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しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス


Legend Of Zelda:Twilight Princess Trailer November ...


 かつて、これほど待ち望んでいたゲームはなかった。このトレーラーを何度見たかわからない。「風のタクト」から3+1年。発売が1年延期になったのは残念でもあったけど、ますます期待が高まった。当時僕は高校受験真っ最中でもあり、親にブチ切れられたけどそんなのまったく気にしなかった。新作ゼルダを待望する気持ちにはちょっと異常なものがあったと自分で思う。でも、同じような人は他にも多かったんじゃないだろうか。

 ゼルダシリーズには僕みたいな熱狂的なファンがいるし、海外でも、と言うより海外でこそ、とてつもない人気がある。そして、「ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス」ほど、多くの人間の期待の熱量にさらされたゲームソフトはないのではないか。それは「時のオカリナ」以来の正統な続編への期待であり、GC末期の集大成としてのゼルダへの期待であり、Wii初期の新しい始まりとしてのゼルダへの期待であり、ハードウェアの進化と長い開発期間を経て多くの人が思い描いた理想のゼルダへの期待でもあった。熱狂的な待望は、無理もないだろう。


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 開発者インタビュー(参考::)を読むと、「ゼルダらしさ」とか「時のオカリナを超える」という言葉が多く見られる。それは、歴代のゼルダシリーズで培われてきたものを踏まえ、あの偉大な「時のオカリナ」より優れたものを生み出そうということだ。そういう意味で、もっとも壮大な試みから始まったゼルダの伝説になる。ゼルダシリーズを続けていく上で、避けては通れない道だったのだろう。



ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス OP - YouTube


 タイトルムービーの時点で、「ピンときて」しまう。見た瞬間から懐かしく、感慨深かった。ゼルダシリーズの持つ空気感を踏襲しているのがわかる。形もなく答えもない「ゼルダとは何か?」という問題に真っ向から向き合った作品だと思う。そこにかかる責任と、重圧と、求められる苦労を考えると、思い余る。

 逃げることなく「時のオカリナ」に真っ向から挑もうとした姿勢には、それ自体敬意を払う必要がある。

 作品としてのクオリティは間違いなく高い。現在発売されているゲームの中でも最高峰と言っていいだろう。とてつもないエネルギーと、技術と、想いが込められた作品なのがわかる。文句なしの超大作ゼルダだ。ちなみに、現在のゼルダシリーズの中でもっとも売れている作品でもある。日本ではそこそこだが、海外の人気が高く、全世界で800万本以上売り上げている。


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 「ゼルダの伝説」のフォーマットに忠実に従っている。繰り返されるガノンとの戦いのストーリーであり、神トラや時オカの系譜を引いて、二つの世界の行き来がテーマになっている。そしてそこには常に、切ない出会いと別れがある。

 一番の見どころはアクションだと思う。オオカミリンクの躍動感には驚かされた。ただの動物を操るわけではなく、ミドナが上に乗ることによってまったく違った遊びができる。アクションの部分がストーリーに結びついているというのは今までずっとゼルダがやってきたことだが、そこに関しても文句ない。剣と盾や様々なアイテムを使ったリンクの戦闘は、風のタクトの技術を継承してさらに磨きがかかっている。爽快感があり、しっくりきて、リアルなゼルダでも違和感がない。ゲームらしくありながら生々しくもある。この技術とこだわりには脱帽するしかない。数多くあるダンジョンだってどれも素晴らしく質が高い。一つ一つのギミックに歯ごたえがありながら、懐かしくも新しくもある。ボス戦だってすごい。グラフィックの向上にまったく恥じることのない表現と演出だと思う。攻撃に移ったときにBGMが切り替わる感じとか、すごくいい。フィールドは壮大で、細かいところまで作りこまれている。つりぼりなんかのミニゲームも、あきれるほど細かくできている。

 そして何より、世界が美しい。従来のゼルダに表現されてきた空気感をうまく汲み取っていると思う。ゼルダシリーズが持っていたそれぞれの要素を一つ先に進めていると言えるくらい、よくできている。


 それなら、一つのゲームソフトとしての「トワイライトプリンセス」は、「時のオカリナ」や他のゼルダ作品を超えた作品なのか? 僕は、そうは思わない。必ずしも劣っているとは言えないが、超えてはいない。超えることはできなかった。


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 どこか歪みがある。ぎこちなく、落ち着かない感じがする。一言で言ってしまえば、真面目すぎる。真面目すぎて、息苦しく、そっけなく感じてしまう。ふざけたり気を抜いたりしている部分さえ、真面目にやりすぎている。おばちゃんや、ポストマンや、スタアマンや、ザントみたいな、奇妙だったり狂っていたりするキャラクターでさえ、一周回って真面目に見える。むりやり遊び心を捻出している感さえある。ゲーム作成時の苦しみや葛藤や、そこで淀み硬直してしまった部分が、そのままゲームの中に硬いものを残していると思う。

 もちろん、それはそれで魅力になっている。明るい空と黄昏時の間にある暖色の美しさは、そういう苦悩から生まれたものかもしれないとも思える。真面目だからこそできることだってある。例えば残酷な表現なんかは、ふざけていてはできない。


 それでも、全体として見たときに、「時のオカリナ」や他のゼルダシリーズには及んでいないように感じる。ゼルダの魅力には、ある種神秘的なところがあるのかもしれない。そこに到達するには、時代や条件を味方につける運だって必要なのだろう。待望していたプレイヤー達は僕も含めて過去のゼルダ作品の「経験」を引きずっていた。据え置きの箱庭ゲームという形態の限界が見え始めていた時代というのもある。そもそもの条件が不利で、難しいものだった。そこを考えれば「トワイライトプリンセス」はこの上なく努力している。


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 ゼルダシリーズという蓄積をどう考えればいいのか。優れた伝統は、恩恵を与えてもくれるが、呪いにもなり得る。

 新作を作ろうとするとき、並みの考えでは、今までのゼルダの良かった仕組みのいいとこ取りをしようという発想になる。なにせ、これだけの財産があるのだ。あとは安心して、愉快に、徹底的にサービスすればいい。グラフィックを向上させて、時オカの王道のストーリーに、ムジュラみたいにたくさんの登場人物や楽しげなイベントをつくり、風タクのような愛らしいエンターテインメントとやりこみ要素を盛り込めばよかった。ゼルダスタッフの力量があれば、それだけでも一定の人気作品に仕上がるだろう。


 ただ、それでは「ゼルダらしく」ないのだ。「トワイライトプリンセス」は、ゼルダシリーズの恩恵にあずかることよりも、その呪いを引き受けることを選んだ。正統な続編でありながら、新しいものを作ろうとしていた。取り込まれることよりも、超えるために戦うことを選んだ。そういう姿勢はまったく賞賛に値するし、その意味ではどのゼルダシリーズよりも価値のある作品だろう。


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 よくこれほど暗い世界観のゲームを作ったなあ、とプレイしたとき思ったものだが、そうでなければならなかったのだ。ゼルダシリーズという伝統がもたらす呪いに立ち向かうためには、ダークで、シリアスである必要があった。



 「トワイライトプリンセス」の功績は、歴代から続くゼルダの呪いを清算したことにある。つまり、過去の輝かしい堆積と向き合い、ごまかさず、全力で戦ったという軌跡を残したことだ。「トワイライトプリンセス」の後だったからこそ、「スカイウォードソード」を作ることができたし、次のゼルダシリーズに繋げることもできるのだろう。

 ゼルダの伝説の名前に恥じることなく、偉大な作品だ。まあ、現状でも海外なんかではめちゃくちゃ人気があるのだが、時間を経てますます評価されるソフトであることは間違いない。



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関連項目

ゼルダの伝説 時のオカリナ

ゼルダの伝説 ムジュラの仮面

ゼルダの伝説 風のタクト

ゼルダの伝説 スカイウォードソード

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