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ソーシャルゲームと少年漫画は似ている

 ソーシャルゲームと少年漫画は似ている。ソーシャルゲームはユーザーの人気がなくなればサービスが終了するし、少年漫画もアンケートの結果次第で生き残るかどうかが決まる。(ソースはバクマン)アップデートでデータを継ぎ足していくところも、連載して話の続きを書いていくというもの似ている。


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 ソーシャルゲーム批判で詳しく書いたが、日本のソーシャルゲームは和製RPGの延長から出来ていて、その最も根底の部分は「ボタンを押して数値を増やす」こと、つまり「レベル上げ」だ。これは、努力(修行)をして強くなることのアナロジーでもある。


 「レベル上げ」の結果、「強さ」とは見た目ではわからず数字で表されるものになる。同じ動作、例えば「たたかう」とか、それぞれの呪文や技、アクションRPGの場合なら攻撃の動作であっても、「レベル」によって与えるダメージや効果の「量」が異なる。そしてこれは、日本の大人気漫画にもよく見られる傾向だ。顕著なのはドラゴンボールとか聖闘士星矢だろうか。



これらの画像で、どれが強いのか順番に並べなさい、という問題が出ても、漫画を読んだことがない人にはわからないだろう。


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 ドラゴンボールのキャラクターは、「戦闘力」という数値で強さが表現されたり、超サイヤ人などに変身して見た目が強そうになる。鳥山明の表現力は日本の漫画の中でも最高クラスだが、殴り合いや気功波の応酬というアクションの部分は子供編と魔人ブウ編でもそこまで劇的には変化しない。ただ、強さでは恐ろしいほどの差がある。ヤムチャでもその気になれば惑星を消せる。




 ドラゴンボールに限らないが、見た目からは強さがわからず、その中身の部分(レベル)に強さがある、というのは、少年漫画やその影響を受けた作品からはよく見られる現象だ。

 これは、RPGにおける数値の使われ方にも関係してくる。


 和製RPGの元になったのは「ドラゴンクエスト」であり、「ファイナルファンタジー」や「ポケモン」もドラクエが元になっていると言っていい。

 そして、「ドラクエ」の元になったのが、アメリカのゲーム会社がつくった「ウルティマ」や「ウィザードリィ」だ。もともとRPG(ロールプレイングゲーム)は洋ゲーが元祖で、今のドラゴンクエストにあるシステムのアイデアはほとんど洋ゲーから持ってきている。ドラクエの功績は、マニアックなゲームだったRPGを誰にでも遊べる「パッケージ」として作ったことにある。


 初代「ドラゴンクエスト」には勇者が一人しかいないが、その元になった作品の一つである「ウィザードリィ」にはすでに「種族」や「職業」の概念があり、しかも6人でパーティーを組む。つまり、頭を使うような部分では海外のRPGのほうが圧倒的に優れていた。だが、ドラクエはそれを「誰にでもクリアできるソフト」にしたことによって、国内で大人気のゲームになった。


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 和製RPGにおける「経験値」や「レベル」などの概念は、すべて洋ゲーからの借り物だ。だが、日本のRPGと海外のRPGでは「数値」によって表現ようとしているものが違うと僕は考えている


 ウィザードリィやウルティマなんかの数字の使われ方は、「シミュレーション的」であり、「差異」を表現するのに「数値」が使われている。戦士や魔法使いの能力の違いを数値で表し、経験の浅い者と経験豊富なものの違いを数値で区別する。


 一方でドラクエや他の和製RPGでの数値の使われ方は、「どれだけ努力したか」、「どれだけ強いか」である。つまり、相対的ではなく絶対的な指標なのだ。もちろん、この敵に勝てるレベルに達したか、などの比較対象はあるにしろ、基本的には独り善がりの、実態とは関係なしにどんどん数値が増えていくシステムになっている。ソーシャルゲームなんかを見ていても、ゼロサムではなく、誰もが数値を増やし続ける世界だ。これは、少年ジャンプ的な「努力をして強くなる」という価値観、世界観に非常に似ている。


 洋ゲーにも努力をして強くなるという部分はあるのだが、ウィザードリィには老衰というシステムがあったり、ウルティマはただ敵を倒してレベルが上げればいいゲームではないし、「ボタンを押すと数値が増える」みたいに簡単でも甘くもない。



 海外では「ドラクエ」や「FF」や「モンハン」の人気がないが、それはゲームの中で「コツコツと努力してレベルを上げる」という部分がわからないからではないだろうか。(海外でも人気のあるポケモンは、ストーリーに限って言えば和製RPGの部分が強いが、ポケモン同士のバトルになると、完全に「差異」として数値を使っている)




 ドラクエの絵を描いているのは鳥山明だし、よくスクエニはジャンプなどの少年誌とタイアップしている。誰でもコツコツと「努力」して数値を増やしさえすれば強くなる、という和製RPGの仕組みが日本のゲームに与えたものは大きいし、それは少年漫画的な世界観からも影響を受けているのかもしれない。


 基本的に、ソーシャルゲームでやっていることは「ボタンを押して数値を増やす」レベル上げ作業だ。従来のRPGにおける「物語」や「エンディング」の部分を剥ぎとって、延々と次のデータを付け加える仕組みなので、さらに少年漫画に近づいたと言えるかもしれない。(今の少年漫画にはけっこうそういうところがある)



 僕はソーシャルゲームをあまり良くは思っていないけど、あんなにつまらないものを真面目にできる(パズドラを飽きもせずにずっとプレイしている)というのは日本人の美徳と考えられないこともないかもしれない。勤勉というか真面目系クズというか……。この文化を、金を搾り取るような悪いことじゃなくて、何かしら良い方向に活かせればいいと思うんだけどね。




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