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しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

ゲームを作りたい

 何かを作る仕事がしたい。ふと、気まぐれで大学でやってた就農セミナーに参加して、農業っていいなあ、と思ってしまった。将来自分が何をできるかを考えたときに、胸を張ってこれができる、みたいなことは何もないし、広告打ちまくったりとかつまらないものを売り込んだりする仕事はやりたくない。人と接するのもどちらかと言えば苦手だ。何か生産的なことがしたくて、そのわかりやすい形が農業だったから、ちょっと惹かれてしまった。一応僕の実家は畑とか山とか持ってるはずだ。ディーゴ総帥だって晴耕雨読の生活が一番だと結論づけたんだよね。


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 ゲームを作りたいと思っていた。小学生の頃の夢はゲームクリエイターか漫画家か小説家だった。今はもう夢も希望もなくしたと思っていたけど、もしなれるとしたら何になりたい?と聞かれたら、昔とそんなに変わっていないのかもしれない。

 小学生の頃は夢中でゲームをしていた。「テレビゲーム制作に関わりたい子は、たくさんゲームをやるより、本をたくさん読んだほうがいいですよ」と13歳のハローワークで見たので、中学生からは本もけっこう読んだ。

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 基本的に中学、高校は無気力に過ごしていたかもしれない。ゲームはそれなりにやっていた。あとは、世界の成り立ちについて思いをはせたり、女の子のことを考えたりしていた。高校終わりくらいから浪人時代にかけては、常に鬱々としていた。ネトゲをしたり、政治関連の本を読み漁ったりして、いっそのことテロでも起こそうかと考えていた。

 一応大学に入ったけど、不本意と言えば不本意だった。でも、将来ゲーム関連の仕事に関わりたい、ということを少しは考えてのチョイスだった。それで、4年間だらだらと過ごし、今の僕がある(^_^;)


 就職先は決まっていない。大学院の試験を受けた。就活は1ヶ月ほどやってみたのだけれど、クソゲー過ぎたからすぐ投げ出してしまった。(参考:就活を諦めた僕が冬の江ノ島で考えたこと)保険会社とか食品会社とか百貨店の説明会に行ったんだけど、どうしてゲーム会社を見てこなかったのか、今はすごく後悔している。興味はあった。というか、興味があったからこそ行けなかった。どうせ受からないな、と思って怖気づいていた。何とも思ってない子にはフレンドリーに接せるけど、本当に好きな子の前からは逃げ出したくなる、みたいな感じかもしれない。



 作りたいなら自分で勝手に作ればいいじゃないか、と言われるかもしれない。大学時代、ちょくちょくゲームを作ったり、作りかけたりした。そこで分かったのは、自分はプログラミングの適性がない人間だということだった。

 プログラミングってわりと誰でもできるようなものなんだけど、それなりにマニアックな分野であることは間違いない。こいつはプログラマーだな……!!と僕が思った人間は、ちょっと自分でコードをいじって、「すごくね?俺こんなに改造してるぜ!」みたいな無邪気なところがあったように思う。そういう部分に対する憧憬が足りない人間は立派なプログラマーにはなれないのかもしれない。僕は昔からプラモデル組み立てるとか面倒くさくてまったくやりたがらなかった。計算力も公文式をひたすらやっていた小学生の頃が全盛期で、高校の数学なんかも計算するとか無駄だと思ってたから、問題と解答を同時に見て勉強するような人間だった。プログラミングで行き詰まったときも、「はいはい、仕様でしょ。どっか間違ってるんでしょ。それはわかるよ。わかるけど……あああああああああ面倒くせえええええええええええっ/(^o^)\」みたいな感じで、「問題解決力!!( ー`дー´)キリッ」みたいなモチベーションが湧いてこない。

 あと、環境設定も超絶苦手な分野だ。というより、パスワードを設定したりソフトウェアのアップデートをしたりするのも面倒くさいと思ってしまうほどずぼらな人間なのだ。ブログを始めようと思ったときも、迷わず既存のブログサービスを使ってしまう。人に使われる社畜にはなれてもベンチャーを立ち上げるようなことは出来そうにない。



 ただ、プログラミングの延長に僕の求めているゲーム制作があるわけではないと思う。ちょっと大規模なものやオンラインを使ったものを作りたかったら、今は技術が細分化してるし、「ゲームを作る」というのとはちょっと違ってくるかもしれない。ゲームクリエイターになるためにプログラミングが必須というわけでもないだろう。だからといってデザインができたりするわけではない。小学生、中学生と、ノートに頭のおかしな漫画の連載を描いていたくらいだ。今でもたまに見返すと笑えるが、もちろん人に見せれるものではない。音楽もからきし。リコーダーを拭くといびつな音が出た。

 じゃあ、「企画」ということになると、その言葉だけで尻込みしてしまう。アイデアは実装力と一体になっていなければならない、みたいな宗教を信奉しているわけじゃないけれど、やっぱり手元から何かを作っていきたいという気持ちはある。




 ちなみに、僕が作りたいゲームはエンターテイメントではない。これまでのゲームの蓄積を使って、社会に良い効果をもたらすことができるものを作りたい。考えているものとしては、一つは「教育」で、もう一つは「物語」だ。


 まず、一つの作品としてのコンシューマーゲームを作るとしたら、ゲームから何らかを学び取れるようなものがいい。ゲームクリアするころには各教科のセンター試験を8割くらいとれる知識が身についているようなゲームとか、そういうものを作りたい。

 和ゲーは主に子供向けに作られてきたこともあり、簡単なことから始まって段々難しいことができるようになるゲームデザインが洗練されてきた。これは教育的なものに応用するべきだと思う。小学校低学年の頃の僕に「ゼルダの伝説 時のオカリナ」がクリアできたのだ。それなりに複雑な考えが求められるゲームはたくさんある。この素晴らしいゲームの数々を活かして、教育的なゲームを作れないだろうか。

 数学ができるようになるゲームとか、物理や化学ができるようになるゲームでもいいんだけど、欲を言えば、僕はもっと総合的なゲームを作りたい。


例えば、僕が影響を受けた吉田武さんの「虚数の情緒」みたいな本が参考になると思う。

虚数の情緒―中学生からの全方位独学法

虚数の情緒―中学生からの全方位独学法

この本はなかなか良い本で、こういうゲームがつくれないだろうかとずっと思ってきた。


僕の好きな教養小説である「魔の山」だってゲームに取り入れたい。登場人物がそれぞれいきいきとして好き勝手しゃべるような感じが好きだ。

魔の山〈上〉 (岩波文庫)

魔の山〈上〉 (岩波文庫)

制作者一人ひとりのこだわりがちょっとしたところで見えるゲームっていいよね。


あとは、やっぱり「教養」みたいなものも、今はどんどん知識が細分化しているので成り立たなくなってきている。岩波を片っ端から読めばそれで足りるわけじゃない。ゲームは、一つのパッケージ、総合的な芸術として、あらゆるものをまとめあげて一つの総体として提示することができる。松岡正剛の言う「編集」とかも、僕の好きなキーワードだ。

知の編集術 (講談社現代新書)

知の編集術 (講談社現代新書)




 もう一つは、「物語」だ。普通オンラインゲームをつくるとき、「物語」というものは切り捨てられる。でも僕は、オンラインゲームだからこそ、「物語」の効用をよく考えるべきだと思う。

 僕が作りたいのは、出会い系としてのゲームだ。ネトゲのオフ会なんてよくあるけど、マッチングシステムとゲームとしての楽しみを両立したものを作りたい。というのも、僕は「出会い」には「いいわけ」が必要だと思ってる。その「いいわけ」をゲームの中で作り出すことはできないだろうか。ゲームの中でなら、現実の世界で硬直しがちな偶然性と必然性の伴った出会いを生み出すことができるだろうし、強く「物語」というものを打ち出してきた日本のゲームはそういうことに向いているんじゃないかと思ってる。


 というふうに、僕のゲーム制作のモチベーションは、今までのゲームの伝統や様式を応用しながら、どうやって社会を良くしていけるのか、という部分にある。ゲーミフィケーションというのとはちょっと違うと思ってるんだけどね(参考:ゲーミフィケーションって何だろう?

 純粋にエンターテイメントとしてのゲームは、今あるゲーム会社がやるべきことだろうし、僕だって消費者として遊びたいwww




 という理想を語ったのだが、これを実現するにはどうすればいいか考えなければならぬ。今は、世界的にもカジュアルゲームなんかが熱くて、間口は広がっているんだと思う。その延長に僕の求めているゲーム制作があるのかはわからないが、何かしらの実績があるに越したことはないだろう。ちょっと気合いれてゲーム作ってみるか!という気に最近なっている。


 とりあえず何か作ってみて、完成したらブログにアップしたいと思います。おたのしみに^^




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