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しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

宮台真司『愛のキャラバン』を読んで、ナンパを批判したり恋愛を語ったりしてみる

恋愛

 いつだったか忘れてしまった。高校生くらいのときだろうか。ちょっとした考えに頭を悩ませたことがあった。それは、本当に満足している奴や楽しんでいる奴には、どうやったって勝てないんじゃないかという。実体のない憂鬱な予感のようなものだった。それは、当時の僕が、自分が心から満足することなんて一生やってこないんじゃないかと理由もなく不安になっていたからだ。

 ただ、それは結局一つの安心に行き着いた。その、漠然と思い描いた満足という観念が直接自分に襲いかかってくることはありえないだろうという妙な安心だった。


 満足というのはそれ自体で完結しているので、わざわざ口に出して人に伝える必要はない。だから自分が満足しているということ自体をなんらかの武器として使うことは原則としてできない。「俺はこんなにいい思いをしているんだよ」と必死に自慢する人は、まさにそれを言うことによって語るに落ちている。本当にいい思いをしているならそれを口に出す必要はないのだし、口に出したくならないはずだ。

 この記事の趣旨に即して言えば、『俺はこんなにいいオンナとヤッていますよ』と声を大にして自慢するのは、本当いい思いをしているわけではなく、人からの羨望を集めることを目的にしているからだ。


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 ブログを始めると他のブログが気になりだす。ナンパブログというジャンルがあって、それが最近賑わいを見せているらしい。素朴に考えれば、ナンパとブログという行為は結びつきそうにないのだが、一部の人達だけがやっているわけではなく、一つのブログのジャンルとして確立されている。独自の用語なんかも使われていて、例をあげれば

即……会った当日にセックスすること

準即……一度会ってから、後日アポイントメントをとりつけた日にセックスすること

番ゲ……女の子と連作先を交換すること

ブーメラン……相手の連絡先まではもらえなかったけど、自分の連絡先だけは渡すこと。連絡が返ってくるかはわからない

地蔵……ナンパしようと意気込んだものの、声をかける勇気がなくて地蔵のように路上で固まってしまうこと。初心者にありがちらしい。

みたいなものがある。


 意外と面白くて、色んなナンパブログを見ていたのだが、その内容は基本的に『今日は◯即、◯番ゲ』『こういう女の子とセックスをした』というような『結果の報告』と、『◯◯すればナンパはうまくいく』『ナンパする勇気がないときはこの言葉を胸に刻め』みたいな『方法論、精神論』のセットでできている。


 実は、あるきっかけで有名なナンパ師に会ったことがある。そのときは友人やそのナンパ師の弟子っぽい人もいて、実際に有名ナンパ師が路上でナンパするところを見せてもらった。たしかに、ナンパしてから連れだしたり携帯で番号を交換したりしていた。

 路上には色んな女の子がいるんだけど、なんか嫌だなあ、と僕が思う女の子にかぎってそのナンパ師が声をかけていた。ナンパ師の話によると、靴が汚い子とか、服装のコーディネートがちょっとズレてる子はナンパに引っかかりやすくて、そういう子を狙って声かけをしているらしい。女性のみなさん。路上で声をかけられるのは可愛いからじゃなくて、隙があると思われてるからです。気を付けましょう!

 他にも、僕が質問したら気前よく答えてくれて、精度が高いナンパ師でも成功するのは5回に1回くらいとか聞いた。他の人は10回に1回以下らしい。つまりたくさん声かければその内何人かに1人はひっかかるという確立統計的な考え方をしている。


 それで、ナンパブログでいう即(会ってすぐセックスすること)のテクニックを遠目にだが見せてもらったんだけど、たしかに、女の子に声をかけて、しばらく足を止めてなにやらぺちゃくちゃ喋って、そのまま漫画喫茶へ二人で入っていった。ナンパ師の弟子たちは「すげえ!」と言っていたのだが、僕と僕の友達は「ボランティア活動かよ!!」とツッコミを入れていた気がする。連れだした女の子が、なんというか、ひどい見た目だったからだ。そのナンパ師はイケメンではないにしても、それなりの雰囲気みたいなものはあってモテなくはなさそうなので、普通にミスマッチだから成功したんじゃないのかと思い、現実はこんなものか……と妙に納得して帰った。


 それで、家に帰った後そのナンパ師にブログを見てみたんだけど、『みんな出会いないよね。学校やバイト先だったら特定の女の子としか出会えないけど、ナンパができれば道を歩くあんな子やこんな子に声をかけることができるんだぜ!』みたいなことが書いてあった。まあ、あくまで理論上はその通りだよね、お前はブスばっかに声かけてたけどな……と苦笑いしながら他のページを見ていくと、『Aランク清楚系即!!』みたいなことが書いてあって、さすがに『うそつき!!』と叫びたくなった。まあ、美醜なんて人それぞれだし、どんな人をいい女だと思うかは個人の嗜好の問題なので、嘘にはならないんだろうけど……。


 他のナンパブログを見ても同じように、路上を歩くあらゆる美少女とやったとか、1000人斬りを達成したとか、字面だけを見るとすげえ羨ましいことが書いてある。ただ、それは羨ましいと人に思われること自体が目的なんだと思う。美少女とセックスしました、と打ち込むだけなら誰でもできるし、そう書くために自分でブスを美少女と思い込むのも簡単なんじゃないだろうか。

 本当にその女の子を素敵な人だと思っているなら、ナンパブログという形で語りたくはならないと思う。100人斬りとか1000人斬りとか言いたがるけど、本当にいい女とやった経験があるなら、それを同じ1としてカウントする気にはならないだろう。

 実際の性愛から得られる快楽よりも、ナンパ師というコミュニティーの中での尊敬や序列に重きをおいてしまうというのは、(しょうもない女とばっかり関わっている人達なら)おかしなことではない。それに、ナンパには『講習』という、成果を出しているナンパ師にナンパを始めたいと思う初心者がお金を払って教えてもらうという文化があるらしい。それで金を稼いでいる人たちもいるんだと思う。実際に僕もそのナンパ師に『俺の講習受けない?君なら有名ナンパ師になれるよ!一緒にナンパしようぜ!』と言われた。断ったけど。たぶん、『楽して儲ける』とか『秒速で稼ぐ』みたいな詐欺商材と同じような感じで、『ナンパすればあらゆる美女とやれる!』と言って教材を売ったりセミナーに参加させたりするのではないか。


つまり


 誰でもいいから経験人数を稼ごう。ブスでも我慢だ!→その結果を就職活動なみに盛ってブログでみんなに自慢するよ!→方法論や精神論をドヤ顔で語るの楽しすぎわろたwww→情弱のファンがついたら教材を売りつけたり講習みたいなことをやってお金を搾取だ!→僕カリスマナンパ師です。ナンパ楽しいです(^ρ^)


 ……という、だいたいこんなイメージをナンパに持っているのだが、これは少し偏見が過ぎるだろうか?


 僕が会ったそのナンパ師がしょうもない奴だっただけなのかもしれない。本当にいい女とやりまくっているナンパ師もいるのかもしれない。ただ、どんな人がいい女かというのは個人の嗜好の問題なので、客観的な基準から検証のしようがない。

 ナンパに引っかかるのってどういう女の子なんだろうか?

・まず新宿や渋谷をふらふらと一人で歩いていて

・話しかけられたナンパ師についていって

・そのままホテルなどの個室に連れて行かれて身体を許す

 という、いくつものスクリーニングをすり抜けているので、ナンパで手に入る女の子は(かなり特定の)層なんだろうな、と思ってしまう。唯一の客観的な指標を持ち出すなら、ナンパ師が自慢するような女はナンパに引っかかってしまうような女に過ぎない、ということになる。


 いろんな女の子が世の中にいるので、別に経験人数が1000人とか1万人とかあってもそれ自体たいしたことではない。寝た女の数を自慢するナンパ師達がたくさんいて、ナンパに引っかかってしまう特定の女の子がいて、そういう世界の中でぐるぐる回っているだけなんじゃないだろうか。グルーチョ・マルクスじゃないけど、僕だったら僕にナンパされてついてくるような女とは付き合いたくない



 ある女の子と肉体関係を持ったとする。問題は、それを『獲得』だと考えるか、『責任』が発生したと考えるか、それともただ『対等な関係』があるだけと考えるか、だと思う。


 ナンパの世界では、それは間違いなく『獲得』になる。ナンパという場においては男のほうが立場が弱く許可を求める側だ。女のほうには『許す』権限がある。でも一度許して男がやってしまいさえすれば、立場が逆転して、男はその女性と寝たという経験を『獲得』したことになる。ナンパにおいて女の子の身体をものにしたことは自分の能力の証なので、それを自慢するのは自然なことだろう。



 ナンパブログの内容の中には、『結果の報告』ともう一つ、結果を出すための方法論、精神論がある。書いてあることは、『女の子には共感を示せ』とか、『いいわけを与えろ』とか、『あえて突き放すようにして動揺させろ』とか色々なんだけど、それ自体の真偽を判定する基準というのは実はない。ナンパ師のその言葉の正当性は、自分がナンパして結果を出している事実。つまり『獲得』に拠っているからだ。

 政治や教育なんかと同じように、男女関係についても、誰でも一家言持っている。そういった中で、ナンパ師というコミュニティーにおいてその言葉の根拠は『結果を出していること』である。つまり、その人にナンパの実力があるという前提を信じてしまいさえすれば、たとえそれがどれほど的外れなことを言っていようと正しくなる

 「こういうやり方もあるのか……」と、その意見に対して疑問は挟めない。だって結果が出ている(ことになっている)んだから。だから、カリスマナンパ師として認知されさえすれば後は何言っても間違っていないことになる。

 だからこそナンパ師は『お前が普段は見向きもされない女が俺に対しては会ってから1時間で股を広げてるんだぞ!俺はこんなにいい女とやっていていい思いしてるんだぜ!お前にはそれができないだろ?羨ましいんだろ?』という言葉が成り立つ前提を全力でつくりあげようとするだろう。そのためには、心の病んだ女の子を最高の美女だと思いこんでしまえるように努力だってできるのだろう。

 もしそういうものに対して批判したいなら、わざわざ自分がいい思いをしたということを口に出してしまうのは痛々しいし、恥ずかしいことだという客観的な事実に注目すればいい

 ナンパ師が堀北真希と佐々木希を両脇に抱えていれば素直にひれ伏すしかないかもしれないが。プリクラとかハメ撮りみたいなものをブログに載せる程度で自慢されては困る。


 ただ、僕はそれぞれのナンパ師がどういう人かはわからない。尊敬する人が多いのにはわけがあるのかもしれない。そういうときは、ナンパで結果を出しているという前提を取り払ったときにそいつが何を言えるか、を見ればいいような気がする。



 高校教師がナンパの指南書を職員室で印刷して販売し、事件になったことがあるが、ナンパで成功している、という前提を確立さえしてしまえば、後はどこかで聞きかじったそれっぽいことさえ言っていればそれでいいのだろう。

 架空のナンパブログをつくってカリスマナンパ師になるのは簡単だと思う。どっかから画像をとってきて加工し、こんないい女とやりましたよ!それでこんなエロい体験をしましたよ!みたいなことを書いていればカリスマナンパ師だし、それから教材をつくって売れば一儲けできるのかもしれない。実際にそういうことやっている人もたくさんいるのかもしれない。



 宮台真司の『愛のキャラバン』とは、社会学者の宮台真司と他のカリスマナンパ師達の対談を収録したものだ。Kindleで無料なので、興味がある人は見てみればいいと思う。あと、ナルシズムを顔面に練り込んだようなしゃべり方をする宮台真司が本当にモテていたのか?という疑問は検証のしようがないのでここでは置いておく。



 『愛のキャラバン』の内容自体は、数をこなそうとする他のナンパ師たちの批判になっている。今のナンパ師たちは数をこなすだけで対象の女性と深い関わりあいを持てていない、もっと日常から離れたすごい体験をするべきなんだ。という主張を宮台真司はしている。


 だが、『ナンパ師』というコニュニティーの外側から見てみると、『獲得』した経験を自分の言葉の根拠に据えているという点で、宮台真司も他のナンパ師とまったく変わらない。というのは、本来は語れるはずのものではない『自分がすごいナンパ師だったこと』や『自分が満足した経験』を前提にしているという点でナンパブログとまったく同じ構造を持つからだ。



 『愛のキャラバン』で宮台真司が言っていたことを適当に要約すると


・昔はナンパをやっていて、たくさんの女を常にキープしていた。

・色んな女とやったんだけど、虚しくなるだけだということに気づいた。俺はデタラメなことをしていたなあ(反省の体をとったナルシズム)

・そして、女ともっと深い関係性を持てることに気づいた。そういうのは超絶気持ちよくて最高だった!

・今のナンパ師は数が目的になってるから駄目。本当はそういうことじゃなくて、もっと女性と深く関わりあうのがすばらしい経験なんだよ!

・俺はモテるしすごい体験もたくさんしてきたけど、モテない奴は終わってるよね。


 というのが軸で、あとは女性を落とすやり方とか、ナンパの方法論を他のナンパ師と対談形式で語っている。


 ナンパブログの本質は、たいしたことのない(少なくとも実証しようのない)自分の体験を、誇張した言葉で書いて読者の羨望を集めることだ。そして、そこから方法論と自己啓発を展開していき、あわよくばお金を稼げたりする。

 ブログを書くナンパ師達が必ずしもそれを意識しなくても、そういった一連の価値観を再生産されていくシステムになっているのだろう。『即』などというコミュニティー独特の用語があるというのはそういうことだ。

 というふうに、外側から観察した限り見える。



 宮台真司は一見そういうナンパのシステムに対して批判を加えているように見えるのだが、実はさらに深くナンパ師的な価値観にのめり込んでいる。

 女性との『関係』であるはずのものを『獲得』したものと考え、それを自説の根拠に据えることこそがナンパブログ的なわけで、そんな前提をこしらえた上で「女性を物格化してはいけない」とか「長期の関係を持てるようになろう」とか、非常に月並みなことをドヤ顔で語ることに問題がある。


 つまり、最初に『自分はナンパしてたくさんの女とやった経験がある』ことを説明して、さらに、『俺は並のナンパ師よりももっと素晴らしい体験ができた』、『もっと気持ちいい経験をしたことがある』、というそれ自体審議しようのない前提を上乗せする。

 だから、ときどき社会学の用語なんかをそれっぽく挟んだするんだけど、結局は『宮台真司が超一流のナンパ師だった』という前提がある上での、何を言っても正しい場での言葉なのだ。それをナンパ師というコミュニティーの中で話すぶんには何の問題もないと思うが、その考え方を外のまともな世界に延長するべきはない。自分はモテている、という前提から始まって、女性を満足させられないような性愛に熟達していない政治家やリーダーは駄目、みたいなことを言うのはさすがに失笑ものだと思う。


 ナンパ師ではなく社会学者を自称しているが、宮台真司の言説は悪い意味でナンパブログ的だ。社会がどうなっていて、だからどうしていくべきか、よりも、「お前らはできないしわからないだろうけど、俺はこんな能力がある、俺はこんな経験ができる、俺はこんなことを知っている、だから俺の言うことは正しい」といった前提から始まる。だからこそ援交などを扱うしかなくて、それはそれで一定の成果はあげたのかもしれない。ただ、そういったものが物珍しがられる時代ではなくなってきているし、実際にもうナンパ師みたいな人たち以外への影響力はほとんどないだろう。だから、宮台真司のそういう言説自体は特に批判するに値しないのかもしれない。


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 宮台真司や他のナンパ師は、「こうすれば相手の性愛に深く関わることができる」、「こうすればお互いに素晴らしい体験ができる」と対談を続け、それでも昔はデタラメな体験をしてきた、と自省したみたいなことも言ってみせるのだが、今までナンパで自分と関わってきた女の子がその後どうなったのか、今は何をしているのか、という話は一切でてこない。やんちゃしてたくさんの女と寝た経験も、知り合った女と素晴らしいセックスをした体験も、自分が『獲得』したものに過ぎず、つまり自分とその女の子達と関わりになんの『責任』も発生しない世界の話なのだ。『愛のキャラバン』を見ているナンパ師たちは、みんなそういうものを求めているのだろう。


 ただ、ナンパブログの世界は本当に裾野が広くて、どうやら『誠実ナンパ』といったものがあるらしい。不特定多数に声をかける時点で誠実じゃないので、誠実な人に見せかけたさらにゲスいナンパなのか、と思っていたが、ブログを見ているとどうやらそうでもないらしい。本当に、誠実な、ただヤルだけじゃなくて長期的な関係を望もうと思ってナンパをしている人達もいるのだ。

 見ていると笑ってしまうんだけど、『ナンパで理想の彼女を見つけて童貞を卒業する』みたいなブログがたくさんあるのだ。(いや、ほんとに。「ナンパブログ 童貞」とかで検索してみてほしい。)「馬鹿野郎!なんでよりによってナンパなんて不毛な方法をわざわざ選ぶんだよ!」とコメント欄に書き込みたくなる。

 つまり、出会いがない。女性が近くにいないので自信もない。だからナンパという方法で自分を鍛えて彼女をつくるぞ!ということらしい。後腐れもなく女とやりまくりたいからナンパしているわけじゃなくて、真っ当な付合いをするために、出会いを求めてナンパしているのだ。


 ナンパで普通の彼女をつくる試みは、成功する確率は低いのでやめたほうがいいと思う。「みんなはナンパのこと悪く思うけど、学校や職場で声をかけるのも結局はナンパなんだから、路上でナンパできるならどこだってナンパできるぜ!」みたいなことがナンパブログに書いてあるんだけど、失敗を前提にして不特定多数に声をかけるというのは汎用性のあるやり方ではないと思う。コミュニティーの中にいないので、ナンパで女性をものにした後は何の『責任』も発生することがない。だから対象の女の子をないがしろにしてもいい。してもいいということは、せざるを得ないということでもある。そういう意味でナンパは誠実になりようがないのだ。

 たぶん誠実なナンパをしたいと言っている人達も、どこかでそういうコミュニティーの制限や『責任』みたいなものを取っ払いたいというやましい気持ちがあるのではないだろうか。女の子と付き合うにはそれなりに面倒くさい手続きを踏まないといけないんだけど、それをすっ飛ばす手法を覚えてしまうと、たぶん一人の女の子と長く付き合えなくなるだろうし、いい女の子が自分のところに回ってくることもなくなると思う。ナンパは「楽して稼げる」みたいな話と本質的にかなり似ていると思うので、ナンパで彼女つくってやる!みたいに思う人はそういうタイプの話にも気を付けたほうがいい。当たり前だけど、都合のいい話なんて存在しないから。


 僕は、女の子とは『対等』に付き合うのが理想的だと思う。ある程度の『責任』は必要だと思う。肉体関係を持つのに何の責任も発生しないというのは、ナンパ師とビッチでぐるぐるまわる世界の話だ。でも、『責任』が強すぎるのは少し古臭くて、いろんな歪みも出てくる。ナンパや出会い系みたいな、自分が不利な条件で女の子と付き合った場合、それは『獲得』になりやすいし、長く関係を続けることはできなくなると思う。だから、女の子とはなるべく『対等』に付き合うのがいいと思う。


 どうやって彼女をつくればいいのか?ということに具体的なアドバイスをするなら、非常に月並みで面白くないんだけど、自分のコミュニティーを延長していくやり方が一番真っ当だと思う。出会いがない、というのはもっともなんだけど、頑張って作り出すべきだ。下心があってもいいから、女性が多そうなところでバイトをしたり、習い事をしたり、SNSで共通の趣味のオフ会に参加したりして、知り合いをつくっていったほうがいいと思う。自分の人脈を持って、出会いがない男の友達には紹介してあげたり紹介してもらったりなんかをして、そういう広がりをつくっていったほうがいい。知り合いが増えれば彼女を作れる機会も確実に増える。人と関わるのは面倒くさいし、なんらかの『責任』が発生するが、ナンパみたいなめちゃくちゃな方法よりも絶対にこっちのほうが楽だと思う。


 ナンパという手法の中に素晴らしいものがあるんだ!と考える人は、修行としてナンパをやってみるのもいいのかもしれない。ただ、全部ナンパでやらなきゃいけない、というのは視野が狭い。ナンパをやっている人は、そこに割くリソースをモテそうなコミュニティーの中に入ることに注いだほうがいい。たぶん女以外のものもついてくるだろうし、そういうことに頭を使えるのがモテる男なんじゃないかと思う。

 僕の知り合いに女とばっかりやっている奴がいて、そいつはろくでもない奴なんだけど「ナンパは、数を打つにはいいやり方だけど、一定以上のレベルの女を捕まえるにはコスパが悪すぎる」と言ってたようが気がする。


 という、何の根拠の裏付けもない僕の意見でした。まあ少なくとも、女性との経験を『獲得』と捉えて、それを盾に好きなことを語る奴を信用しないほうがいいよ。男女の関係については色んな考え方があっていいし、もともとあんまり確証が持てないものだと思うから。




 我ながら長い!!ここまで読む人がいるのだろうか?もしいるなら、ありがとうございます。もうちょっと続くんだけど、ここからは僕の自分語りが始まるので、そろそろページバックしてもいいと思う。物好きな方はもう少しお付き合いください!



 慶應大学はモテるイメージがある。もちろん、それはほんの一部のやつらで、モテない奴だってたくさんいるし、他の大学と比率はどうなのかみたいなことは知らない。でも、たしかにモテるコミュニティーは存在して、僕もその一端に触れたことがある。というか、そういう友達ができて、その繋がりでちょっとだけどモテるやつらと遊んだりしたことがある。


 好きにはなれないが、わりと気分のいい奴らだった。へんなコンプレックスも持ってなくて一緒に仕事なんかをするぶんには不快じゃないろうし、こういう奴らがなんだかんだで成功するのかもな、とそのときは思ったくらいだ。よく見るとイケメンじゃないのもいるが、みんなそれっぽい雰囲気を持っていて、やっぱりいい美人と付き合っているのだ。


 モテるというのは、良質な出会いを確保できるネットワークを持ってるということなんだな、と感じた。極論を言えば、どんな男でも無人島で女の子と二人っきりなら付き合える。本当にモテる奴らは、どうすれば女の子に好かれるかというレベルの話は重要じゃなくて、いかに良質なマッチングの機会を確保するか、どうすればその女の子と付き合える環境を設定できるか、と考えていた。そう言葉に出していたわけじゃないんだけど、僕が観察した限りそんな感じがした。びっくりしたのは、そういう一連の行動が個人のレベルじゃなくて集団のレベルで最適化されていることで、SFCという僻地にいる僕は「けいおうだいがくのちからってすげー」と唖然としてしまった。

 慶應義塾高校出身の友人によると、冗談か本当かわからないが、学祭のときには日吉に女子高生の列ができるそうだ。順番にアドレスを交換していくらしい。他にも、モデルをしてるだとか芸能界に友人がいるだとかで、そういう色々なネットワークを持っていて、レベルの高い女の子たちとの出会う機会がたくさんあるのだ。


 ただ、モテる奴らの話すことって本当につまらない! ルサンチマンを批判したニーチェが「若い頃から女にモテてきた男の想像力は犬以下である」と吐き捨てたのは相当のことだったんだろうな、と思う。


「最近何してるの?」

「サークルでよく練習してるよ」

「マジで?」「すごいね」「なんでそんな練習するの?」

「え、テニスにはまってるから」

「マジか」「熱い!」「俺もテニスやりたくなってきた」


 ……みたいな、うまく表現できないんだけど、「お前ら一体誰に監視されてるんだよ!」と途中で叫びたくなったくらい、やる気のない棒読みドラマみたいな会話を素でやってる。話がつまらなくなるのは、モテるグループの行動様式を身につけた代償なのかもしれない。


 で、そいつらも男しかいなくなったらゲスい話をするのだが、すごいと思ったのは、ちゃんと場をわきまえるということで、個室の席で酒が入れるみたいな、きっかけがあるときにしかそういう話をしない。日常のちょっとした合間に真顔で変態ワードを打ち込むTwitter民やニコ厨のみなさん。おわかりだろうか?


 そのゲスい話は、刺激的ではあったのだが、内容はつまらなかった。誰々とやったことがある、という話で、それがどうだったか、とかどんな感じだったかみたいなことも、「◯◯をやった」「うわー!すげえ!」だけでで終わっている。要するに「1」か「0」かしかないのだ。それを、


「やったの?」

「いや、だからそういうのないって!」

「本当は?」

「いや、だからないって!!」

「正直に言えよ!」「ほら、飲んで飲んで!」

(^ρ^)ぐびぐび「…………すいません!やっちゃいました!」

「うわああああああっ」「うらやましい!」「やられちゃったか〜」

「うぇーいw」


 みたいな感じで、結果を安っぽく引き伸ばしながら話していくのだ。イメージできるだろうか?

 ただ、しゃべり方はうぇーい系だが、基本的には上品だ。その女性とやった事実みたいなものに対して、とくに切迫感は持ってないし、そういう女の子とやったからといってすごいとも思っていない。お互いの戦利品を優雅に鑑賞しているようなものだった。そいつらにとって女の子が『獲得』になるのは、『獲得』の対象になるような女の子が多いからだ。モデルとか、アイドルとか、後は共通の知り合いで綺麗な子とかの話しかしない。

 たしかに内容は、けっこうすごかった。ミス◯◯とか、某アイドルとか、そのときは名前は知らなったんだけど、けっこう有名なモデルとかが出てきた。


 男が女に対して幻想を抱いているように、女も男に対して幻想を抱いていると思う。少女漫画に出てきそうなスペックの奴らは何股かしているし、彼女は一人だとしても、絶対にどこかで他の女に手を出している。僕が思うに、『モテる』ためにはどこかで女性をないがしろにする部分がないといけない。同時に何人もの女性に手を出せるようじゃないとモテない。

 まあ、少女漫画から女の子の欲望を考えれば、『あらゆる女の子に手を出せる男の人に自分だけを愛して欲しい』ということになるのかもしれないが、なかなか難しいよね……。

 女は男より鋭くて浮気なんてすぐ見抜くと言われるけど、それは「関係」があるときの話で、「獲得」される対象になる世界ではあきらかに女が不利だ。そういう意味で可愛い女の子は可哀想だと思うことがある。愛嬌のいいブスくらいが一番幸せになれるのではないだろうか。


 あと、僕は別に貞淑であるべきなんて全然言ってない。イケメンとやりたいならどんどんやればいい。岡田斗司夫の彼氏三人理論とかけっこう良い考え方だと思っている。ただ、女の子に言いたいのは、自分が「獲得」の対象になる場面ではなるべく体を許さないほうがいいということだ。つまり、「許す」ということに関して自分の権限が大きければ大きいほど、許すべきじゃない。肉体関係を持つ前に相手の弱みをいくつか握っておくべきだと思う。人の羨望を集める女の子ほど、自分が「獲得」の対象になることにたいして慎重に考えたほうがいい。多分どこかで自慢話に使われることになるから。


新歓真っ只中だが、全国の1女、見ているだろうか?見てるわけないよな!



 もうここらへんで締めてしまえばいいんだろうけど、まだ話は続きがある。


  戦利品を並べ立てるようなモテるグループの会話の中に、知ってる女の子の名前が出た、という、まあ、ありがちと言えばありがちかもしれない話だ。僕は女子の知り合いが少ないんだけど、その子とはよく話をした。綺麗な人だった。詳しいことは書かないけど、そこに名前が出て、何かあったことがわかったからと言って、別にたいしたことじゃない。その子への見方が変わるとか、そんなことはまったくない。


 ただ、やっぱりショックではあったのだろう。当時はいろいろなことを考えてた。今も、考えているかもしれない。


 もともとは、ナンパの話だった。長い文章を書いている。ほとんど誰も見ることがないであろう文章をここまで書いているのは、ナンパをしてしまう人達の背景にあるものが、僕にもわかる気がするからだ。ブログを書いているナンパ初心者達を見て、こいつ、俺に似てるかもな、と思ってしまうことがけっこうあった。(ナンパブログって一種のゲーミフィケーションだから、見ていると自分もちょっと参加してみたくなってくるw


 男ならいろいろと思うことはあるよな、と言ってみたい。道ですれ違う可愛い女の子とか、憧れのあの子が、誰かの前で股を開いているという、そういう事実が重苦しくのしかかってくることはある。そういったものに対抗しようと、ある種の反動やコンプレックスから、ナンパという不毛な手法を極めようとする気持ちは、なんとなくわかる。だって僕も「あえてモテるグループにあらゆるこだわりやプライドを捨ててもいいから居座って、色んな女とやってやるぜ」みたいなことをそのときは考えていた。(やらなかったけどw)

 たぶん、そんなことをしても面白くないと思う。




 話は、がらりと変わるんだけど、出会い系のシステムって一つのイノベーションになるんじゃないかと僕は思っている。だってみんな、男も女も出会いがないし、出会いの機会をつくるのもなかなか難しい。

 結婚できない男女の数が多くなっている。問題はマッチングではなくて意識の変化だとみんな言うけど、マッチングシステムと意識って切り離されたものでもないと思う。出会いがあったら恋人ができる人はたくさんいるだろうし、僕だって学校と図書館と家を往復するような生活を送っていなかったら絶対に彼女がいたはずだ!

 現状の出会い系サイトとかお見合いシステムが駄目なのは、それに参加することに何の強制力がないからだ。たぶん、男女の出会いというものは、公的な部分や、権力的なもの、つまり大きな言い訳に包まれていなければいけないものだと思う。その最たるものは「学校」だろう。現在の漫画とかアニメとかラノベとかAKBなんかを見ていると、みんな一体どれほど学校というものに執着を持っているのだろう、と恐ろしくなることすらある。でも僕だって、学校で知り合った女の子と付き合いたい。他にも、「お見合い」というシステムがある。これも昔は公的な強制力があったし、それなりに上手く機能していた。つまり、作為の介在しない部分、俗にいう『運命』という言い訳が必要になるのだ。

 例えば、出会い系サイトとか、婚活パーティーとか、そういうものって、自分が申し込まないと始まらない。それが駄目なんだよ!出会いの背景には言い訳が必要なのだ。出会いたくて出会ったわけじゃなく、偶然出会ったというのがいい。僕だって合コンとか婚活とか出会い系で知り合った女とは結婚したくない。ナンパなんてもってのほかだ。

 だから、僕たちに今求められているのは新しいマッチングシステムで、そこにはユーザーの自発的なコミットを排して強制的なものを付与しないといけない。(自発的なものを入れると、ナンパをしたい男が多くなって『獲得』的な世界になってしまう)それは、学校的なものを延長して、より出会いになりやすい形に薄め、学習やボランティアなどと抱き合わせる必要がある。

 奥ゆかしい日本人には、アグレッシブな出会い方なんて向いていない。大切なのは、おそらくは存在しないであろう理想の人を探し求めることじゃなくて、どれだけ近くにいる人と折り合えるか、その人が近くにいるという事実を大切にできるかだと思う。

 出会い系ではあるのだが、その申し込みが直接な出会いと結びついていなくて、目的が社会貢献なんかになっていればなお良い。瞬間的な出会いじゃなくて、長期の付き合いが必要な、公共的な言い訳が成り立つシステムだ。そういうものが確立できれば、マッチングの不在を解消し、人々に恋人と諦めと救済をもたらし、新たな日本的システムとして世界中から賞賛を浴び、開発した僕は少子化や無縁社会の救済者として喝采を浴びるのではないだろうか。たくさんの収益を上げ、そのサービスとくっついた権力も自分のものになる……。



 という、ほとんど妄想のようなことを、さっき言った女の子の前で、僕はしゃべった。他にもいろいろと、実現しようもないような空想をたくさんしゃべった。その子も僕のくだらない話に笑ってくれたし、「じゃあ一緒にベンチャー起こして大儲けしようぜ!」という変なノリの会話をよくしていた。大学のキャンパスの特徴からか、男女問わず、そういうことを何のてらいもなくしゃべれる雰囲気があった。だから僕みたいな人間はそういうものにどうしようもなく便乗して、気の向くままに好きなことを話した。それはそれで楽しかった。


「しっきーは将来すごいやつになるよ!」とその子に言われた。もちろん冗談でだけど、でも、悪い気はしなかった。嬉しくないはずがなかった。というか、本当にすごいやつになろうと思った。



 男は「所有」で女は「関係」と斎藤環が言っていたけど、たしかにその通りで、正直に、自分の欲望の奥にたどっていけば、たしかに「関係」よりも「所有」になっている気がする。男なら、そうなる。少なくともそういう側面は多分にある。


 僕も、本質的なところでは、女性を『獲得』することを求めているんだろう。でも、僕は何も、『獲得』していない。『獲得』できていない。「1」と「0」があるときに、「1」は自分の側にない。それでいいとも思っていない。ただ、「0」なわけじゃない。


 手の中にあるのは、ガラクタみたいな考えの山と、頭の中にある彼女のちょっとした仕草や言葉の余韻だけだ。何の根拠も、前提になるものもない。ただ、僕は、誰かとの間にあったちょっとしたものが壮大で、大切なものになり得るということを、何より自分自身に示したいと思っている。



 女性をないがしろにする輩を批判してはきたが、僕だって、根本的なところでは自分のことしか考えていない。自分がそういう人間であるということは、僕自身が一番わかっている。これは、ただの意地だ。宮台真司やナンパ師は恥ずかしいし、本当にモテる奴らだってつまらない。でも自分はもっとすごいものを『獲得」できるだろうという、つまらない意地でしかない。

 目の前にある「1」をとるのは簡単だけど、男児たるもの、もっと大きな幻想を追うべきではないのか。と、なんの確証もなく、ないからこそ、そういうことを思っている。




 なんでこんな話になったんだっけ?まあいいか、疲れた。みんなも読むの、疲れたよね?



追記

 よくわからんけど、なぜかこのエントリーがじわじわ注目されてるみたい。読み返したら普通に恥ずかしい内容だったwwww話がまとまってないし、わりと消したくもある
:;(∩´﹏`∩);:

 僕はべつにナンパ自体を否定するわけじゃないけど、ナンパコミュニティに関する一連の手法は批判するべきだと思ってる。そういうのはグローバルリーダーとかブラック企業とかにも同じような構図があるよね。

あ、よかったら他の記事も読んでいってください。