しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

たぶん、僕たちは就職しなくてもいい

概要
  • 岡田斗司夫「僕たちは就職しなくていいのかもしれない」の要約と自分の意見。
  • 岡田斗司夫の言うことって信用できるの?
  • 「これから社会は変わる!」と言い続けることが大事。
  • わかりやすいものがなくなったからこそ、「自分は何が好きなのか」を考えるしかない。
  • 全力で気分よく生きようぜ!



 岡田斗司夫「僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない」を読んだ。これから「就職」して働くのは無理だから、もっと別の働き方を見つける必要があるよ、という話。


僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない (PHP新書)

僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない (PHP新書)


 本書の考え方に賛同する人もしない人もいるだろうけど、僕と同じ年代の人にとって示唆に富んだ内容だと思うので、ざっと要約してから自分の意見を書きたい。


働くための就活がつらいなんて、そんなの絶対おかしいよ

 いつの時代も生きていくのは大変で、働きたくなくても働かないといけないんだろうけど、「就職活動」の時点で異常にしんどいっておかしくない?もちろん実際に働いてからもつらくて、多くの人間が数年以内にせっかく努力して入った会社を辞めてしまう。

 就職できなかったり、入社してすぐ辞める大学生が全体のほんの数パーセントなら個人の責任だと言える。でも、うまくいかない層が数十パーセントいるなら、制度のほうがおかしいと考えるべき。常識的に考えて。


「働く=就職」である必要ってなくない?

 本書は、「働いたら負け」だから働かなくてもいいと主張してるわけではない。人間は働いたほうが充実するようになってるし、よっぽど特殊な人間じゃないかぎり働いたほうがいい。ただ、「働く=会社に雇われる」という選択肢しかないというのは少し視野が狭いのではないか


 そもそも「働く=就職」が当然という価値観は高度経済成長期の産物だ。1950年代の日本では女性の就職口なんてほとんどなかったし、男性でも全員が就職しているわけじゃなかった。大半の仕事は「家業」で、「工事の日雇い」や「店の手伝い」などのアルバイト的な雑用だった。

 でも今は、男女問わず全員が「就職」して、特定の会社で一生働き続けなければならないとされている。すべての国民が「就職」することを考えるなんてかなり異常な事態。高度経済成長期ですら、女性の人権が制限されていたというのもあるが、誰もこんな馬鹿げたことを考えてなかった。

 妻に衣食住をサポートしてもらえるのが前提の「男性正社員」モデルで国民全員が働くとか狂気の沙汰。「女も男と同じように就職できる」ではなくて、「男も女も就職できない」という形での男女平等のほうがおそらく現実的だし、現にそうなりつつある。


なぜ就職できなくなったのか?

 どうしてみんな就職難で苦しんでいるのかというと、就職できる仕事の絶対量が減っているから。必要な仕事はたくさんあっても、必要な「職業」という枠組みはなくなり続けている。

 一つの産業が潰れたらその分だけ新しい産業が生まれて、求人の絶対数は変わらないなんて大嘘。そんな前提を信じてるのは頭の悪い経済学者と財界人しかいない。大勢の中抜きの職を奪ったGoogleやAmazonは、少数精鋭であまり社員を雇わない。デジタル化や効率化は人の「職業」を奪う。

 高卒でできる仕事がなくなり、大学に行かざるをえなくなって、もともと少ない大卒の職を奪い合う過剰な競争が起こる。そして、その希少な大卒の仕事さえこれからなくなっていく。


 年功序列や終身雇用なんて、人口ボーナスや国際状況など色んな運が重なった、一番経済が良かった時代に描かれた幻想だ。現在の日本の企業の平均寿命は7年、アメリカは5年。さらに、これから技術革新が起こるたびに一つの産業が潰れ、「職業」に就ける人数が減っていく。


「単職」から「多職」へ

 今までの安定は「所属していること」だった。安定した所属を持っていない限り、またはその立場を持った人の妻でない限り一人前の人間とはみなされなかった。でもこれからは、新卒で入った会社が定年まで持つ可能性はかなり低いし、「◯◯に勤めています」という形で信頼を得たりアイデンティティーを確立するのには無理がある。

 だからこれからは、「多職」という形で、多くの仕事や関わりを持ち、あらゆる方面にヘッジをかける動的な安定を目指したほうがまだ現実的だ。その「職」の中には、金銭を得られない「お手伝い」とか「趣味」とか「遊び」なども入る。金に結びつかないコミュニティでも、余ったご飯とかいらなくなったものを譲って貰えるかもしれない。そういう繋がりがセーフティーネットになる。困った知り合いがいたら皆で積極的に助けたりサポートしてあげる。コミュニティや信頼関係を復数持つ形で安定をはかる。


 そのような多職の時代には、「所属に対する評価」よりも「個人に対する評価」が顕著にあらわれる。SNSの発展により、個人の評価が可視化されやすくなった。みんなから良い評価を得る必要があるので、わかりやすい形で誰かの役に立つ仕事が主流になってくる。金にならなくても、困っている人を助けるという行為に(評価)経済的なインセンティブが働く。税金をを集めて政府に再分配してもらうより、良い評価を得たいから困ってる人を助けるというやり方のほうが効率がいい。


 経済というのは、必ずしも「金」をやりとりする必要はなく、何かが流通すれば経済になる。それぞれがそれぞれの「評価」をぐるぐる回し合い、それが活発になっていけば「評価経済」になる。

 「この人は◯◯の社員」「この人は◯◯円持っている」という評価基準よりも、「この人は◯◯をしているからいい人だ」とか「この人は◯◯さんの紹介だから」みたいな評価のされ方が有効になってくる。


評価経済の足音とは

 「評価経済」とは、貨幣経済では測れない「人気」などが流通していく経済のことで、それが芽生えつつある。もちろん金がなくなるわけじゃないし、今までどおり金を稼いで生きていく人もいる。それでも、今よりは金の権威が落ちていく。

 作った米や野菜を食べきれないからあげるとか、空き部屋があるから住まわせてあげるとか、誰かが困ってるからみんなで助けてあげようとか、このクリエイターの作るものはすごいから支援してあげようとか、金を介さない直接的なやりとりが多くなる。

 金に頼る人が少なくなれば、金を稼ぐことがもっと難しくなるし、金だけで手に入るものは少なくなっていく。このようにして、金の力は今よりも落ちていく。


 今の若い世代の多くは、同人で作品を作ったり、アイドルや声優になりたがったり、ボランティアに参加したり、動画を撮ってYouTubeやニコ動にあげたり、ブログやTwitterで情報を発信したりしている。そういう人がどんどん増えているので、評価経済の高度経済成長期が始まりつつある。


本買わなくても動画見ればいいよ

 本書は、岡田斗司夫が特別に気合を入れて書いたというわけじゃなく、ニコ生や講演で言ってることを「お手伝い」の人達が書き起こしてまとめたものだ。本買わなくても動画を見ればだいたい同じようなこと言ってる。





 ただ、動画もかなり長いし、本のほうはテキストの形でわりとよくまとまってるので、読んで損はないと思うよ。

 そして、これからは本書を読んだうえでの自分の考えを書いていきたい。けっこう長いので暇な人だけどうぞ。



そもそも岡田斗司夫を信用できるのか?

 岡田斗司夫ってなんか胡散臭い感じするよね。これは島本和彦先生のせいもあるかもしれない。岡田斗司夫という人物が信頼に足るのかどうかはともかく、言ってることは傾聴に値すると思う。必ずしも発言者の人格とその発言の正統性を結び付けなきゃいけないわけじゃないしね。

 僕は評価経済社会という考え方をこのブログでも何度か取り上げてるし、それなりに有用なものの考え方だと思ってる。



アオイホノオ 7 (少年サンデーコミックススペシャル)

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 僕が、同じ世代の人に岡田斗司夫の話を聞いてほしいと思う理由は、もともと具体的な「お悩み相談」から始まって、そこから理屈を組み立てたものだからだ。


 つまり、「就活したけどどこも採用してくれないんですが、どうしたらいいですか?」という質問に対して、「死ぬ気で就活しろ!これでダメだったらもう自殺するしかないぞ!一生負け組だぞ!」と言うのと、「これからは単職より多職の時代だから、必ずしも「就職」にこだわる必要はないよ。別の戦い方があるから、そのために努力すればいいんだよ」という回答なら、後者のほうがまだ建設的だよねってこと。


これから生きていくために必要なことは何か?

 「評価経済社会なんてただの妄想だ!だいたい、人に好かれるように生きてくのってかなりストレスフルだろ!なんだかんだ言って金は便利だし、大多数はそっちを選ぶに決まってる!」みたいな批判はよくあると思うけど、的外れだよ。

 そりゃ今までどおり金を稼いでやってければそれに越したことはないだろうけど、それができなくて困ってるわけだから。どうやっても就職できない人が、「就職できない人間はダメ」みたいなことを考えたって苦しいだけで何の進展もない。

 それに、「金」をベースにして考えるなら、あまりにも理不尽な世代間格差に直面せざるをえないし、今から無限に経済が成長していくみたいな前提も、僕たちの世代はもう一部のバカ以外誰も信じてない。



 自分なりに岡田斗司夫の考えを整理するなら、まず、生きていくために必ずしなければならないことを2つに分類する。


 ①金を稼がないといけない

 ②人に評価され(気に入られ)ないといけない


 ①と②のどちらか片方をクリアすれば生きていける。①金があれば衣食住、不自由なく生きれる。②評価されるというのは、家族だからとか、神職だからとか、天皇陛下だからとかも含む。要は衣食住を誰かに与えられれば生きていける。


 岡田斗司夫の考えは、今までは①「金を稼げること」が標準的な大多数の生き方として設定されていたけど、これからは①「金」と②「評価」のハイブリッドになっていく、ということだと思う。


 現在は、まだ「金」優位の社会だと感じる。だから、大企業の社員は田舎で物々交換してる層を下に見る。ニコ動の有名人がお金や物品を貰っていたりすると「乞食」と言って非難される。

 でも、「金」優位の社会で想定される最低限の「金を稼ぐ」ということが、多くの若者にとって難しくなっている。SNSなどインフラの後押しもあり、だんだん「評価」のほうに比重が傾いてきている。「やらなければならないこと」のあり方が変われば人々の意識も変わるし、みんなの求める物は「金」だけあっても手に入れられないものになる。

 金があれば快適に暮らせることに変わりはないだろうけど、みんなが金を使わなければ「金を稼ぐ」こともどんどん難しくなる。だから将来的には「金」よりも「評価」が優位になっていくんじゃないかな、ということだと思う。


 理想や思想で何かが変わるみたいな考え方ではない。「必然」に動かされて社会が変わる。これから先、「金を稼ぐ」生き方と、「評価を集める」生き方の、どちらが楽か。もちろんそれは人によって違う。金を稼いだほうが楽という人もいるし、評価を得るほうが楽という人もいる。

 ただ、「金」と「評価」のどちらの生き方でも、もちろんその中間でも生きていけるようになって、今のように「金」しかダメということはなくなる。だから、どうしても金を稼げない人は、「いいひと」になって、「評価」を集める方向で努力してみるのもいいんじゃないかという、あくまで「お悩み相談」に対する回答だ。


これから社会は変わっていくのか?

 「これから新しい社会がやってくる!」「ウェブが発達した今こそが時代の転換期だ!」みたいな言説は世に溢れてるし、みんなうんざりしてるくらいかもしれない。でも僕は、そういうことをうんざりするほど言ってみるのも悪くないかな、と思ってる。それは、「今あんまりうまくいってなくても人生諦めたり無駄にふさぎこんだりするなよ(´・ω・`)」というメッセージになるかもしれないからだ。うまくいかない人が多いときには、胡散臭くてもいいから「時代は変わる!!」って言うべきなんだ。


 少し前に、うまくいってた時代があった。それは幻想だったんだけど、その幻想を当の僕たち自身がそれぞれの形で受け継いでいる。だからこそ問題は根が深い。


 例えば、子どもをどう育てていくか、あるいは子どもを産めるのか、という問題。

 経済発展と貿易の自由化で、食品や消費財、娯楽品は格段に安く豊富になった。でも、外国から輸入も外注もできない日本人によるサービスや土地の値段は安くならない。だから、相対的に学費や保育費や居住費がものすごく高くなってる。僕たちの世代の平均的な夫婦が、今の養育費と給与水準で2人以上の子どもを大学まで出すのはどうやっても不可能。それでも、「今までどおり」親は子どもを大学まで行かせるべき、という価値観は強く残っている。

 「大学まで行かせなくていいから子ども産もう」なんて親が言っちゃうと、「子どもがかわいそう!親の道具じゃないのに!」とか「責任を持てないなら子どもなんて産むな!」という罵声がとんでくる。そういうことを言ってしまうのは、おそらく上の世代だけじゃない。大学まで行くことができた僕たち自身がそう思っちゃってるんだ。

 「大学出てないと人として認められない社会を次世代に残すほうがかわいそう」とか「そもそも大卒ですら仕事に就けないじゃん」みたいなことはなかなか考えられない。


 上の世代の言うことを真面目に聞くと損をする社会は恐ろしい。かつての価値観の耐用年数は切れている。でも、「もうそんな時代じゃないんだよ。バーカ!」と言ってすべてを否定することはできない。今の僕たち自身もちゃんと恩恵をあずかって、ところどころでその価値観を内面化して生きているから。

 僕たちが「良い」とか「好き」と感じるものだって、否定するべき上の世代と避けがたく繋がっている。



 以前こういうエントリーでも書いたけど、例えば漫画やアニメの主な舞台である「学校」なんてものは、「所属」の時代の価値観の最たるものだ。サブカルチャーの領域でさえ古い価値観は再生産され続けているし、僕たちの憧憬の少なくない部分はそこに占められているのかもしれない。



 たぶん僕たちは、「就職」や「学校」を否定することによって、このごろテレビで盛んに取り沙汰されている「クールジャパン」とか「技術大国日本」とか、「誠実さ」とか「勤勉さ」みたいな日本の美徳が失われてしまうのではないかと、どこかで不安に思っている。

 昔の武士は、藩に不平があれば諫死しました。さもなければ黙つて耐へました。何ものかに属する、とはさういふことです。もともと自由な人間が、何ものかに属して、美しくなるか醜くなるかの境目は、この危うい一点にしかありません。

 みたいな話だよね。

 そして、「所属」を持てた社会から、「所属」を持てない社会に移行するとき、僕たちは、もともと日本が持っている陰湿な性格の悪さとか、居た堪れない感じとか、世間に顔向けできない恥みたいなものに直面することになると思う。上の世代と違ったルールでやっていくなら、これはある程度避けられないし、日本で育ってきた僕たちだからこそひどく憂鬱になる。


 金も所属も持ってなくて、これからも持つ見込みがない人にとって、「金」をベースにした社会より「評価」をベースにした社会のほうがおそらくまだマシなはずだ。本当に困っている人を助けるために働けるかもしれないし、そんな自分にプライドを持てるかもしれない。でも、そういう社会に対しての確信は持ちにくい。何か大切なものを失ってしまうかもしれないという不安があるし、日本のジメジメした嫌な部分と向き合わなければならない憂鬱に気力を削がれる。

 でもね。逆に考えるんだ。僕たちがそういう日本に住んでいて、不安で憂鬱にならざるをえないからこそ、自分たちの生き方を変えていく能力と資格があると考えるんだ。結局のところ、何事も手探りでやってくしかなくて、そういうひねくれた理屈とプライドを持つみたいな考え方しか、僕には思いつかない。それじゃだめかな?

 まあこれは、「自分がリア充になって女の子と遊ぶよりもリア充的な価値観と戦ったほうが楽しい」というクソみたいな意地で僕が生きてるからかもしれません。因果なものですな。


ジョジョの奇妙な冒険 1~7巻(第1・2部)セット (集英社文庫―コミック版)

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自分が就職できても、みんなが就職するべきだと思ってはいけない

 自分の言葉に対するフェアネスのために言っておくと、僕は、もし自分が立派な企業に就職できるなら、就職するよ。絶対に後悔するし損するとわかっていても、たぶん入社しちゃうと思う。

 このサイトははてなブログでほぼトップのPVがあるし、広告貼ったから収益もある。単著も出したければいつでも出せる。今はバイトも続けてるし、ちょっとした仕事ならもらえるつてもある。それでも、超有名企業の内定が貰えたらそっちに行っちゃうと思うんだよね。

 僕はそれくらいしょうもない人間だ。勉強もしてこなかったし技術もないし、女の子にもモテないので、最終的には枠組みみたいなものに惹かれてしまう気がする。正社員になれれば結婚できるかもな、とか考えちゃうんだよね。どれだけ理屈で考えてわかっていても、新しい選択をするにはものすごい勇気と労力がいる。


 就活で悩んでる学生は絶対にバカじゃない。先の見えない、不安定でリスキーな社会だからこそ安定が欲しくなる。みんな損するとわかっていても、就職するしかない。今の社会の圧力はそれくらい強いよ。きょうび「リスクをとれ!」なんて声を大にして言うような奴はその発言に何のリスクも負ってないし、無責任で安全な立場にいるからそんなことが言える。



 岡田斗司夫の話のもう一つの示唆は、もし万が一、就職できてエリート会社員になった場合、そうなっても、絶対に自分の待遇や価値観を他の人に押し付けたりしないことだ。それをしちゃうと、その本人が不幸になる可能性が高くなる。評価経済社会とは、個々人の公平や不公平を他人と共有できないという、恐ろしい社会でもある。

 自分が一日平均12時間働いていて、同世代のやつらが定職も持たずにぶらぶら楽しそうにやっていても、それを責めるべきではない。「所詮この世は弱肉強食。強ければ生き…」みたいな価値観で生きるようになったら、それこそ生きていく上で決定的に不利になってしまう。それが岡田斗司夫の示した社会の未来像だ。


 岡田斗司夫自身、就職できるならとりあえず就職したほうがいい言ってる。ただし、就職できるかできないかは運にすぎないので、就職できた人は就職してない人を絶対に馬鹿にしてはいけない。他人を憎んでしまうほどの激務なら、それは会社が悪いのであって、他の就職できない人達が悪いわけじゃない。


「わかりやすいものがない」という「わかりやすさ」

 安定し、うまくいっていた時代に形成された人々の意識は、それ以外の生き方への不寛容をもたらす。まず認識するべきなのは、かつてのような「わかりやすさ」がなくなっているということ。家族全員がテレビの前に集まってマスメディアの情報を頭に入れる時代ではない。趣味や興味も細分化してるし、岩波文庫全部読んだって教養があるとは言われない。

 ただ、わかりやすいものがなくなっても、比較的に同質性が高い日本人としてこれからもやっていくしかない。「自由と平等デース。HAHAHA」って言いながら一番格差と差別がひどいところの考え方を持ってくるのも無理がある。



 わかりやすいものはなくなってしまったけど、あらゆるものがわかりにくい、という点ではわかりやすい。たぶん僕たちにできるのは、「わかりやすいものがない」という「わかりやすさ」に頼ってやってくことくらいなんだと思う。もっとくだけた言い方をするなら、「みんなそこそこつらい(´・ω・`)」くらいを落とし所にするのがいいんじゃないかな。


 だから、「俺は働いているけどあいつは働いていていない。フリーライドだ!ずるだ!死ね!」みたいな考え方をしてはいけない。社畜でもニートでも、リア充でも非モテでも、DQNでも体育会系でもオタクでもオタサーの姫でも、成功者でもネットで延々と批判をしてる人でも、みんなそれなりにつらい。いや、実際にどうかはわかんないんだけど、「みんなつらい」って思うしかないんだよ。お互いがお互いの状況に対して慎重になるしかない。

 だから、たぶん、僕たちは就職しなくてもいい。就職してもいい。



 「普通は◯◯だから自分は◯◯であいつは◯◯だ」、みたいなことを言えない社会とはどういうものなのだろう。以前のエントリーでも書いた「評価経済社会」では、パラダイムが「宗教」→「科学」や「経済」→「自分の気持ち」というふうに変わってきていると説明している。社会が「自分の気持ち主義」になっていく。

 「わかりやすいものがない」時代には、「自分は何が好きなのか」「自分は何をしていれば満足して生きていけるのか」という形で自分のあり方を定めるしかない。そういう時代の空気を僕たちは感じているし、この流れはもう避けられない。

 リクルート企業というのは、その潮流を逆に利用して「就活」とくっつけようとするから悪質なんだよね。だからこそ、僕たちは「就職」とは別の働き方を考える必要がある。


評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている


「全力で気分よく生きる」という新しい戦い方

 旧来の基準でわかりにくいことが増えている。

 例えば、現代の貧困は、みんなが素朴にイメージするようなガリガリに痩せて服がボロボロで…という見た目でわかりやすいものではなく、教育費や居住費が払えず劣等感から周りにも助けも求められなくて…みたいな感じなんだよね。貧困から這い上がるチャンスもなかなか見出だせない。食品や物品は安くなったけど、子どもをあずかってもらうとか、勉強を教えてもらうとか、そういうものの値段がすごく高い。

 こういう種類のものって、ちょっとした周りとの支えあいやコミュニケーションで、意外となんとかなったりするものが多いかもしれない。シェアハウスすれば家賃は安くなるし、暇だから子どもくらい見ててあげるよと言う人はたくさんいるだろう。評価経済のやりかたで解決しやすいものに、今は高い値段がついている



 評価経済社会の兆しはあるし、そのメリットも大きい。ただ、そうは言っても社会の仕組みが急に変わるわけじゃない。僕たちは、冗長な時間を明日も明後日も生きていかなければならない。


 岡田斗司夫が言ったことは、あくまで個人への具体的なアドバイスだ。


  • もし仕事が見つからなくても、無駄に落ち込んだり自己否定したりせずに、家事とかちょっとしたお手伝いとかを積極的にやろう。ニートだからって引きこもったりせずに、できれば友達をつくって外に遊びに行こう。機会があればボランティアとかにも参加してみよう。
  • 就職できた人は就職できない人を見下さないようにして、金稼げればいいと思わずに周りの人との関係を良好に保とう。困った人を見つけて、お金で助けられるなら助けてあげよう。


 特別ひねったことも言ってないよね。でも、そこから「今まで見たことないような新しい社会が始まる!!」まで理屈を組み立てるのがすごいし、それは大切なことだ。それくらい面白そうな話のほうが、みんな行動に移せるかもしれないから。「自分の気持ち」が重要な時代には、そういうわくわくするものが必要なんだよ。未来はもっと楽しいと思わないと、努力のしがいがないじゃないか。


 岡田斗司夫は、たぶん全力で「気分よく」やっていこうとしている。だからわりと信用できる気が僕はしている。




 時代が進んでどれだけ技術が発展しても、たぶん人間の生活が激的に楽になるなんてことはない。何がどうなってもつらい部分はあるだろう。

 ただ「戦い方」が変わる。今までは「どれだけ金を稼げるか」という戦いだったのが、これからは「どれだけ気分よく生きれるか」という戦いになっていく



 今の社会は、想定された枠組みから外れた人達が「気分よく」しているのを酷く嫌う。

 だからこそ、そういう社会を変えていくために、僕たちは「気分よく」生きていかなければならない。「優雅な生活が最高の復讐」なのかはわからないけど、色んな圧力や悪意に屈しないために「気分よく」やっていくという、これまた「わかりにくい戦い」が始まることを意識したほうがいい。気分よく生きるのも戦いなんだ。



 学校に行かなければろくな人間になれないのか?正社員か、またその妻という「まともな」人間以外は子どもを産んではいけないのか?職にあぶれた人間は、マスメディアで報道されたり漫画やアニメで描かれるような、部屋に引きこもって壁ドンで飯を持ってこさせるような「典型的」なニートでなければならないのか?親がいなくなれば浮浪者になるしかないのか?生活保護や障害手当を貰っている人は常に後ろめたい思いをしながら生きていかなければならないのか?

 そんなわけない。自分のことを卑しめたり、それを社会が強要して何か解決するなんてことは絶対にありえない。


 それでも、懲罰的な言葉が止むことはないと思う。ネットは新しい社会の可能性をもたらしてくれたけど、そのかわり悪意や怨念も可視化されて至る所に溢れるようになった。

 これからは、自分の価値観の中の因果律を持ちだしてヘイトを振りまくような行動が損になる社会をつくっていく必要がある。ただし、ネガティブな言葉や行動でもってネガティブなものに対抗することはできない。


 世の中にヘイトが溢れているからこそ、ポジティブなものがそのぶん力を持つ。評価経済はポジティブな評価を回し合うことで成り立つ。だからこそ、僕たちはどんな状況でも「気分よく」生きていかないといけない。下手に自分や他人を責めないこと。これが評価経済の時代の戦い方になる



 全力で気分よく生きようとする人は、コスプレして渋谷にゴミを散らかしていくような輩とは真逆だよ。評価経済の中で自分勝手にやって周囲に好かれるわけがない。自分も、周りの人達も、みんなが気分よくやってけるように配慮しなきゃいけない。

 誰だって人に気を使って生きたくはないと思う。悪口だって言いたいし悪態だってつきたい。でも金稼げないんだからしょうがない。これからは、自分はダメな人間だと落ち込まない。無理をしてでも楽しく生きる。困ってる人は積極的に助ける。人との繋がりを大事にする。自分の持っている悪意を人に見せない。そういう戦いになっていく。

 当たり前だけど、全然楽なことじゃないよね。でも仕方ないし、今の社会よりもちょっとはマシかもしれない。長くなったけど、要するに「就活失敗したり仕事クビになってもあんまり落ち込まないほうがいいよ」ってこと。本当に言いたいのはそれだけですよ。

 というわけで、みなさん頑張って気分よく生きましょう。僕も頑張ります。



優雅な生活が最高の復讐である (新潮文庫)

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