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しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

ポケモンバトルについて思うこと

ゲーム ポケモン

 ポケモンで対戦することは、憧れだった。初代からやってきたポケモンも、友達と真剣に対戦した経験はなかったし、テレビや雑誌でやっているポケモンバトルは食い入るように見た。ポケモン図鑑を完成させ、手持ちのポケモンのレベルを100まで上げたが、他のプレイヤーと対戦する環境が整っていたわけではなかった。ルビーサファイアにはバトルタワーというやりこみ要素があってずいぶん熱中した覚えがあるが、それでも物足りない。


 そして、Wi-Fi通信対戦の解禁、バトルレボリューション。ネットでは厳選や育成に関する情報が飛び交うことになった。その幸運を、大学生の持て余した時間で全力で引き受けて、僕もポケモン対戦に乗り出すことになる。初代からやってきたポケモンで、会ったこともないトレーナーと本気で対戦ができる、こんな喜びはなかった。


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 あれこれ情報を検索しながら、自分の理想とするパーティーと、それを構築するまで道筋を確実に実行していくのは楽しい。やっと完成したポケモン達で対戦に乗り出すのはわくわくした。そして、机上で思い描いていた自分の戦略、理論がいかに拙いものだったのか思い知らされる。やはり厨ポケと呼ばれる環境トップのポケモンばかりが溢れるのには必然性があるのだ。


 だが、仮説と検証を繰り返しながら、ある程度までは自分のこだわりを持ちながら勝ち続けることはできた。戦略と、機転と、読み合いと、長い長い準備。単純なバトルとしてのやり取りよりも、どのポケモンをあえて選ぶのかという「こだわり」の占める割合がポケモンというゲームにとっては大きい。レートを上げることが目的であっても、ちょっとした工夫やこだわりを自分のポケモンに加えたいというのは当然のことだろう。その上で勝ちたい。僕にとってのポケモンの楽しみはそこにあった。


 実際に自分の好きなポケモンを考えてみると、その選好がバトルをする上での使い勝手に強く左右されていることがわかる。もちろんゲーム内のイベントや、アニメやグッズの愛着や思い出も関わってくるのだろうが、それ以上に、バトルをする上での、ゲームという体系の中での位置づけに拠っている部分が多いことに気づく。ステータスや、覚える技の種類、戦略の作り方、立ち回りの手応えのようなもの。その計算と確率がもたらす感触が、ポケモンというデジタルな生き物との関わり方と結びついている。




 ポケモンたちの愛らしく奇妙な外見と、彼らの持つ能力やステータスという数値の相関は、あるような気もするし、あまり関係ないようにも思える。いずれにしろ、厳密な根拠は求められないだろう。ポケモンの生態系における位置づけや、体型や特性が一致しているわけではない。あるいは抽象化され、あるいは戯画化された、そのデタラメとも言えそうな想像力の間、数値と愛着と物語が結びつく、そのとまどいと楽しさ…。

 本質的なところは、ある程度デタラメなのだと思う。今でこそそれなりの環境があるが、初代のポケモン対戦は粗雑なものだった。ゲームバランスという対戦に必要と思われる要素も、後から整えられていったに過ぎない。



 結局のところは「ジャンケン」なのかもしれない。もちろんそこにいろんな駆け引きがあるにしても、あくまで「択」の問題であって、その選択肢だってそれほど多様なわけでもない。確率に左右されるところは大きい。単純に思考を楽しみたいなら囲碁や将棋をやればいいかもしれないし、戦略的な準備の部分が好きならカードゲームなど、他にも優れたゲームは多くあるようにも思える。

 僕はXYの対戦をやっていないからわからないのだけれど、今のポケモンの「環境」がバランスのとれたものであるかという問題も、プレイヤーそれぞれ思うところがあるだろう。


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 「ソーシャルゲーム批判」で軽く触れたのだが、対戦環境を構築するようなゲームが頻繁にアップデートしてバランス調整を繰り返すところを、ポケモンは一つの作品ごと、タイトルごとにアップデートしている。作品としての「物語」が前提としてあり、その中のデータベースであるポケモンたちがそこから溢れるように作品の外で繋がっている。10年以上前に人気を博したポケモンたちも、時代の手垢にまみれることなく、新しいメンバーと同じデータベースの中に存在している。ポケモンはある意味では原点だと言えるし、ある意味では最も特異なRPGだ。



 相応に、狂気じみた部分もある。例えばBW時代、子供が遊ぶと地面に落としてしまうからという理由で片手の操作が禁止されたが、同時に、日常を破壊してしまうくらいの廃人要素がゲームの中に備わっていた。あるいは、それは単なる惰性だったのかもしれない。ネットも普及していない、ゲームがゲームらしい無邪気なやり方を許されていた時代、個体値や努力値というのは単なるイタズラ程度の隠し要素に過ぎなかったのだろう。ただその仕組みは、モンスターを育成するポケモンというゲームにあまりにもうまく噛み合っていた。だが、それを対戦というゲームにとって必要な仕組みに致命的なほどまで組み込んでしまったのは、初代が持っていた無邪気さをうまく処理しきれなかったからではないか。僕は5世代の厳選環境にはうんざりしていたし、個体値に関しては完全に諦めていた。XYになって厳選や育成がだいぶやりやすくなったが、それも当然に処置のように思える。



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 小学生のときにハマって、大学生の頃に再燃するという揶揄の仕方はさもありなんと言った感じだが、たしかに、事の次第を良くあらわしているように思える。本質的には根拠のないところでの、数値と愛着の関わり方。あるいは、アニメで見られるようなポケモンとの友情関係とは違う、孵化と厳選を繰り返す残酷さと、デジタルなものを突き詰めたところのゲームらしさ。それらは子供のころにはあまり意識することのない感覚かもしれない。育成という生々しい行為と、確率の問題として試行回数を繰り返すゲームらしさが渾然一体になったところに、独特の愛着と洒脱とこだわりがある。そこに対するプレイヤーそれぞれの距離の取り方もまた、ポケモン独特のものがあるように思える。



 もちろん、対戦というのはあくまでのポケモンの一部分であり、まさにそういうところが恐ろしい。とにかく、大きい。そしてある程度の時間の流れにも耐えてきた。「ソーシャルゲーム批判」を書いた時点では、ポケモンについてたくさんのことを書ける気でいたのだけど、いざ書こうとすると何も書けなくなってしまった。いろんな複雑なことを語れそうな気がするが、ポケモンという全体について語れることは何もないような気もしてくる。それにしても、ただ巨大だというだけで、これほど掴みどころがなくなってしまうようなものなのだろうか?



 無理矢理まとまったことを考えようとするのは僕の悪いクセなのかもしれないが、ポケモンというゲームについて本格的に語ってみたいという気持ちは消えていない。もうすぐ新作も出るんだよなあ…。

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 ポケットモンスターORAS(オメガルビー アルファサファイア)の発売日は11月21日、12年前のルビーサファイアと同じ発売日!!ていうか、もう12年も経ってたのか(´・ω・`)



 最近は妖怪ウォッチがポケモンを押してきているとのことで、それが一過性のものかどうかは別として、そういうゲームが出てきたこと自体は喜ぶべきことなんじゃないかと思う。妖怪ウォッチやろうかなあ……。


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