読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

ゲームは僕たちに平等をもたらしてくれるのか?

ゲームとかコンテンツの話

 ゲームの快楽、特に日本のRPGをベースにした作品の快楽は、「成功」の夢を見せてくれることに拠っている。現実の社会で成功するためには、ある目標にそって計画を立て、その目標に向かって着実に努力を積み重ねることが求められる。もしそれがうまくできるなら、僕は今頃こんなに苦労していないだろう^^;


 日本のゲームは、前の記事で「ぬるま湯に浸かっているような努力」と言ったように、作業をこなす労力と時間をかければ、誰でも「成功」できるという部分がある。何らかの目的が、誰でも容易に達成できるようになっている。だからこそ、多くの人が同じ「努力」をするとき、勉強や仕事ではなくゲームを選ぶ、あるいは、ゲームに逃げてしまう。



 ソーシャルゲームにしても、対人要素の強いものは日本では流行らない。PvPよりは、協力し合い、数値をどんどん上げていくものが好まれる。ただしその数値は、経済のように大勢のプレイヤーの動きに反応するわけでもなければ、誰かと希少なものを奪い合うことにもならない。ひたすら安全に数値が上昇していく(=成功する)夢であって、それは誰にでも平等に与えられる


 現代における世界一の漫画家(だと僕が思っている)、「幽遊白書」や「HUNTERXHUNTER」の作者である冨樫義博は、ゲーム文化にも造形が深い。  最高のハンターとして描かれるジン=フリークスに言わせたセリフ、「狙った通りに獲物が動けばハンター冥利だろ?」という言葉は、印象深い。


f:id:skky17:20150128202924j:plain


 誰もが、ジン=フリークスになれるわけではない。しかし、ここで冨樫が、「狙った通りに獲物が動く」ことを、世界最高の人物の求めるものとして描いたことは、象徴的だと思う。

 ゲームは、誰にでも、「狙った通りに獲物が動く」快楽を提供する。(ハンターの場合は、「道中楽しみたい、それだけさ」という言葉を付け加えることが、冨樫の天才性を際立たせているのだが)

 RPGで自分の思い描いたパーティーを構築することは、時間をかけさえすれば誰でもできる。貴重なものも、試行回数を繰り返せばゲットできる。ポケモンなんかでも、苦労してパーティーを作って、自分の思い描いた戦略を実現できればそれだけで脳汁ドバドバだ。


 また、ゲームの場合、努力なり工夫なり機転を求められる部分は、「確率」の問題であり、それゆえに誰にでも平等だ。運に左右される要素をうまい具合にゲームに取り入れているからこそ、パズドラは優れたソーシャルゲームとして長く愛され続けている。ソーシャルゲームを運営するには、レアモンスターの出現率やドロップ率などの確率操作が肝になってくる。そしてその確率も、たいていの人がうまくいくような塩梅になっているのだ。



 現実は、多くの場合、ゲームのようにはうまくいかない。しかし、ゲームみたいに「狙った通り」ができる人もいることにはいるだろう。優秀とされる人は、その対象がゲームではなく仕事や勉強になったり、あるいは趣味やガールハントになったりする。

 それでも、現実の成功なんて、ゲームの範囲がちょっと拡張された程度のものだと僕は考えている。よけいなおまけがついてくるだけのことだ。衣食住が満足できるものになったところで、人間の欲望は終わらないが、ゲームと現実を掛けあわせたところで、新しい可能性が見えてくるということもあるかもしれない。

 ソーシャルゲームに課金することは、その外側から考えるとどう見ても合理的ではないが、その内側からすればコストパフォーマンスが良く、合理的な判断になる。「成功」がゲームの中にあれば、大多数の人間が「成功」することも可能になる。

 ジン=フリークスと僕たちの快楽の違いは、それほど大きなものではない


f:id:skky17:20140730053541j:plain



 もう一つ、ゲームは、本質的には根拠のないものを、その世界のルールにすることができる。つまり、マニアックな仕組みを作り出しやすい。環境のトップにいるためには覚える必要のあることがたくさんある。だからこそ、多くの人は、その中で自らのプライドを確立しやすい。

 そういう意味で、ソーシャルゲームや、もっと広い意味での「ゲーム」は、娯楽というよりもツールに近い位置づけのものになってくるかもしれない。同じようなフォーマットでありながら、その上に乗っかっているちょっとしたジャンルやルールが違う、というのは重要なことなのだろう。


 ソーシャルゲームも、だんだん複雑に、豪華になってきて、コンシューマーと同じ道をたどりつつあるとはよく言われる。規模が大きくなると、開発にコストがかかるようになり、参入が難しくなる。

 個々人の平等というものを考えたとき、好ましいのは、中小規模で運営されるゲームがたくさんあることなんだろうけどね。ただ、運営型のゲームは人気があること自体が価値を持つし、なかなか難しいかもしれない。だが、これからのソーシャルゲーム業界について考えるべきは、いかに多様性を確保するべきか、ということになってくると思う。




前:ゲームは冗長さを縮減する


次:少年漫画の週刊連載とソーシャルゲームのフォーマット


「ゲームとかコンテンツの話」一覧