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現代の戦争について【情報と戦争】

 1990年代から2000年代初めにかけて起こった戦いで実証されたことだが、「きわめて効率の良い軍隊」というものが可能になった。少数精鋭の、数少ない兵器や兵士でも軍事上の目的を達成でき、最先端の技術が戦力を著しく左右するようになる


 江畑謙介『情報と戦争』を読んだが、情報技術と戦争との関わりについて書かれた興味深い本だった。下の画像はプロイセンの軍事学者カール・フォン・クラウゼヴィッツ。『戦争論』(小林よしのりじゃないぞ!!)の著者である。

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 昔の戦争は「クラウゼヴィッツ型の戦い」と呼ばれていた。指令を発する相手戦力の中枢を攻撃するために、それを防護している周辺の戦力から人員をかけて順番に突破していって、リニア(線形)のように段階的に戦闘を進めていく

 早期警戒レーダーを妨害し、破壊し、防空戦闘機と空中戦を交えて破壊させ、次にその発信基地を叩き、さらに地対空ミサイル基地を攻撃し、防空指揮司令部を爆撃して、ようやく敵の中心部に侵入できるようになる。そうしてからやっと、敵の指揮中枢や政治の中枢、あるいは戦力の基盤である工業施設、燃料貯蔵施設、エネルギー・通信インフラなどを破壊できる。

 というふうに、段階を踏んで闘う必要があった。だが今では、ステルス機やGPS誘導兵器などを使い、いきなり敵の中枢を攻撃できるようになったリニア(線形)ではなくパラレル(並行)の戦い。政治の中心、通信の中心、エネルギーや輸送の中心、防空や戦闘指揮の中枢などを、段階を踏むことなく同時並行的にいきなり攻撃できる「非クラウゼヴィッツ型の戦い」になった。



 1991年の湾岸戦争では、F-117ステルス攻撃機が一気に、イラクの空軍司令部や通信、放送、電話交換施設を攻撃した。イラクの指揮統制通信機能は一瞬で麻痺。中央からの指令による組織的な行動が一切できなくなってしまった。

 湾岸戦争の対イラク航空機で、ステルス性の機は5%にすぎなかったが、その少数の兵器でイラク軍の防空指揮能力を制圧した。米軍はそのような装備を「トランスフォーメーショナル(変革的)な装備」と呼び、「効果を基本」とする目的ベースで、従来(兵士数や兵器数=軍事力)とは違う戦い方を目指すべきとしている。

 現代の戦闘では、兵士や兵器の頭数よりも、先進的な技術があるかどうか、性能が優位かどうかがあまりにも決定的な差になってしまう

 トランスフォーメーショナルな軍隊とは、換言すれば数、量に囚われない軍隊である。従来の軍事作戦では、「攻者三倍の法則」「ゲリラ戦に対するには、ゲリラ勢力の10倍の兵力が必要」などと、数(量)が基本であった。しかしトランスフォーメーショナルな軍隊ならば、そして「効果を基本とする作戦」を実施するなら、敵よりも量的にはるかに少ない兵力でも目的を達成できると考えられるようになってきている。

 また、テクノロジーの進歩、ネットワークの力によって、従来の小隊長や指揮官、通信任務を受け持つ兵士は必要とされなくなる。あらかじめ地形がわかっているし、仲間と自分の位置関係も把握できる。指令は遠隔で受けることができる。一人の指揮官のもとに大規模な人員をかけて敵を突破みたいな戦闘はどこにもなくなりつつある。



 軍事システムのネットワーク化は、さらに、「宇宙空間」という新しい戦場を生み出した。実行しようとすると色々な問題はあるが、相手の衛生を妨害したり撃ち落とせればかなり有利になる。もう徴兵制で兵士を増やせばとかいうレベルの問題じゃない。もちろん歩兵の役割が完全になくなるわけじゃないだろうが、先進国の軍隊では国防費の削減のため、輸送や施設維持などの機能を民間会社に委託する割合が増えているらしい。

 日本の憲法で戦争ができるかどうかとか、憲法改正で徴兵制が復活するかとかいう以前に、まず合理化と情報の共有から始める必要がある。だが、自衛隊出身の某母神さんの言説を見る限り、要は自衛隊に予算をくれという利権を持った省庁みたいなことばっかり言ってる。



 旧来の戦争であれ、現代の戦争であれ、政治経済やメディア、国民意識を含んだ総合的な戦いであることは変わりはないだろう。実際に殺し合いをする部分よりも、その前と後が大事なわけだが、現代の戦争、特に先進国同士が戦争をしたら具体的にどのようなものになるのか、なかなか想像できない。軍事語るのが好きな人のブログとかを見ていても、頭の中で戦闘部分を抽象しているだけで、色んな文脈をすっとばしている。だが、現代において「戦争」というものの全貌を想像することが非常に困難なのもまた事実。



 幻想(ファンタジー)として考える戦争にはロマンがあるだろうが、そういうのは2ちゃんねるとかTwitterで語るくらいにとどめておいたほうがいいだろう。

 今起こってる内戦なんて一般人を巻き込んだ政治的なものだし、大国どうしが純粋に戦力を競うようなドンパチなんて起こるのだろうか。初手から相手の「王将」を狙い撃ちできるわけだし、そもそも核兵器ある時点で攻撃力が極端に上がりすぎ。聖闘士が聖衣なしで殴り合うようなものだろう。

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 あとは、最近は国対国ではなく国対民族、国対個人の戦争になっているとも言われる。抑止力というのは国対国の概念で、それ自体は有効な考え方でなのだろうが、テロリストに対して抑止力という概念は成り立たちにくい。抑止してもやる奴は損得を秤にかけることなくやってしまうだろう。どれだけ軍備を強化して強大な抑止力をつけても、流星街の住人みたいなテロリストには無意味だ。

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 「戦争」という言葉には、イデオロギーとか関係なく、真剣に考えなければならないものがあると思っているが、僕自身、これからの戦争がどういったものになりうるのか詳細に想像する知識も能力もない。ただ、戦争によって「何かがはっきりする」みたいなことはあまり考えないほうがいいとは思っている。事実は複雑で、わかりにくい。僕は軍事を全て否定するわけじゃないし、自衛隊に関してはもっと合理化を推し進めるべきだと思っているが、仮に「戦争」が起こる(起ころうとしている)として、それが「わかりやすいもの」だった場合、何か間違ってるんじゃないかと疑いにかかるのが今までの教訓と言えばそうなのだろう。


情報と戦争    叢書コムニス02

情報と戦争 叢書コムニス02



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