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しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

ニコニコ動画を語る

ニコニコ動画 ゲーム

 

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・ニコニコ動画の賑わい

 よくニコニコ動画を見ていた。褒められたものではないが、一番よく見たのは浪人生のときだった。オンラインゲームのレベル上げをしながら、横でニコ動を流していた。熱中していたというより、惰性で見ていた部分が多いと思う。レベル上げは単調な作業の繰り返しで、持て余した認識と孤独を埋めてくれるものを探していた。そこにニコニコ動画はすっぽりと嵌ってしまったのだ。2ちゃんねるも見たけど、手を動かさなくても勝手に動画が流れるニコニコ動画のほうがよかった。こんなもの見てたら駄目だな、とも思っていたが、当時常に鬱々としていた僕にとって、コメントの賑わいはなんとも言えない暖かいものがあった。誰とも会話をしない生活を送っていたし、一つ一つの書き込みの向こうに人がいるという「感じ」は、なかなか悪いものではなかった。

 

 ボカロをよく聞くし、作ってみたとか、技術部とか料理系も好きだ。だがそういうのは動画時間が短くすぐ見終わってしまうので、視聴時間の主なボリュームを占めるのは動画時間の長いゲーム実況だった。

 歌ってみたや生放送はあまり詳しくない。

 

 もうネトゲはやらなくなったが、ニコニコ動画は見る。やっぱり、面白いのだ。素朴に考えれば、「右から左にコメント流してなんか意味あんの?」、とか「どうせ馬鹿なコメントしかないんだろ」、と思ってしまうだろうし、僕もニコ動をみる前はそんな感じだった。それでも、見慣れてくるとコメントがあったほうが楽しいと思ってしまう。YouTubeでも同じような動画はあるが、やっぱりニコニコ動画だな、と思う。

 ちなみに、僕は動画を投稿したことも生放送をしたこともない、純粋な視聴者だ。

 

 

・ニコニコ動画ゲーム実況について

 僕は、「面白い実況動画をつくれるか」というのは、ゲームを評価するときの一つの基準になると思っている。もちろんゲーム実況に向いていない良作もあるが、「ニコ動で面白い動画が作れる」という視点で評価できるゲームもあるような気がする。現状、その3トップを挙げるなら、「ポケモン」、「マインクラフト」、「ダークソウル」ということになると思う。この3つのゲームは、質、量ともに、面白いゲームがニコ動によくあがっている。

 ニコ動がゲームの評価基準になる、なんてことを考えだしてしまったのは、ソーシャルゲームの台頭が大きい。僕は、はっきりとそう言い切ってしまうにはかなり苦しい部分がたくさんあるにしても、ゲーム実況的なものはソーシャルゲームに対抗し得る部分を持っているんじゃないかと思っている。

 ソーシャルゲームは基本的に、何度も同じことを繰り返す。レベルなどの数値やモンスターの種類やアイテムなんかは増えていくかもしれないが、ループ構造の中で何度も同じことをやるというシステム自体は変わらない。それはRPGのレベル上げと同じような快楽で、新しい発見があるわけではなく、「自分のやりたいと思っていることが、その通りに実現する」という部分が楽しさを担保している。そのとき、やっているプレイヤー自身は満足感があるかもしれないが、それは共有できるようなものではない。

 現状では、ニコニコ動画ゲーム実況の人気動画に、ソーシャルゲームやオンラインゲームを実況したものはほとんど存在しない。人気があるのは既存のコンシューマーゲームがほとんどだ。僕がニコ動のゲーム実況に可能性を感じているのは、そういうところにある。ゲーム実況に必要なのは、そのときにどう感じたかとか、思った通りにいかない部分だとか、本来とは違った見方や変わった遊び方で楽しめるとか、そういうことだからだ。

 ゲームは、グラフィック、サウンド、テキスト、インターフェイス、プログラミング、などなど、様々なものを組み合わせて構築した世界にプレイヤーを引きずり込み、没入させる。だからこそ、僕は、ゲームはプレイヤーのいる現実世界と繋がりを持っていなければいけないと思っている。(僕はかつてネトゲに依存してしまって、酷いことになっていた時期がある)そう考えたときに、ゲーム実況でプレイヤーの解釈や編集的な面白さを人と共有できる仕組みは、ゲームの持つ正統な可能性なんじゃないかと思う。そういうわけで、色々と問題もあるのだろうが、僕はゲーム実況を支持している。

 ゲーム実況については色々と言いたいことがあって、これからもブログで書いていきたいと思うが、今回は主にニコニコ動画について語りたい。

 

 

・2chに必要なもの、ニコ動に必要なもの

 「2ちゃんねる」や、そこから派生して生まれた「ニコニコ動画」には、良い部分も悪い部分もある。2chもニコ動も見ていて面白いし、優れていると思える部分もある。ただ一方で、2chやニコ動を嫌う人や非難する人がいるのは当たり前だと思う。どう好意的に見ても、擁護できないところはある。2chなら、匿名でなされる無責任な言説や誹謗中傷だったり、ニコ動なら動画が「荒れる」ような幼稚な書き込みの応酬だったり、煽り合いだったりする。そういう不快感を持つのは人間として至極真っ当なことだ。

 良い部分と悪い部分があるときに、どうしたらそれが良い方向に向かいやすいか、ということを考えるのは無駄なことではないだろう。そのために、僕の考えを述べると、2ちゃんねるには「自虐」が必要で、ニコニコ動画には「自重」と「儀礼」が必要だと思っている。

 

 

・2ちゃんねるの「自虐」

 基本的に、匿名での優れた批判なんてものは誤差程度にしかない。「自虐」が必要になると僕が思うのは、もともとの成り立ちからして、2ちゃんねるは、あえて彼らが好む言葉を使えば「底辺」のコンテンツだからだ。

 匿名で何かを書き込むということ自体、常識的な感覚からすれば恥ずかしいことで、「俺よく2ちゃんねるに書き込むんすよwww」みたいなことを言う奴がいたら「うわぁー」と思うだろう。つまり2ちゃんねるの書き込みは、それが書き込まれた時点で「安全圏から匿名でものを言っている人の言葉」という前提からは逃れようがない。そういうところで「年収◯◯万あるけど」とか「底辺だろ」とか「情弱」とか言う言葉を使ってしまうのは、冷静に考えると恥ずかしくてそれ自体「顔真っ赤」になるべきことだ。

 ただ、機能としてそれができるときに、匿名で誹謗中傷や批判をしてしまうというのはそんなにおかしなことでもないと思う。(現にそういう人がたくさんいるんだから)ただ、少し客観的に自分を考えてみて、どういう前提を踏まえて、PCの前でどんな顔をしながら書き込みをしているのか、そのあり方を冷静に振り返ったときに、死にたくならないような奴は死んだほうがいい。もともと、人間は居たたまれないものだと思う。

 僕は書き込みをしないし、原文よりもまとめサイトを見ることが多い「にわか」なので、言っていることにあんまり自信はないが、もともと2ちゃんねるには優しいものがあるんじゃないか、と思ったりする。必要になる前提は、「俺達は2chに書き込みをしちゃうようなクズだけど、まあ仲良くやろうぜwww」という部分、つまり「自虐」だと思うのだ。そういう卑下の仕方や傷の舐め合いから、僕たちが今も使っている色んなネタが生まれてきたのかな、と感じる。正義が自分の側にあると思っていなければ、そこまで誹謗中傷が燃え上がったりはしないだろう。

 

 

・ニコ動の「自重」

 ニコ動は2chから派生したが、雰囲気が全然違って、それはコンテンツの形態がまったく違っているから当たり前だ。ニコ動は動画に書き込みがくっついたもので、コメントがなくても一応コンテンツとして成り立つのに対し、2chは書き込みそのものがコンテンツだ。

 ニコ動を考える上で重要なのは、それは2chみたいな掲示板と違って、公的なものではなく個人的なものだと言うことだ。(ちなみに、ここで想定しているのはゲーム実況などの娯楽コンテンツで、公的なもの含む政治動画などは想定していない。僕は、少なくとも現状のニコニコ動画のシステムは、利害の対立がある政治討論番組などには向いていないと考えている)

 まず動画をあげる「実況主」がいて、そのゲーム実況は基本的に実況者と、いくつもある動画の中からそれを選んだ(あまりいい言葉だと思わないが)「信者」のものだ。

 「嫌なら見るな」と公共の電波を独占しているテレビ側の人間が言うのは問題だが、ニコ動の場合は一般人がいくつもある領域の一つを借りているだけなので、それこそ、嫌なら見なければいい。

 内容に関係なく、コメントでの批判や議論というものはまず成り立たない。ゲーム実況は投稿主の個人的なコンテンツなので、見ていて不快だったらページを閉じればいい。それが前提としてある。コメントを書き込むということ自体が、その動画に対する執着を避けがたく表明していることになる。

 「信者」がキモいとか、定型的なネタがつまらないとか気に入らないとか、そう思うのはわかる。一人ひとり感覚は違うから、どんな動画であれ、キモいとかつまらないと思うのはまったく問題ない。ただそこで、「信者キモい」とか「つまらん」と入力してしまうこと自体、少し冷静に考えれば非常に痛々しいことだ。

 「嫌なら見なければいい」動画をわざわざ見て、そこに否定的なコメントを書き込むということが、「おかしい」とか「恥ずかしい」と思える人、まともな人は否定的なコメントを書き込んだりしない。つまり、ニコニコ動画のコメントという形をとる以上、その過程や状況がどうであれ、批判や否定的なものは道義的に間違っている。

(動画の中でやっていることが犯罪だとか、倫理的に許されないことをしているとか、腹立たしくて仕方がない、という場合があるかもしれない。犯罪なら通報するべきだし、何か批判をしたくてたまらなかい場合も、コメントでそれをやってしまっては駄目だし意味がなくて、自分も動画を上げるなりブログを書くなりしてその批判を表明するべきだと思う)

 

 ただ僕は、ニコ動で否定的なコメントする奴っておかしいよね、という話をしたいのではない。どんな世界にも馬鹿は絶対に一定数いるので、否定的なコメントがなくなるといったことはありえない。純粋な悪意を持って中傷コメをしてくる怖い奴だっているかもしれない。荒れるのが楽しいとか、ケンカをするのが楽しいと思ってコメントをする奴もいるだろう。

 

 ただ、動画が「荒れる」原因は、最初に書き込む馬鹿よりも、否定的なコメントに対して反応してしまう、また違った層の馬鹿のせいであることが多い。

 「つまんね」とか「ウザい」と最初に書き込んでしまう層が一定数いて、それは仕方がない。ニコ動にはNG共有というシステムがあるので、そういう「馬鹿」や「アンチ」をNGすれば、いずれは動画から消えていく。(例えばあまりにも「信者」が気持ち悪いと思った場合、そのコメントをNGにすれば「アンチ」と同じように消えていくし、そうするべきなのだ。「信者キモすぎ」なんて書き込んではいけない)

 馬鹿なコメントは適切にNGすればいいと、システムとして定められているのだが、厄介なことに、そのコメントに対する反応「コメントに対するコメント」をしてしまう奴がいる。その動画に好意を持ってはいるが馬鹿なので「つまらないなら見なければいい」とか「小学生は見るなよ」とコメントしてしまう。そうすると「信者乙」というコメントが返ってきて、「アンチは帰れ」というコメントが出てきて、「ニコ動で喧嘩すんなよwww」とか「ニコニコしようぜ」という類のコメントが来て、「めっちゃ動画荒れてるなw」といったコメントも来て……というふうに、動画が荒れるとはそういうことなのだ。

 

 ニコニコ動画の仕組みを考えたときに、「コメントに対するコメント」つまり2ちゃんねるでするような会話は成り立たない。コメントが誰を指しているかわからないし、そもそもそのコメントを書いた奴はもうその場にいない。議論をしようとしても、大部分が幼稚な煽り合いになる。

 

 流れてくるコメントに対して意見なり反論があって、それに対して自分も言葉を発したくなる気持ちは十分にわかる。ただ、ニコニコ動画に限らず、自分の言いたいことを飲み込む節度を持つ、というのは大事なことだ。脊髄反射的な反応が何か生産的な影響を及ぼすとは(少なくともニコ動という場においては)思えない。どうしても何か言いたいことがあるなら、それを一度咀嚼して、自分で動画をつくるなりブログを書くなりして言うしかない。

 僕が「自重」と言ったのは、まず、自分の感性とは切り離して、他の人が不快だと思うかもしれないコメントを思いとどまること。次に、不快なコメントを見ても、そのコメントに対してコメントを書き込んだりせずに、黙ってNGに放り込むことだ。

 動画が荒れるというのは、気にしないでいようと思えば気にせずにいられるけど、やっぱり気分がいいものではない。荒れるという要素があるからニコ動から離れる人もいるだろう。ユーザーの皆で快適な視聴環境をつくっていくこと、そういうコミットの仕方があるのはいいことだ。

 馬鹿はもともと一定数いて、それはデフォルトなのでどうしようもない。問題は、他の大勢のユーザーが馬鹿につられて馬鹿なことをしてしまうか、その馬鹿をうまく対処できるかどうかなのだ。誰だって自分の思ったことを言いたいし、不快なものには声を出して反論したいが、それを「自重」して、NGに放り込むという分別を示せるということ、ニコニコ動画はシステム上それを求める。意図しているかどうかは知らないが、なかなか悪くないんじゃないかと思ったりする。(やっぱひろゆきってすごくね?)そういうのは、ニコニコ動画に限らず大切なことだからだ。

 というわけで、おまえら自重しろ!

 

 

・「儀礼」という考え方

 「自重」ともう一つ、「儀礼」という考え方を僕はしている。自重しろと言ったけどコメントを書き込むな、と主張しているわけではない。コメントが書き込まれないならニコニコ動画である意味がない。

 僕自身は、コメントを打ち込むのって面倒くさいなあ、と思っている人間だ。2ちゃんねるにしろニコ動にしろ、見ているだけで、そういうところで真面目に書き込むくらいならそのリソースをブログとかに割いたほうがいいと思っている。よくご飯を食べたり他のゲームをしたり漫画を読みながらニコ動を見ているので、キーボードに手をやるのが億劫というのもある。だから、コメントを書いてくれる人は偉いなあ、と思っている。

 

 荒らしが一定数いるのと同時に、面白いコメントをしてくれる人や、「職人」などと呼ばれる凝ったコメントをしてくれる人がいる。こういう人達がいるからニコニコ動画が成り立っている。

 ただ、ボリュームゾーンを占める大部分のユーザーは、荒らし行為をする馬鹿でもなければ、そこまで頑張ったコメントをするつもりもない人たちだろう。つまり、普通のユーザーなのだ。

 僕は、そういう普通のユーザーに求められるのが、さっき言った「自重」と、もう一つの、「儀礼」だと思う。「wwwwwwww」とか「88888888」みたいなお決まりの定型文や、空耳とか、ところどころに見られるベタなお決まりネタも、(くらだないんだけど)大事だと思う。

 「挨拶」のようなものなんじゃないだろうか。ネトゲ廃人時代に感じていた温かみのようなものは、結局そういうちょっとした礼の示し方から来ていたのかもしれない。コメントなんて打ちこんでもなんの利益もない。ただ、ょっとした「儀礼」を表現するということ、そういう部分でニコ動がなりたっているというのは、なんかいいな、と思ってしまうのだ。

 コメントが少ない動画よりも、盛り上がっている動画のほうが楽しい。だから、あんまり面白くなくても、真顔で「腹筋崩壊」とかコメントすればいいかもしれない。

 

 

・最後に

 僕はニコ動のゲーム実況やくだらないやりとりが好きなので、かなり贔屓目に解釈した。そこまでニコ動を肯定するのはなかなか無理があるかもしれない。 ただ、「自重」と「儀礼」を積み重ねていくという、考えの方向性のようなものがニコニコ動画に備わっているというのは、現状それが成功しているかどうはともかくとして、そんなに悪いことじゃないと思っている。