しっきーのブログ

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アーキテクチャの生態系

 日本のウェブ社会についての分析、考察など、2008年に書かれた有名な本。著者は慶應SFC出身の濱野智史。「前田敦子はキリストを超えた」の著者で、AKBの推しメンは島崎遥香。(wikipedia参照)

 

アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか

アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか

 

 

・アーキテクチャとは

 アーキテクチャの概念は、米国の有名な憲法学者ローレンス・レッシグの著書「CODE」で提唱された。レッシグは、規範と法律、市場に並んで、アーキテクチャが人々の行動や社会秩序をコントロールすると論じた。

 例えば、飲酒運転の問題を考えるとき、飲酒運転は悲惨な事故を引き起こすから決してやってはいけないと人の価値観や道徳観に訴えかけるのが『規範』。法的な権力により罰則を定め、人々を思い止めようとするのが『法律』。罰金を設定し、経済感覚に訴えかけるのが『市場』。そして、『アーキテクチャ』とは、「自動車にアルコールの検知機能を設定し、そもそも飲酒している場合にはエンジンがかからないようにする」という規制方法である。アーキテクチャは特定の行為の可能性を技術的に規制する。規範や法律の場合は、規制される側がその価値観やルールを理解し内面化する必要があるが、アーキテクチャは知っていようと知らなかろうと、納得できようとできまいと、物理的な部分でコントロールする。規制される側が無意識の内に行動を規定されてしまうということすらありうる。

 

・ウェブの歴史

 ウェブ(ワールド-ワイド-ウェブ)の特徴は「ハイパーリンク」、URLを通じてページからページへジャンプできることだ。発明したのはイギリスの科学者ティム・バーナーズ=リーで、蜘蛛の巣のような「ハイパーリンク」の発想と「インターネット」という技術を結びつけることによって「ウェブ」が生まれた。

 「ハイパーリンク」は「指差し」のようなもので、ユーザーがそれぞれ自分で認知してページを探さなければならない。限られた少数の人達だけが使っているぶんにはそれで良いのだけれど、文章の数が増えていけば増えていくほど処理できる情報の量の限界に行き当たる。そこで検索エンジンという仕組みが新たに登場した。「yahoo」や「インフォシーク」「goo」などの検索エンジンは人力で情報を収集して検索エンジンを作っていたが、状況は「グーグル」の登場によって劇的に変化した。

 グーグルは、ウェブ上に膨大に存在するウェブサイトの「リンク構造」を「ボット」と呼ばれる自動巡回プログラムによって追跡し、「多くのページからリンクされているページは重要」「重要度の高いページからリンクされているものほど重要」などと、ページをランクづけしていく。そのための計算式を組んで、ウェブのリンク構造を解析することで優れた検索結果を導く。

 グーグルが登場したことによって、そのウェブサイトが見られるかどうかは、グーグルにどう評価されるかに大きく左右されるようになった。いわゆるSEO対策が必要で、そこから大勢の人に広まっていったのがブログだ。ブログの書式に従って書くと、自動的にグーグルに評価されやすいページが出来上がる。そのようにして、ウェブにあまり詳しくない人でも自分の意見を発信できる仕組みが作られていった。

 このようにして、ウェブ上の「生態系」を<ウェブ→グーグル→ブログ>というふうに辿ることができる。ブログの下にはグーグルがあり、グーグルの下にはウェブがある。

 

・生態系

 ウェブの生態系という言葉には、事後的に見てどれだけ目的に沿って進化しているように見えても、あくまでそれらは偶然の積み重ねによって生まれたものであり、その進化の方向性は多様なものでありうるはずだ、という著者の主張がある。<ウェブ→グーグル→ブログ>という流れにしても、ウェブの開発者ティム・バーナーズ=リーは、グーグルが生まれてくるなんて想像もせずに「リンク」というアーキテクチャを考案しただろうし、ブログの開発者やユーザーたちは、グーグルの検索システムに適合するはずだということは、当初のうちは考えてもいなかった。ウェブ上のイノベーションは「意図せざる結果」として、そのときどきの情報環境に適応する形で生き残ってきた。ウェブを考える上で、アーキテクチャというものがもともと生態系のように多様であるならば、ある一つの進化の道筋だけを原理主義的に正しいものと考えるのは避けなければならない。そして日本には、グーグルのいないウェブ空間で独自の進化を遂げたアーキテクチャが存在する。

 

・2ちゃんねる

 2ちゃんねるは、基本的にグーグルのような検索エンジンに依存することなく、ここまで発展してきた。(もちろん検索エンジンでも引っかかるけど、検索エンジンがなくなったからと言って機能が停止するわけではない)

 2ちゃんねるの仕組みは、検索ではなく、それぞれの話題ごとの「スレッド」があり、ユーザーはスレを立てたり、立ったスレに書き込みをする。2ちゃんのスレッドフロー式は、「直近でなんらかの書き込みがあったスレッド」から順にソートされていく。書き込みの新しいものから前に出てユーザーの目にとまりやすくなる。ブログのように一度書けば残るものとは違って、そのときそのときの「空気」を指向している。

 また、スレットには「最大1000レスまで」という寿命がある。これは「常連の排除」という設計思想に基づいたものだ。これは一般的なネットコミュニティと真逆の考え方だが、コミュニティを運営するにあたっては、どれだけそのコミュニティが盛り上がったとしても数年も経過すれば必ず衰退してしまう。なぜなら、一度形成されたコミュニティは、その内部における結束を高めるほど新しく外部からやってくる者から見れば「障壁」になるからだ。管理人の西村博之は、それを取り除くために、匿名性とスレッドの寿命を設定したと主張する。2ちゃんねるはそのようにして独自の発展をとげた。しかし著者の生態系という主張によると、もともとそれは合理的に意図されていたわけではなく、スレットが落ちるのは単にサーバー容量の問題で、ユーザーとシステムが相互作用するなかで2ちゃんねるという仕組みが出来上がっていったのだ。

 

・ニコニコ動画

 2ちゃんねるの延長で生まれたのがニコニコ動画というアーキテクチャだ。ニコニコ動画の特徴は、実際に同じ時間を共有していないユーザー同士が、あたかも同じ時間を共有してコミュニケーションを交わしているかのような錯覚を得ることができる点にある。

 従来のマスメディア、「ラジオ」や「テレビ」などは、力道山や紅白歌合戦など、「日本人全体がこれを見ている」という一体感に繋がっていた。これに対してインターネットの出現は、「みんなが一斉に同じタイミングで同じコンテンツを見る」という体験の同期性をばらばらに解体してしまうものだった。だがニコニコ動画というアーキテクチャは、マスメディア的なものをインターネット上に復活させることに成功している。

 ニコ動には2ちゃん的な「祭り」の感覚が取り入れられている。現実にあるエンターテインメント、たとえばテーマパークなどは、一時期盛り上がったとしても時間が経てば必ず人がいなくなり閑散としてしまう。それに対し、コメントで表示されたニコニコ動画の盛り上がりは、その賑わい自体が可視化される形で保存される。仮に同じ時間に視聴しているのが自分一人だったとしても、過去にコメントが盛り上がったなら、その祭りを再体験することができるのだ。だから私たちは、数年前に投稿されたニコニコ動画のコンテンツも、もっとも賑わいのあったときと同じように楽しむことができる。この「擬似同期性」こそがニコニコ動画の革新だった。マスメディアからインターネットが奪った同期性、一体感を、ニコニコ動画はアーキテクチャの本質的なレベルでウェブ上に復活させた。これが日本独自の生態系が産み出したアーキテクチャである。

 

 著者はウェブの進化のプロセスを生態系になぞらえて分析しているが、生態系の進化や均衡といった現象は相互依存的であり、未来を認識したり予測したりすることはできないと言っている。その主張を裏付けるように、本書で著者が出した、ミクシィの地位は揺るがないとか日本でフェイスブックやツイッターは流行らない、といった予測はことごとく外れている。ただし、ニコニコ動画はどんどん勢いをつけている。著者の濱野智史はこのニコ動をかなり高く評価しているように思えるが、僕もニコニコ動画は好きだ。

 2ちゃんねるからニコニコ動画の流れを他のアーキテクチャと比較して分析、位置づけした本書は高く評価されている。僕がまだ学部一年生だったときにこの本を初めて読んだときは、同じ学部ということもあって、SFCにこんな人がいるんだなあ、と嬉しくなったのを覚えている。

 

AKBェ……