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しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

ゲームの中の因果律について

ゲームとかコンテンツの話

 和ゲーには、やることがはっきりしているゲームが多い。抽象的なものをメインに扱っているという点ではわかりにくいんだけど、ストーリーを進める、ボスを倒す、みたいな目的がはっきり示されている。俗に言う「一本道」というやつ。

 ハードの容量が少なく、ゲームで表現できることが限られていた時代には、コンセプトのはっきりしたもののほうが良い作品になりやすい。ゲームであらゆることが表現できるようになった現在でも、まだ日本のゲームはそのときの名残をとどめていると言ったほうがいいかもしれない。



 じゃあ、目的やコンセプトがはっきりしないゲームってなんだろう?

 例えば、The Elder Scrollsシリーズの「Skyrim(スカイリム)」は、そのわかりやすい例だと思う。この作品は、ゲームの世界観自体がプラットホームみたいになっていて、目的の定まったゲームというよりも、ツールや環境と言ったソフトウェアに近い発想で作られている。スカイリムは日本人でもプレイした人は多いと思う。


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 和製RPGに慣れている人がスカイリムをやると、何か釈然としない気持ちになることが多いと思う。なんでもできるゲームなんだけど、なんでもできるだけに、その選択肢の多さが何かの目的に繋がっていかない。ゲームの中の、あるべき因果律のようなものが働いていない感じがする。

 例えばスカイリムは、登場するキャラクターと会話で駆け引きすることができるし、殺すこともできるという「自由」がある。だが、殺すことには持っている武器を奪えるなどのメリットがあり、そのぶん衛兵が出てきて攻略が厳しくなり、そういった要素が作品全体のゲームバランスと噛み合っている、みたいなことはない。ただキャラクターを殺すことができるというだけで、それ以上のものはない。(メインキャラはほとんど殺せないし)


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 JRPGなら、敵を倒すために自分も強くならないといけなくて、そのためにいくつかの選択肢が用意されている、みたいな感じなんだけど、スカイリムは、選択肢が膨大にあるかわりに、一つ一つの選択がゲーム全体と結びついているわけではない。

 ゲームバランスの概念がないというわけではないだろうが、日本人の感覚からするとあまりにもお粗末なのだ。(例えば、ドラゴンが弱すぎるとか、鍛冶スキル上げたらすぐ無双状態になるとか、錬金で金儲かりすぎて他の選択肢が無意味になったりとか、他にもいろいろ)


 というより、そもそも、和ゲーのように、選択肢が目的のためにつくられているとか、ある種の枠組みに沿ってきちっとやる、みたいな感覚がないのだろう。戦闘中に難易度の切り替えができるし、死んでもすぐ直前に戻れるし、リスク、リターンがしっかり規定されていない。

 戦闘を楽しむためにスカイリムをやるとがっかりすると思う。何らかの目的を達成するために練習したりレベルを上げたりというよりは、自分のキャラクターに設定をつくってその職業になりきるようにプレイする、まさにRPG(ロール・プレイング・ゲーム)だ。


 スカイリムは、ユーザーが環境構築することもできる、プラットホームとしてのゲームという側面が強い。デフォルトのキャラクターのブサイクさは、ゲームをいじってくれと言わんばかりだ。キャラの見た目を変えるMODからゲームの難易度調整をするMODまで、ユーザーが自由にMODを作りやすいし、PC上で動くこともあってソフトウェアの発想に近い。開発側から、または開発の段階で、ゲームの中にある種の因果律のようなものを持ち込んでバランス調整するという考え方はあまりしないのだろう。大規模なゲームを開発するなら、そういう指向のほうがやりやすいというのもあると思う。

 和製RPGより遊びの幅が広く、和ゲーと同じように遊ぼうとすると物足りないが、世界中の大多数のユーザーにウケるのはどっちかとなると、和製RPGよりスカイリムの人気や評価が高いのは至極当然だと思う。


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 ここで、和ゲーに因果律が働いていると言ったのは、リスクとリターンがゲームの重要な要素となっているということだ。例えば、多くのソーシャルゲームは、時間が経つと資源(スタミナなど)が回復していって、クエストを受けるにはそれが必要になり、途中で全滅してしまえば資源が無駄になってしまう。(さらに、その資源はリアルマネーとも結びついている)

 こういう輪郭のはっきりしたリスクとリターンを用意するだけでもゲームはかなり面白くなる。(和ゲー的な文脈に限ってだけ言えることかもしれないが)


 また、和ゲーは、クエストをクリアする、強い敵を倒す、などの目的がはっきりしている。そのために提示された選択肢(何を使って攻略するか、どこでレベル上げをするか、など)はそれほど数が多くないけれど、目的のための手段として、ゲームの因果律に収斂していく感覚がある。それが和ゲーの楽しいところだと個人的には思う。

 ソシャゲなどは、前記事で述べた、「ぬるま湯に浸かっているような努力」の中での話なのだけれど、「全力で」ゲームをプレイすることができる。そういう感覚があるのは、目的と、リスク、リターンがはっきりしていて、ゲームの中の因果律がうまく働いているからだ。



 バランス調整というのも、和ゲーでは非常に重要な仕事だ。ここらへんに出てくる敵の攻撃力はどれくらいで、倒すといくら経験値が入るのか、この町にはどのくらいの強さの武器が売っているのか、など、そういう調整をしっかりやらなければならない。洋ゲーはある世界観を「模倣」するように作っているが、和ゲーは「抽象」なので、実態から離れて数字がどんどん進んでいく。ドラゴンボールなどで、「戦闘力」的に強い敵をいくらでも作り出せるように、数字をいじりさえすれば、「次の最強のボス」を簡単に追加していける。だからこそ、人為的な「調整」が必須だ。



 和ゲーは、製作者が自分の手で調整する文化があるが、洋ゲーはユーザー同士の均衡をはかる形でゲームバランスを調整するのが上手いと思う。FPSやLoLなどのオンライン対戦ゲームは、e-sportsとして、ゲームの中に競技性を持ってこようとしている。


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 オープンワールドRPGを和ゲーの文脈で捉えようとした作品の例としては、カプコンの「ドラゴンズドグマ」なんかが挙げられるかな。個人的にはけっこう面白かったけど、お互いの悪いところを掛けあわせてしまった部分があることも否めない。


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 製作者がバランス調整をする和ゲーの伝統を活かした、近年の優れた作品は、フロムソフトウェアの「ソウルシリーズ」だと思う。高い難易度で知られるゲームだが、それは製作側の徹底的なバランス調整の上に成り立っている。作り手と受け手の対話と言ってもいいくらい、背景にいる「人」を感じるゲームだし、全力でゲームに向きあって難しいものをクリアするという楽しさがある。海外でも人気があるみたいで、こういうゲームが評価されるのは本当に嬉しい。


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 ブラッドボーンにも超期待ですな。

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