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しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

家庭用ゲーム産業はハリウッド化しているのか?

 スマブラの最新作、スマッシュブラザーズWiiU/3DSでは、女性キャラのパンツが見えなくなった。前作のXでははっきり見えたのに…。


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スマブラWiiU


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スマブラX



 パンツが見えるというのはスマブラDXから出てきたネタで、女性キャラがとばされたときポーズ画面にしてスカートの下にアングルを持ってくると、ちゃんとパンツまで見えるというものだった。任天堂の豆知識がつまったフィギュア名鑑という素晴らしい収集要素でも、女性キャラのスカートの中はちゃんとつくられていた。くだらないと言えばとてもくだらないのだけど。


 なぜスカートの中がブラックホールになったのか、国際化に配慮したのだろう。メガ進化もできないカエルが忍者だから外人に人気という理由で参戦することになったしね。



コンテンツ産業論―混淆と伝播の日本型モデル

コンテンツ産業論―混淆と伝播の日本型モデル

 「コンテンツ産業論-混淆と伝播の日本型モデル」という書籍の第10章で、著者の小山友安が家庭用ゲームのハリウッド化について論じている。


 日本のゲーム産業は、漫画、アニメ、ノベルと同じ土壌から生まれてきた産業だった。だが、現在はそこから一歩抜けてハリウッド化している。


 著者の分類をそのまま使うと


・内容の高度化・複雑化によって制作費が高騰した

 ゲームを作るのに必要なコストは、ハードのスペックが上がるごとに上昇している。また、中古品が流通するという問題もあり、すぐにソフトを中古屋に売られないために大規模な作品や膨大なやりこみ要素を用意せざるをえなくなった。もうファミコンのソフトのような予算と人員でゲームを作っても、商用として売ることはかなわない。


・日本国内だけでは制作費の回収が難しくなり、海外での売上に頼るようになった

 ハリウッドは国外に売らなければならないからこそ、大多数の共通項をおさえた作品をつくり、他国の文化やタブーに配慮するようになっていった。スマブラのパンツが見えなくなったというのも、そういうのを好ましく思わない文化圏に配慮した結果だろう。


・リスク回避のために規模の経済を目指して合併が進んだ

 スクエアとエニックスが合体してスクエニになり、さらにタイトーを買収したし、バンダイとナムコも合併した。あと、米国のEAやActivisionは、ヨーロッパや北欧の会社をたくさん買収している。大きな会社じゃないとゲームをつくれなくなった。


・制作費高騰によるリスクを少しでも低減させるため、スターシステム(プロデューサー、キャラクターデザイン、作曲、声優など)の進展、原作付き作品、既存ヒット作の続編が増加した

 スターシステムというのは、ハリウッドスターと同じ仕組みで、人気クリエイターが作ったゲームなら、その作品の内容や出来とはあまり関係なくファンが買うので売り上げが安定するというもの。このようにして有名なクリエイターじゃないとゲームを作りづらくなったというのもあり、作品の内容はかなり保守化している。おそらく、保守化という点ではハリウッドより顕著だと思われる。今のゲームが人気作の続編ばかりなのは、製作にお金がかかるので新作をつくるリスクが非常に高いから。


・クリエイターが多くの高等教育を受けた人(とくにプログラマー)で占められるようになり、各クリエイターの専門分化(プロフェッショナル化)が進んだ

 任天堂の宮本茂は、「もし私が今日、任天堂を受けたいと思っても私の大学の学位では採用されなかったでしょう」と言った。日本のコンテンツ産業は作家と消費者の立場が近く、創作に参加しやすいことが特徴だった。しかし、作品の大規模化、技術の高度化により、ゲーム製作に参加するハードルが高くなった。



 このような形で、家庭用ゲーム産業は「ハリウッド化」しつつある。しかし、日本の家庭用ゲームメーカーは本当にハリウッド化できているのか、という疑問もある。


 「徹底的なプロフェッショナル主義のハリウッド」で述べたように、ハリウッドがプロフェッショナル主義を貫けるのは、企画ごとにプロジェクトとして適切な才能を集める形態をとっていて、人材の流動性が高いからだ。一方で、日本のゲーム産業は「会社」がつくっている。

 どちらが良いかという問題ではなく、会社としてつくるからこそ、綿密な調整を必要とするゲームを作ることができる。日本の家庭用ゲームを考える上で、人材の流動性が低いということは注目されるべきだと思う。任天堂だってかなり閉鎖的な会社だからね。


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 「消費者が買い支えることで成り立ってきた日本のコンテンツ産業」でしつこく言ったことだけど、日本のコンテンツ産業は、「同じ高さ」にあることで、消費者が作家を支え、多様性のあるコンテンツ群に厚みをもたらしていく仕組みだった。

 かつて、日本のゲーム産業が世界シェアを席巻した華々しい時代は、ゲーム業界に参加しやすく、漫画やアニメとのコラボも盛んだった。だからこそ多様性があったし、革新的なゲームシステムを生み出すことができた。現在、かつての「同じ高さ」からゲーム産業は抜けだしてしまったのかもしれない。しかし、海外に広く売れる、売らなければならないとは、そういうことなのだろう。

 今は、当時蓄えた財産で、あるいはそれを磨き上げながら老舗のゲーム会社もそれなりにやっている。それはそれですごいことなのだが、しかし、完全新作の本数は段々減っているし、数字で見てもコンシューマーゲームは衰退している。

 比べて、洋ゲー、というよりアメリカの大手ゲーム産業は、むしろ制作費が高騰したからこそ、ハリウッド方式とうまくて適合するようになってシェアを広げている。




 最近、マリオとパズドラがコラボするということで話題になった。


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 漫画やアニメやノベルと同じ高さにあったベースに戻るためには、あえてブランドを落とすような形で、元の高さに降りてくることが必要になるのかもしれない。そのような意味で、任天堂とパズドラのコラボは必ずしも悪手とは言えないし、というより象徴的な事件だと思う。


 日本型コンテンツ産業から抜けだした家庭用ゲームと入れ替わるようにして出てきたのが、現在市場が伸び続けている和製ソーシャルゲームということになるのだけど、その話はまた後ほど。




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ゲームとかコンテンツの話シリーズ