悪童日記」を執筆した。

 祖国の言葉ではなく、敵の言葉を学ばざるを得ない状況だった。どうしても学ぶ気になれなかったドイツ語、ロシア語をやり過ごし、母語一筋で暮らしてきたが、スイスのヌーシャテルで暮らすうちに、結局フランス語に直面せざるを得なかった。

 わたしはフランス語を三十年以上前から話している。二十年前から書いている。けれども、未だにこの言語に習熟してはいない。話せば語法を間違えるし、書くためにはどうしても辞書をたびたび参照しなければならない。

 そんな理由からわたしはフランス語もまた、敵語と呼ぶ。別の理由もある。こちらの理由のほうが深刻だ。すなわち、この言語が、わたしのなかの母語をじわじわと殺しつつあるという事実である。

 彼女の文章は、構文は短く、動詞は現在形だけなのだが、それが独特のリズムを産み、こんなやり方があったのかとびっくりすると編者は評している。

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

 「悪童日記」は、二人の子供の視点で描かれた小説だ。これまでの多くの作品で、子供は純粋無垢なものとして描かれがちだったが、「悪童日記」に出てくる子供達の<ぼくら>は、タイトル通りに残酷で容赦がない。可愛らしい悪ガキというようなものではなく、人を強請り、性に関することを積極的にこなし、残酷なことも平気でやる。

 <ぼくら>は、お互いに殴りあって身体を鍛え、罵り合う練習をして精神を鍛える。酒場で芸を披露して金を稼ぎ、自主的に算数や作文を学習する。ロマンチックな幻想を一切排して、現実に立ち向かっていく子供達だ。


 ちなみに、MOTHER3というゲームソフトに出てくるリュカとクラウスの名前は「悪童日記」からとっている。

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マイトレイ/ミルチャ・エリアーデ

 「マイトレイ」は、異文化に生きる男女の恋愛の話だ。アランというルーマニア人の技師が、インドの上流階級であり、インテリ技師のセンに見いだされるところから物語は始まる。アランはセンと家族同様に暮らすことになり、その家の令嬢がマイトレイだ。

マイトレイ/軽蔑 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-3)

マイトレイ/軽蔑 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-3)

  • 作者: アルべルト・モラヴィア,ミルチャ・エリアーデ,住谷春也,大久保昭男
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2009/05/08
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 これはヨーロッパの男性がアジアの地で恋をした物語であり、第三の登場人物は小説の舞台になったインドとも言えるが、アランの出身がルーマニアというところがミソだ。これがイギリスだとまったく意味合いが違ってくる。ヨーロッパと非ヨーロッパの間に存在するルーマニアだからこそ、イギリス的な価値観とも距離を置いた上で、文化差のある恋愛を描くことができる。

 こうした散策は今も鮮やかに、苦しいほど甘く記憶に残っている。肉の記憶は易々と過ぎ去り、体の結合は、どれほど完璧だったにしても、渇きや空腹と同様に忘れられるが、街の外での私達のあの濃密な交換からは何一つ消え去らなかった。あのとき、目だけですべてが語り合われ、抱擁一つが愛の一夜の代わりをなしていた。

 これはエリアーデの自伝小説のようにも読める。ルーマニアに帰国したエリアーデは、一年の兵役から戻った後に「マイトレイ」を執筆、出版社の懸賞論文に当選して出版されると大ベストセラーになる。後に、彼はもともとの専門である宗教学研究の道に進み、偉大な業績をあげた。


サルガッソーの広い海/ジーン・リース

 日本にいては実感しにくいことかもしれないが、世界中の多くの地域では、一人の人間の資質はいくつもの部分が重なって認識される。著者のジーン・リースは、植民地であるドミニカ島で生まれた白人の女性であり、英語を母語として身につけた者であり、スコットランドから海を渡った植民者の末裔だ。英語を話す白人なのに、植民地生まれということで差別を受ける。苦労つづきの辛い人生を送ることになった。

灯台へ/サルガッソーの広い海 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-1)

灯台へ/サルガッソーの広い海 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-1)

  • 作者: ヴァージニア・ウルフ,ジーン・リース,鴻巣友季子,小沢瑞穂
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2009/01/17
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 ジーン・リースは、60を過ぎた後の貧しく苦しい暮らしのなかで書き始め、76歳で「サルガッソーの広い海」を書ききった。植民地出身者が植民地を舞台にして書いた小説であるという点でポストコロニアリズムの、女性の視点から書きたいことを書いたという点でフェミニズムの、両方の原理が濃く入っている。

 「サルガッソーの広い海」の種として使われている小説が、シャーロット・ブロンテの「ジェイン・エア」で、これはイギリス女流作家の誰もが知っている大傑作。

ジェイン・エア(上) (光文社古典新訳文庫)

ジェイン・エア(上) (光文社古典新訳文庫)

 「ジェイン・エア」は、タイトルと同じ名前の女性が苦労して幸福をつかむための物語だが、そこでは、頭のおかしくなった植民地生まれの白人女性が主人公の邪魔者として登場する。それに彼女は反論しようと考えた。小説には小説で、「ジェイン・エア」に登場する精神障害者の前半生を語るという形で。


 かつてはどこの国でも純粋なものに価値があるとされてきた。しかし最近では、混ざり合うもの、矛盾をそのまま抱え込むこと、変わりゆくものの価値が認められる必要があり、そのために池澤夏樹も新しく世界の十大小説を選ぶのだ。


フライデーあるいは太平洋の冥界/ミシェル・トゥルニエ

 「サルガッソーの広い海」は「ジェーン・エア」を下敷きにした本歌取りだったが、ミシェル・トゥルニエが「フライデーあるいは太平洋の冥界」の先行作品にしたのは「ロビンソン・クルーソー」だ。

 ロビンソン・クルーソーの本歌取りはこれまで数多く書かれてきたが、トゥルニエ版の特徴は、原作と基本的には似ていること、そしてタイトルからも分かる通り、フライデーが主人公になっていること。

フライデーあるいは太平洋の冥界/黄金探索者 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-9)

フライデーあるいは太平洋の冥界/黄金探索者 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-9)

  • 作者: ミシェル・トゥルニエ,J・M・G・ル・クレジオ,榊原晃三,中地義和
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2009/04/11
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 フライデーは、原作において、ロビンソンに文明の価値観を教えられる野蛮人であり、召使だった。しかしトゥルニエ版では、フライデーはロビンソンと同等であり、ロビンソンもその事態を受け入れている。その結果何が起こるかはネタバレを避けるが、18世紀と20世紀の価値観の違いを考えると面白い。


老いぼれグリンゴ/カルロス・フエンテス

 老いぼれグリンゴは、文学者でもありジャーナリストでもあるアンブローズ・ビアスという、実在の人物がモデルだ。ビアスは、残忍で歪んだブラックユーモアを編集した警句集「悪魔の辞典」で知られている。ビアス自身辛い人生を送った人物だが、彼はアメリカに絶望し、南へ、メキシコへ向かう。実物のビアスの消息はわかっていないが、だからこそフィクションとして自由に書ける。

パタゴニア/老いぼれグリンゴ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-8)

パタゴニア/老いぼれグリンゴ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-8)

  • 作者: ブルース・チャトウィン,カルロス・フエンテス,安藤哲行,芹沢真理子
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2009/06/11
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 フエンテスは、アメリカ合衆国と対比することによってメキシコ的な精神を描き出そうとした。アメリカとメキシコの一番の違いは先住民との関係だ。アメリカは先住民を容赦なく殺し、メキシコは混血(メスティーソ)を認めた上で国家を形成した。

 そして、思い出すんだ。わたしたちがインディアンを殺したことを。インディアンの女とセックスをし、少なくとも混血の国を創る勇気を持たなかったことを。わたしたちは肌の色が違う人々をいつまでも殺しつづけるという事業にとらわれている。メキシコはわたしたちがなりえたものの証拠なんだ。

 アメリカは、インディアンを容赦なく殺したがゆえに、白人の原理だけで近代化を進めることができた。繁栄を築き、メキシコの半分近い領土を割譲させた。あまりにもシビアで残酷な物語の中で、メキシコという文化の温かさ、メキシコ的な精神をフエンテスは描く。


クーデタ/ジョン・アップダイク

 アップダイクは、戦後アメリカを代表する作家の一人であり、「普通のアメリカ人」を描く作家だ。村上春樹を読む人は知っているだろうが、アップダイクは、これといった特徴をもたない平凡な白人の中産階級がふとしたことから日常を逸脱し、最終的には再び安定と調和に戻っていく、といった構造の話を好んで書く。

 彼の作品の中で最も異色なものが78年に書かれた「クーデタ」だ。

クーデタ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-5)

クーデタ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-5)

 主人公はアフリカにある架空のイスラム国家の大統領であり、アメリカからは資金援助を受ける立場にある。アップダイクは、男の目に映る女性像を通じて社会を描くのが巧みな作家であり、四人まで妻を持てるというムスリムの制度を使って、これまで蓄えてきた手腕を発揮する。

 「クーデタ」は、アフリカの小さい貧しいイスラム社会主義国家という視点を想定することで、アメリカ人のアップダイクがアメリカという大国を描き出そうとした作品だ。


アメリカの鳥/メアリー・マッカーシー

 メアリー・マッカーシーはアメリカの人気女性作家。アメリカには、「アメリカの鳥」という名前の誰もが知っている鳥の図鑑があり、タイトルはそこからとられている。この小説は、鳥好き少年のピーターが、渡り鳥のようにアメリカから海をこえてヨーロッパに渡っていく話であり、「ヴィルヘイム・マイスターの修行時代」「魔の山」「チボー家の人々」の系譜に連なる教養小説でもあり、アメリカ文学に特徴的な「無垢(イノセント)の文学」でもある。

アメリカの鳥 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集2)

アメリカの鳥 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集2)

 文明に汚されず、正当な行動を続ける「ハックルベリー・フィンの冒険」や少年のイノセンスを保ち続ける「ライ麦畑でつかまえて」など、アメリカ人はイノセンスの概念を非常に好む。

 アメリカは、ヨーロッパから脱出したピューリタンが建国した国だ。彼らは、自分たちがピュアでありヨーロッパは退廃しているという図式で捉えたいし、ヨーロッパが古い文化を持っていることは認めざるを得ないにしても、それはもう古いものだから否定することにしている。最も新しいものを作り出し続けているのがアメリカだというのもある部分で事実だろう。劣等感と優越感が混ざった複雑なコンプレックスを抱えているのだ。

 「アメリカの鳥」はアメリカ人への忠告としても描かれている。本書が刊行された当初は、評判が悪く、批評はぼろくそだったそうだ。


戦争の悲しみ/バオ・ニン

 著者のバオ・ニンはベトナム生まれで、ベトナム人民軍の陸軍に入隊し、米国やサイゴン政府群との戦争に従事した。

 いわゆる「戦争文学」は、戦争の世紀とも言われる二十世紀に多量に生み出された。それでは、「ベトナム戦争」はどのような文学を生み出したのか。「地獄の黙示録」「ディア・ハンター」「フルメタル・ジャケット」など、ベトナム戦争は文学以上に多くの映画を産んだとも言われるのだが、それはアメリカや南ベトナム政府(ベトナム共和国)側のもので、北ベトナム(ベトナム民主共和国)側の視点のものはなかなかない。

 北ベトナムの人があの戦争をどう見ていたのかを書いたものが、バオ・ニンの「戦争の悲しみ」ということになる。

暗夜/戦争の悲しみ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-6)

暗夜/戦争の悲しみ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-6)

 現代において、自分の住んでいる土地が戦場になるということ。同じ国民と殺しあうということは、いったいどのようなものなのか。ほとんどの当事者が口をつぐんでしまうほどの深い悲しみが、小説の形で描かれている。「戦争の悲しみ」は、ベトナムを描いた上でベトナムを越える普遍性をもった世界文学として、戦争がいかに人間を傷つけるかを書き記す。


苦海浄土/石牟礼道子

 石牟礼道子(いしむれみちこ)の「苦海浄土」は、「苦海浄土」「神々の国」「天の魚」の全三部作で、完結までに四十年以上に渡って書き継がれた、水俣病を扱った作品だ。

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

 ぼくが石牟礼道子の『苦海浄土』を世界文学であると考える大きな理由のひとつは、彼女が公害という近代化のもたらした大きな不幸を、あるいはその罪と罰を、執拗に、克明に、詳細漏らさず書き抜いたことです。同じ構造による公害の被害は、いま現在も世界中で起きている。あえて文学的な言い方をすれば、この本は世界中で公害や企業犯罪に立ち向かっている人たちに戦いを教えるという効用がある。その効用に、この作品のもつ醇乎たる文学性を加える時、『苦海浄土』は世界文学のなかで普遍的な価値を持つ作品と評価することに、ぼくはまったく躊躇しないのです。

 と池澤夏樹は言う。

 自分たちの愛する海が理不尽に汚染され、それがいつの間にか自分たちの身体をも蝕んでいるという想像を絶する恐怖。石牟礼道子の作品は、恐るべき不幸を描いたものであると同時に、それと対比される幸福をも描く。そして読者は事実の悲惨さを目の当たりにするのだ。

 かかは飯たく、わしゃ魚ばこしらえる。わが釣った魚のうちから、いちばん気に入ったやつの鱗ばはいでふなばたの潮でちゃぷちゃぷ洗うて。……

 そこで鯛の刺身を山盛りに盛り上げて、飯の蒸るるあいだに、かかさま、いっちょ、やろうかいちゅうて、まず、かかにさす。

 あねさん、魚は天のくれらすもんを、ただで、わが要ると思うしことって、その日を暮らす。

 これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい。




関連項目