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しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

プレゼンの方法が変わった!個人ブログの可能性について

ブログ論 世の中

 みなさん、TEDなんかで見れるような「プレゼンテーション」って、どう思いますか?好きですか?コネクティング・ザ・ドッツですか?

 僕は、短期間で人の目を惹くための一連の手法は、あまり好きにはなれない。


TED 驚異のプレゼン 人を惹きつけ、心を動かす9つの法則

TED 驚異のプレゼン 人を惹きつけ、心を動かす9つの法則


 誰かが何かを主張するときに、どの立場の人が何を言うかに注目するか、人物と発言内容は切り離して考えようとするか…もちろん時と場合によるだろう。


 ただ、その発言の正当性がどこにあるのかに注目してみるのは大事なことだろう。

 テレビなど、短時間でわかりやすいものを「伝える」必要がある場合、基本的に発言の正当性は「立場」が保証している。

 専門家だから、大学教授だから、当事者だから、◯◯をやった実績があるから、その人物の発言には正当性があるということになっている。これは、限られた時間でそれなりのものを用意しなければならないという制約上、仕方ないと言えば仕方ない。ただこれは、あくまで仕方ないことなのである。


 プレゼンテーションが大好きな人は多いけど、ジョブズの言うhungryはお腹ペコペコという意味ではないし、foolishは頭使わなくていいという意味ではない。


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 短いスパンで何かを主張したり、売り込みたいものがあるときは、「発言者はすごい人だから(当事者だから、被害者だから…など)、彼の言っていることは正しい」という、「正しいから正しい」論法が、かなり強力なやり方なんだよね。楽だし、インパクトがあるし、その効果が及ぶ範囲の中では反論を挟む余地がない。


 僕も一度本を書こうとして思ったんだけど、実際にそれを売ることを考えれば、「誰か書いたか」がとても重要で、それは書くことの内容にも強く影響してくる。卒業に単位が足りるか怯えている大学生が書きました、じゃダメなんだよね。


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 「成功した」人の言うことが必ず正しいとは限らない。往々にして、それは運が良かっただけだから。テレビなんかに出て何かしら語りたがる「成功者」を見ていればそれがよくわかる。

 やつらは「リスクをとれ!」なんてことをドヤ顔で言ったりするからね。当たり前だけど、リスクは何らかの形で避けるか相殺するものであって、それを引き受けた経験自体はどう考えても自慢することではない。失敗した可能性だってあったわけだから。まさに「生存バイアス(はてなーが大好きな言葉)」だろう。

 たまたま成功した人は、運悪くそれができなかった人を何かしら助けようとするのが道理であるはずなのに、逆にその差を広げようとするのが人間の悲しい性よのう…。


 野蛮な感性のまま、器以上のものを手に入れてしまった人間は、他人に自分と同じもの(自分と同じ運の良さ)を強制するようになる。

 その分野で飯を食っているはずの「専門家」が、なぜか自分と同レベルの見識を一般人に求める。古文と歴史を捨てて英語とプログラミングとか、後付で自分の考えた最強の◯◯を押し付けようとする人も多い。「本当に専門家足りうる人」や「本当に英語ができる人」や「本当にプログラミングができる人」は、自分と同じものを一般に求めたりはしないだろう。他人に強制したがる程度の努力は、努力とは言わない。



 しかし、力関係というものは、ある場面では動かし難く定まってしまう。

 みんなが、「正しいから正しい」ポジション。「成功」したという前提の元に、自分の言うことがすべて正しくなる場所を欲しがる。(僕も欲しい。)よくわからない分野の「コンサル」とか「プロ」というのも、そういう立場を無理やりつくりだそうとした結果だ。

 投資で儲ける方法を知っているはずの人が本の印税で暮らそうとする、というのは笑い話だが、最初の一回の成功は笑えないくらい重いものだ。そこから「格差」が広がっていく。


 そういうものを避けるために、「科学」というものが発明された。ネット上でもまともなやり取りには正確なソースが求められるけど、それは、「正しいから正しい」から抜け出すための方法だ。


 科学は、教会が持っていた、「正しいが故の正しさ」に対抗するところから始まったと言われている。科学において最も重要なのは、それが誰の手によっても再現できること。誰でも自分でそれを確かめて、反論したり納得したり意見を付け加えたりできること。身分や立場や実績に関係なく、誰もが「根拠」を共有することができるからこそ、科学が栄えた。

 「スタップ細胞はありまぁす!」と小保方さんが言ったことが重要なのではなく、スタップ細胞があるかないかという問題でもなく、小保方さんが示した実験過程をたどれば誰もが同じものを再現できるということが重要なのだ。


 根拠を遡ることができず、「正しいから正しい」が通用するなら、それは現在利益を得ている側からすれば都合がいい。そして、だんだんそれが宗教的になっていく。ビジョンがどうこう、ディベートがどうこう言う奴に限って、反証の道を閉ざしたがる。


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 科学は不当な正しさから多くのものを救ってくれたのだろうが、今だプレゼンにおいて、科学は隅に追いやられている。「科学という名の宗教」なら至る所にあるんだけどね。皆が大好きな「科学的事実」は、一度実験してみたらこういう結果が出ましたよ、という話に過ぎなかったりすることも多い。医療実験とか心理実験って、反証がすごく難しいからね。


 多くの人が、刺激的で気分の盛り上がるものを求めるというのは、無理からぬことだろう。だが、TEDとかユーチューバーとかテレビの政治番組みたいなやり方が、「お手本のような」なプレゼンの方法だというのは、ちょっと違うと思う。(プレゼンはその定義上軽薄なものなんだよ、というのは無しで)

 それは、大衆向けのテレビ放映と、限られた放映時間という「枠組み」がつくりだしたものであって、何ら普遍的なものではない。もちろん、その形式に沿った優れた洗練はあるし、それは元々の目的通り多くの人の心を掴んでいるのかもしれないが、カタギのやることではないよ。



 インターネットは、「枠」がないからこそ、原理的には、個人が言葉を尽くして、概要だけじゃなく、その根拠まで説明できるだけの余白ができた。

 しかし、一方では、誰でも好きなことを好きなだけを言えるからこそ、短時間で目を惹く手法が流行しているという面もある。



 ネットにおいて、みんながソースや根拠を吟味した、まともな議論をできるようになったのか、それとも、膨大な情報が溢れるなか、炎上芸人やユーチューバーやTEDみたいな形で、ますます野蛮になっているのか。僕はネットやブログの黎明期に立ち会ったわけではないだが、そこには様々な期待と裏切りがあったのだろう。


 しかし、方法は方法だ。どのように議論が行われているのか、ではなく、それができるということが大事で、できる人はそれをするべき、という話だと思う。

 個人ブログは、いつでも読めるし、枠に拘らないからこそ、今書いているような長文を発信できる。その代わり、短期的なネタや動画に比べて人は集まらない。そんなのは当たり前だ。文章系のブロガーにとって一番大事なのは、見てくれる人がたった一人でもいれば、どれだけ字数を割いたとしても自分の考えを説明しようと思える情熱があることだよ。



 プレゼンのやり方が、これから変わっていく可能性もある。なぜなら、世の中の同質性が高くはなくなったから。男は仕事で女は家事とか、学者の言っていることは全部正しいとか、企業してお金持ちになった奴は偉いとか、そのような「正しいから正しい」の根拠は、化けの皮が剥がれていく。

 そして、一から自分の主張の根拠を説明しようとする試みが、個人でも可能になると共に、その価値も少しずつ上がっていくと思う。



 企業のために出資を募りたいとか、何かやりたくて仲間が欲しいなら、「女子大生が世界一周!」みたいなやり方じゃなくて、なぜそうするべきなのか、自分がそうするべきだと考えている理由はなにか、それを少しずつでも、一部の人達だけの正しさじゃない形にしていく努力を見せることだろう。


 まあ、それをやっても、あまり注目されないだけに結果が出ないことが大半だろうけどね。ただ、インターネットという地獄においてまともなことがしたいなら、避けては通れない道のような気もしている。実は、僕は今プレゼンネタを用意しているのだよ。近いうちにこのブログで投稿するつもり。例によって、けっこう長くなると思うけどね。


 「プレゼン」という大層な言葉を使わなくても、同じ趣味の仲間が欲しいとか、友達を作るとか、彼女を作るとか、それくらいのことなら多くのブロガーができるのではないだろうか。僕ももし正社員になれたらブログで婚活しようと思ってる。リクルートや婚活業者に頼むよりはいい結果になるんじゃないかな?

 まだまだ個人ブログには可能性がありまっせ!!



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