しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

日本は『子どもの貧困』が多い国だと認識しよう

 子どもの貧困率は年々悪化している。日本は平等な国だという価値観がいまだに根強いから、そういう事実を直視したがらない人は多い。例えば貧困による給食費や保険料の滞納だって、「本当は払えるのにわざと払わない親もいる」とか「子どもすらまともに育てられない親に金渡したってパチンコに消えるだけ」みたいな論調の話がマスメディアで平然と流されるという恐ろしいことも起こっていた。最近テレビの討論番組とかまったく見てないけど、さすがに今はもう少し問題が認知されてきていると思いたい。


 子どもの貧困率、最悪の16.3% 厚労省12年調査

 という日経の記事にもある通り、現在子どもの貧困率は16%以上で、6人に1人の子どもは貧困とされている。「貧困」の基準には、相対的貧困率という指標を使っている。


 相対的貧困率なんてまったく意味のない数字だ!!みたいなことを言う人はけっこう多い。「日本は豊かになったんだ!なんで携帯電話を持ってる奴が貧困なんだよ!僕が子どもの頃はもっと貧しかった。アフリカではハゲワシに食べられそうな子どもが…」みたいな発想で考えてるのかもしれないが、主旨を取り違えてる。

 まず、子どもの貧困を表す指標として相対的貧困率を使っていること。独り身なら所得が少なくても工夫次第で豊かな生活を送ることができるかもしれないが、子どもを育てるとなると絶対に一定の所得が必要になる。教育費は基本的にその社会の平均的な給与を基準に求められる。


 そもそも、相対的貧困率はOECD(経済協力開発機構)の基準で、世帯ごとの手取り(可処分所得)を順番に並べて、その中央値の50%以下の所得の人を「貧困」と定義している。50%という数値を40%や60%にすることもあるらしい。ちなみに、「絶対的貧困」というのはなかなか指標として定義するのが難しい。


 相対的貧困率って要は格差のことでしょ?って言う人もいるが、中央値使ってるから上のほうの変動はあまり関係ないし、一部の金持ちが突出している国は「相対的貧困率」がそれほど高くならないことがある。例えばアメリカは1990年代に入ってから高所得者の所得がさらに増加して格差が拡大したが、同時に低所得者の所得も若干増加したので貧困率は低下した。むしろ、格差が拡大したときに、それが貧困の増加を伴うものなのか貧困の減少を伴うものなのかを見る指標に使える。


 相対的貧困率は所得をベースにしているので、把握しきれないことも多い。例えば金があるから働かなくていい人も所得がなければ相対的貧困ということになってしまう。ただしそういう人は少数なので、大枠としてみれば有用な指標になる。「中央値の半分から下なら相対的貧困って絶対になくならなくね?」と思う人もいるかもしれないが、例えば95年のフィンランドの子どもの相対的貧困率は2.0%だったのに対し、アメリカは24.5%だった。ここまでの差は、純粋な経済力よりも、雇用状況、国や地方自治体による政策、社会保障制度の違いを意味する。だから貧困を考えるとき、特に一定の費用がかかる子どもの貧困を考えるときに相対的貧困率は注目に値する数字とされている




 今回読んだのは阿部彩『子どもの貧困』だ。かなり衝撃的な本だった。貧困の子どもを育てている世帯は、決して怠けているわけではなく、必死に働いても給料が安く社会保障も整備されてないから苦しんでいること。そして貧困の子どもが増え続けていることを具体的なデータで裏付けた本。


子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)

子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)


 前提として、子どもの貧困はそれぞれの子どものあらゆるチャンスを奪い、ハンディを克服する機会がないことは向上心の低下とあきらめを産む。このような社会の下層の固定化は、やがて社会全体の生活レベルをも下げることになる。現在の時点でも、親の階層と子どもの階層の深い関係を裏付けるデータはたくさんある。もちろん本書で紹介されているが、長くなるので割愛。

 素朴に考えても、ちゃんと塾や習い事に行かせてもらえて私立に通える子どもと、両親があまりに忙しく塾に行けないし宿題も見てもらえない子どもとの間では後天的な環境の差がついてしまう。


 本書が扱うのは、あくまで「子ども」の貧困である。著者はあとがきで、高齢者の貧困があることもわかっていながらあえて子どもに目を向ける痛みを告白していたが、親や親族がどうかとかじゃなく、すべての子どもに最低限の権利が確保されているかに目を向けることが重要だと主張している。


 第一に、子どもの基本的な成長にかかわる医療、基本的衣食住、少なくとも義務教育、そしてほぼ普遍的になった高校教育(生活)のアクセスを、すべての子どもが享受すべきである。「格差」がある中でも、すべての子どもに与えられるべき最低限の生活がある。これが「貧困基準」である。本書の題名が「子どもの格差」ではなく、「子どもの貧困」である理由はここにある。これは、「機会の平等」といった比較の理念ではなく、「子どもに権利」の理念に基づくものである。

 第二に、たとえ「完全な平等」を達成することが不可能だとしても、それを「いたしかたがない」と許容するのではなく、少しでも、そうでなくなる方向に向かうように努力するのが社会の姿勢として必要ではないだろうか、ということである。その点で、日本の社会、そして、日本の政府は、子どもの貧困について、今まであまりにも無頓着であった。「一億総中流」という幻想に、社会全体が酔わされていたように思う。



 本書はデータを示しながら子どもの貧困国である日本の問題を指摘していく。全部は書けないが、いくつか気になった論点を書いていく。



 まず、国際的に見ても、日本は子どもに対する保障が著しく少ない。日本の「家族関連の社会支出(児童手当、児童扶養手当、育児休業給付など)」はGDPの0.75%で、OECDの先進国の中でもアメリカについで少ない。スウェーデンは3.35%、フランスは3.02%、イギリスは2.9%支出している。教育支援も最低レベルで、日本の教育への公的支出はGDPの3.4%、北欧諸国は5%から7%あり、アメリカですら4.5%ある。

 また、日本はシングルマザー、母子世帯の子どもの貧困率が圧倒的に高い。両親と子どもの核家族、祖父や祖母もいる三世代世帯の貧困率は11%なのに対し、なんと、母子世帯は60%から70%の間で推移しているらしい。親と同居している母子世帯においても30%台と高く、父子世帯は19%だ。ちなみに、日本の母子世帯の就労率、勤労時間は欧米諸国とくらべて圧倒的に高い。8割から9割が働いていて、過労により病気などで働けなくなってしまった人も多い。保障がないから無理してでも働かざるをえず、生活保護は多くのものを失った後にしか加入できない。

 僕がかつて書いたエントリー「「学校」と「企業」が成功しすぎた日本」や「日本の雇用は「身分制」」でも書いたけど、日本は男性正社員に「不当に」高い給料を与えることで、他に必要な社会保障もまかなっていた。だから、男性の正社員とその妻というレールから外れると、保障がほとんどなくなってしまう。

 そういった事情を考えると、これから何らかの手を打たない限り子どもの貧困はますますひどくなっていきそうだ。というより、それ以前に子どもを作るのは無理だと判断する人が多いというのが現状かもしれない。


 そして、超衝撃的だったのが、政府が再分配することによって子どもの貧困率が上昇しているということ。マジで目を疑った。普通は、税金って所得の高い人から多く徴収して困ってる人に回すものだよね?それが、日本では税金の再分配を通して貧困が加速している。再分配後のほうが、再分配する前よりも貧困率が高い。こんな国はOECD諸国の中でも日本だけ。

 基本的に、日本の子ども貧困世帯の親は必死に働いている。というより働かざるをえなくて、それでも給料が低いから貧困に陥っている。そのかつかつで働いている親の税金を普通にとって、他の社会保障や政策のための財源として使い、貧困に苦しむ子どもにはあまり保障も与えない

 出生率が上昇したフランスなんかは、再分配前の子どもの貧困率は25%に近いけど、再分配後の貧困率は2~4%だ。他の北欧国家も、再分配前の貧困率は日本と変わらないが、再分配によって貧困率が下がっている。マジかよ…。

 換言すると、日本の「低所得層」は、所得に不相応な負担を強いられており、「高所得層」は所得のシェアに比べると負担が少ない。このような所得と負担の配分の違いが、貧困率の「逆転」という現象を引き起こしているのである。

 要するに、シングルマザーとか、想定された枠にはまらない人達のことはまったく念頭にないんだね。まあ政治家になるような方々は立派な家庭で育ったのが多そうだしね。まさかこんなことになってるとは…。大企業の正社員か公務員以外は子ども産めないじゃん。



 本書は「子どもの貧困」の問題を主張しているが、これは俗に言う少子化対策とは少し違う。日本の家族政策の多くは子どもの貧困の削除を目的にしていない。日本では「家族政策」=「少子化対策」という図式が出来上がって、仕事と育児を両立させる支援を行う制度を整備してきたが、子どもが貧困の家庭では親は必死に働いていて、それでも貧乏だから問題なのだ。


 筆者も本書で仮説として言っているが、日本人は貧困に陥っている子どもを救済するという意識が他の国と比べても少ない。日本人の多く、特に年輩の方は、自分自身が戦中、戦後の食べ物も事欠く時代を生き抜いてきた経験を持つため、子どもの相対的な貧困に共感できない。その気持は少しは汲んであげるべきだとも思うけど、問題が発生するたびに「親のモラルが」とか言い出すのは許容できない。

 また、子育てをめぐる環境は大きく変わるので、現在進行形で子どもを育てている人じゃない限り現在の子育てに必要なものが何かよくわからない。塾とか私立の学校みたいなのが典型的な例だけど、もう階級ができてしまって、公立に行けばいじめられるか不良になるかしかないみたいな地域だってある。

 そもそも子どもの教育費自体が飛躍的に上昇してる。グローバル化とか輸入解禁とかで物価が下がっても、それに比べて人的サービスの価格は下がりにくい。だから塾代とか保育代は相対的に高くなってる。


 少子化対策とか言ってるけど、今困っている子どもをどうにかするのが先なんじゃないかな。それに、ちゃんと子どもが育てられる環境を整備するほうが「とにかく産め!」と言うよりも長い目で見れば効果的だと思う。著者は、子どもの数を増やすだけでなく、幸せな子どもの数を増やすことを目標とする政策を提唱している。


 「教育の平等」「機会の平等」が支持されない社会とは、どのような社会なのであろうか。不利な状況を背負って生まれてきた子どもたちが、そのハンディを乗り越える機会を与えられない社会とは、どのような社会なのであろうか。自らが属する社会の「最低限の生活」を低くしか設定せず、向上させようと意識しないことは、次から次へと連鎖する「下方に向けてのスパイラル」を促し、後々には、社会全体の生活レベルを下げることとなる。私たちは、まず、この貧相な貧困観を改善させることから始めなければならない。


 この本の出版は2008年。今年2014年の8月に「子どもの貧困対策大綱」が初めて策定されたから、改善の兆しも少しは見えてきたのかもしれない。しかし、有村治子とか、大丈夫か…?




他の記事も読んでね。