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石岡良治『視覚文化「超」講義』を読んだ

 最強の自宅警備員、石岡良治さんの単著がついに出た!!ニコ生PLANETSに出てくる大人気の無職。でも大学の教授とかしてた時期もある。ユリイカや現代思想に寄稿したり、翻訳をやったりしてたらしいけど、活字を読んだのはこの本が初めて。

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 John Hathwayの表紙がすごくいいね。僕も本出すならこういう感じがいい。



『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)石岡良治さん Short Ver - YouTube


 この自宅警備員っぽい風貌で頭がめちゃくちゃ切れるのが人気の理由です。


 色々と忙しくて、発売日近くに買ったんだけど部屋に積んでた。今日たまたま掃除してたら目に入ったので読了。本書はタイトルの通り講義録で、出てくる話も断片的なんだけど、無理矢理に要約してみる。



 まず、この本の前提になっているのが、情報過多の時代だということ。今この世に出ているものだけでも、一生かかっても見ることのできない量の動画がyoutubeやニコニコ動画に転がってる。そんな情報過多の時代において、僕たちはどうやって動画(視覚文化)というものを捉えていけばいいのか。

 情報過多の時代では、教養というものはもう成り立たない。シェイクスピアを暗唱できるとか、漢籍を読みこなせるとか、岩波を全巻読んだみたいな教養のあり方はなくなった。「逃さないこと」ではなく、何を選ぶか(何を捨てるか)が問題になる。


 次に、ノスタルジアの問題。過去を扱った映像作品などでは、郷愁、懐古が商品となり消費されることになる。「古き良き日本」を描いた「ALWAYS 三丁目の夕日」みたいな、宮台真司がクソ映画だと言っていたけど、当時の悪い部分に目をつぶって過去を美化する商品に人気がでる。でもポイントは、仮想体験としての懐かしさであって、今の小学生に三丁目の夕日を見せても「懐かしい」という反応がかえってくる。「あの花の名前を僕たちはまだ知らない」もノスタルジアを扱っているが、小学生から高校生までの5、6年のスパンでもある種の憧憬は十分に喚起され得る。それは「郷愁」というものの普遍性に負っていると同時に、そのフックにはそれぞれの時代における経験が関わってくるという二重性がある。


 新しいメディアが出てくるたびにノスタルジアが喚起され、一つ前の世代のものに温かみを感じ、最新のものを冷たいとか軽々しいと感じる現象は常にある。ゲームで言うなら、画面の粗さやドット絵に温かみを感じたり、難易度高くないと手応えがないと思うみたいなことだろう。また、ジブリの変わらない画風はノスタルジアを積極的に扱っていると捉えることもできる。

 ユースカルチャーみたいなものは、学校に所属する数年間を単位にして、彼らの支持する作品群やファンコミュニティが形成されていく。こういった動きは10代の消費行動が重要になった50年代アメリカから現在まで続いている。

 時間のサイクルによって流行り廃りができて、そのスパンによって古いとされていたものがまた新しいと注目されることが多い。



 しかし、「動画の時代」は、ファンも作品も並列化されるようになる。マスメディアが顕在だった時代は、マスメディアに現在とりあげられているものが新しかった。

 だが「情報過多」の現在は、古い動画も新しい動画も同一のプラットフォームにあって、同じように視聴することができる。時間のサイクルによって「新しさ」が演出されにくくなったから、「新しさ」で自己主張することは難しくなっている。また一方で、あらゆるコンテンツにはそれぞれの時間性がある。そこをどうやって考えていけばいいのかという問題。


 とにかく、現在はスピードが早い。一つのものが廃れる速度も、古いものがまた新しいと捉えられる速度も早まっている。そこで減速するべきとか離脱するべきという話が出てくるけど、それよりもリズムの尺度を複数化するべきなんじゃないか。むしろ、ネットにおいて速度が早まる部分ができたおかげで、「復数の時間性」を考えることができる。


 これまでの講義では、私自身の判断基準も含めて、様々なカルチャーを判定する際の「美意識」そのものを提示するというよりは、そうした判断基準が覆されるケースを強調してきました。それは良し悪しの判断からシニカルに距離を取るためではありません。むしろある種の対象を前にしたときの私たちの「不公正さ」が、当人の批評基準に由来する必然性を持つのか、それとも時間差がもたらす副次的効果にすぎないのかどうかを、まず見極めることが重要だと考えているからです


 という現在の視覚文化への示唆。これ自体はすぐれているものだと思う。速度を否定するわけじゃなくて、復数の速度のあり方を見極めながら批評すること。



 著者は、本書でとり上げるメインの映画の一つに、BTTF(バックトゥーザフューチャー)を選んでいる。BTTFは、文化のマトリクスとして、多様な時間軸を考えることができる映画だそう。PART1では、80年代から見た50年代を今(10年代)の僕たちが見るということになるし、PART2では、過去(80年代)から見た未来(2015年)を今(2014年)の僕が見るということになる。

 また、BTTFに出てくる「デロリアン」など、「ガジェット」に注目しているのが面白い。ガンダムも好きなようで、「ガンプラ」というガジェットに注目している。


 ネットカルチャーでは、その都度起点となるガジェットそのものがファンコミュニティの外部にあることが重要と考えています。つまり人々のコミュニケーションを媒介にしつつも、その外にあるからです。私は作品経験を人工物としてのガジェットから検討することが、様々なカルチャーを考える上で重要な示唆をもたらすと思います。


 正直言って、体系的に論じたものではないので何とも言いようがない。ゲームについても書かれてるけど、ちょっと脈絡がない気がした。物足りなさが残るというか、講義録だから仕方ないのかもしれないけど、この人は本腰入れてもっと大きなものを書くべきだと思う。

 良い本は要約できないと僕は思っているが、この本もその一つに入る。少し高いけど、買って損はないだろう。


 ただ、消化不良感は否めない。早く気合入れて大著を書いてほしい。買うから。

視覚文化「超」講義

視覚文化「超」講義




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