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しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

ソーシャルゲームは日本のコンテンツ文化を味方につけている

 大手の作るソーシャルゲームが、どれもパクリとしか言いようがないほど似通っているというのは、みんなご存知の通り。だが逆に、ゲームを運営していくのに最適なフォーマットが確立されているという考え方もできる。

 これから開発費が大規模になっていくだろうし、ますますその「定型」を無視しずらくなる。老舗のコンシューマーメーカーであるスクエニでさえ、その定型にまったく逆らわないものをつくる始末だ。


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 だが、ソシャゲを作る人達には創造性がなくて金のことしか考えていない、という見方には無理がある。「ガチャ」「スタミナ」「クエスト」「強化」「進化」といった一連のシステムは、日本のコンテンツ文化の流れの中にある、非常に優れたフォーマットだからだ。


 日本のソシャゲは収益率が高いことで有名だが、それは「ガチャ」という仕組みがあるから。

 海外では、あらかじめ機能が分かっているものには課金するが、何が出るかわからないものに高い金を払う感覚はわからない。日本ではビックリマンチョコなど、「あるデータベースの中のどれかを買う」という感覚が培われてきた。


 一作品あたりの規模が小さい日本のコンテンツ産業は、一人一人の「執着」を利益に還元するモデルを発展させてきた。大多数に気に入られなくても、一部の層に強く気に入ってもらえればそれでいい。ロボットアニメや萌えアニメなんかも、グッズやフィギュアを買ってもらうことでリクープできる収益モデルだった。日本のコンテンツ産業はオタク達の執着に支えられてきたと言ってもいい。



 現在は、コラボという形でソーシャルゲームの中に人気作品が取り入れられたり、版権物のソーシャルゲームが増えている。パズドラのコラボも、群馬県、カピバラさん、エヴァ、ドラゴンズドグマ、アイルー、バットマン、サーティーワン、アングリーバード、ハンター×ハンター、ハローキティ、ドラゴンボール、聖闘士星矢、ビックリマンなどなど、多岐に渡る。これだけ雑多な作品を「パズドラ」というゲームの上に乗せることができる。これは和製コンテンツの面目躍如と言ってもいいところだ。


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 制作コストの高騰でプロフェッショナル化し、「同じ高さ」という和製コンテンツの土壌から抜けだしたコンシューマーゲームと入れ替わるようにして、ソーシャルゲームがその市場規模を追い越したのは、目を背けることのできない事実だろう。



 安易に使いまわされるソーシャルゲームのフォーマットは陳腐なものに見えるが、それが出てくるまでにはそれなりの蓄積がある。

 もともと、デジタルゲームの始まりは、何かを表現(シミュレート)することだった。その技術を、「ドラゴンクエスト」が漫画作品と結びつけた。そこでは、見たままとは関係のない「強さ」や「能力」が「抽象」され、「数値」として実態から離れていくらでも上昇していくものになった。

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 そのような、和製ゲームの「抽象」というフィルターを通した上で、自然を模写しようとしたところで「ポケモン」が作られた。身の回りにある様々なものをモチーフにしていながら、その実態と引き離された抽象的な想像力が生み出された。

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 身の回りにある様々なものを二次元に押し込めて、さらにその「能力」や「強さ」が、ありのままから切り離されることによって、自由な想像、創作が可能になった。「女神転生」や「デジモン」なども同じ流れだ。

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 また、日本のコンテンツは「同じ高さ」に並んでいるということが、その強さの源泉だった。それぞれのジャンルが同列に並んでいること、作者と消費者が同じ高さにいること、コンテンツの中に同じ階層の豊富なデータベースが用意されているということ、それが重要になる。

 例えばポケモンなら、それぞれの性能に違いはあれど、それらが「ポケモン」だという点においては、すべてのポケモンが同じ高さに並んでいる。だからこそ、あらゆる選択肢や愛着が生まれ、その世界の多様性と創造性が広がっていく。

 さらに、そのデータベースは継ぎ足しが容易で、後からあらゆるモチーフを取り込んだり、他作品とコラボしたり、消費者が二次創作することもできる。



 上で述べてきたような仕組みが、ソーシャルゲームにおいて、ある種の「課金ツール」として発展してきた。ソーシャルゲームは、一つ一つの仕組みはずっと前からあったものだが、それらを組み合わせて運営することで、強力な収益システムになっている。「クエスト」「モンスター」「強化」「進化」「合成」そして「ガチャ」など、日本のコンテンツ文化の大きな流れを味方につけた形で、ソーシャルゲームのフォーマットが成り立っている。


 海外のゲームが感覚的な刺激を求めがちなのに対して、和ゲーのユーザーは、二次元の漫画やアニメと同じように、抽象された快楽を享受している。内容自体はちまちました同じことの繰り返しなのに、みんな熱心にやっていて、これはかなり特殊で、すごいことだと思う。



 すでに、ソーシャルゲームにおいては、その形式が多くのユーザーに広がっているということ自体が意味を持つ。下手に新しいフォーマットを作ってしまうと、わかりにくかったり、しっくりとこないものになる。

 だから、ある程度は既存のものを真似せざるをえないだろう。もうボーナス期間は終わって、どんどん制作費が高くなっている。今の競争は、いかにアクションとしての操作性や精度を高めていくか、内容を豪華にしていくか、人気のある版権を上に乗せるか、上手く宣伝を打つか、というものになっている。

 そのような競争が激しくなっているからこそ、広く使われているフォーマットから外れたものを打ち出していくことにも意味があるのだけど、簡単ではないだろうね。

 


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