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しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

ゼルダの伝説 ムジュラの仮面

『時のオカリナ』と『ムジュラの仮面』のどちらが好きか、と聞かれたらどう答えればいいのだろうか?どちらも好きとしかいいようがない。『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』の発売日は2000年の2月4日、時のオカリナの続編にあたる。

 


ゼルダの伝説 ムジュラの仮面 オープニング1 - YouTube 

 

 ゼルダの伝説シリーズは、前回記事に書いた時オカに限らず、タイトルムービーにゲームの全体像がよくあらわれていると思う。ムジュラも例外ではない。クロックタウンに流れるのどかな空気。時のオカリナの澄み切った美しさとは趣の違う、暖色の、ぼんやりとした街の色合い。人々の、何気ない冗長な生活がそのままゲームの世界に染み付いている。誰もが感じたことのある、ゆっくりと時間が流れて、日が暮れていくあの感覚……。そして、それがそのまま、深い闇に繋がっているという、事実。それは僕たちが日常的に感じている「こわさ」と隣り合っている。ホラーとかオカルトとか、そういう言葉では言いあらわせない。

「こんどのゼルダは こわさがある」というキャッチコピーだった。最初にプレイしたときはその実感がなかった。時のオカリナの、荒廃した城下町や井戸の底や闇の神殿に比べれば、ムジュラで描かれる直接的な、月の顔などの「こわさ」の描写はユーモラスにさえ見えた。もちろん、ムジュラにおける「こわさ」は表面的なものではなく、もっと根深いところにあるものだ。ムジュラは、ゼルダシリーズ中でも、街と人とその生活というテーマに比重を置いている。「こわさがある」というのは、開発スタッフの実感だったのではないかと僕は思う。ゼルダの伝説という優れたフォーマットで、「人間」を描こうとしたときに生まれてくるもの。それが「こわさ」だったのではないだろうか。ゲームというシステムそのものに付随して生まれてくる恐怖……。

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 イベントの関係上、すべての人を救うことはできない。誰かを救うことで救えない人が出てくるという現実。たとえどんな3日間を過ごしたとしても、時を戻して最初の朝に戻ると誰もリンクを覚えていないということ。今作のキーマンとなるお面屋の子供時代の月の中でのセリフ……。3日前に死んだ者たちは、救うことができない。その魂をいやすことしかできない。何度も繰り返しやり直すことのできる冒険だからこそ、死は存在感を放っている。そして、死者の仮面をかけることで、自らが死者に成りかわる。ゲームをプレイしていくなかで何度も仮面を付け外す。数回見た後はスキップしてしまうであろう、あの絶叫の間にある「死」……キャラクターの切り替えに、何気なくそれを繰り返すことを要求するゲームシステムは、不気味なんて言葉では済まない。 

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  一方で、ゲームをやっているときの感覚は、とにかく、楽しい!こんなに楽しいゲームが他にあるだろうかと思いながらプレイしていた。毎回、時計塔の下から、手付かずの『最初の朝』が始まるあの高揚感!思い出すだけでわくわくする。すかさずオカリナを取り出し、時の逆さ歌を引いて時間の流れを遅くする。僕がまず始めにやるのは、クロックタウンの東、的当て屋の上をジャンプで渡って100ルピーの入った宝箱を開けることだ。その後は毎回、何をしようか心が踊った。時間が巻き戻されるので、イベントを何度も繰り返しできた。イベントをやるためのゲームと言っても過言ではない。サコンを殺すのにハマっていたときもあるし、クリミアさんのイベントは気が向いたら何度もやった。カーフェイとアンジュのイベントは、誰でも特別な感慨があると思う。イベントそのものの良さは言うまでもなく、序盤からその一端に触れながらも、最後までやり遂げられるようになるのは終盤になっている。それまでに色々と思い入れが強くなってしまうのだろう。僕のゲーム史上一番好きなイベントだ。 

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 前作のデグナッツやゴロンやゾーラに変身して、それを自分で操れるなんて、時オカをやった身としては夢みたいな話だった。それがしっかりと、冒険や謎ときと結びついた形で用意されているのだ。楽しくないはずがない!お面の種類がたくさんあって、一つ一つ増えていくのがいい。『バクレツ』や『石ころ』や『うさぎずきん』なんかの便利なお面を手に入れたときは嬉しくてずっとかぶっていた。お面によってキャラクターのセリフが変わるから、誰かれ構わず話しかけたくなる。

 もちろん、冒険や謎解きがある。強力な敵や、難しいダンジョン(ムジュラのダンジョンは4つだけだが、どれもゼルダ史に残るほどの神ダンジョンだと思う!そこに至るまでの道程もいい!)が待ち構えている。だからこそ、寄り道にハマってしまうのかもしれない。攻略そっちのけで、たくさんのミニゲームやイベントに没頭してしまっていた。意識的にそうしていたのかもしれない。何をやるにも楽しすぎて、クリアしてしまうのが嫌だった。

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 街や、人や、ダンジョンや、風景や、様々なものが融け合って混ざり合っていく。そしてゲームの持つ空気をつくる。それがゼルダの伝説シリーズであるということだと僕は思っている。その中でムジュラの仮面は、外伝という位置づけもあり、遊んでいているし、ふざけている。たくさんのイベントとミニゲームとアイテム、キャラクターの一人一人にスケジュールがあって、そのときどきで違ったセリフをしゃべる。(そのためにメモリー拡張パックが必要になった)小ネタがいたるところに用意されている。賑やかで、楽しい、もっともサービス精神旺盛なゼルダの伝説だ。しかし、ただそれだけで終わらずに、その裏側には底知れない「こわさ」が潜んでいる。そういう部分を同時に持ってくる感覚……。一番恐ろしいのは、こういうものを作ってしまう当時のゼルダスタッフということになるのかもしれない。もしくは、これを生み出す母体となったゼルダの伝説という形式に畏怖するべきなのだろうか。

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  メインディレクターの青沼英二さんの話によると、ムジュラは時オカの外伝として、1年間という短い製作期間でつくられた。キャラクターやアイテム、ゲームシステムも使い回しが多い。というより、時の歌やお面屋、デグナッツやゴロンやゾーラになれる仮面など、出来合いの概念をうまく組み立てて、ゼルダという文法に則ったまったく新しい遊びを開発したのだ。当時の任天堂64ソフトは、3Dゲームの黎明期で、ハードの性能の上昇ということもあり、いわゆる『神ゲー』がいくつも生まれたのだが、ゲーム的な発想を一つの魅力として提示しているという点で、ムジュラは群を抜いていると思う。

 

 3日後に不気味な顔をした月が街の上に落ちてくるという設定の時点で、あきらかにおかしい。つっこみどころが山ほどある。時を巻き戻して何度も同じ3日間を繰り返すというアイデア……それにそって作られたストーリーも、フィールドも、キャラクターも、ゲーム特有のあり方で抽象されている。ほとんど狂気のようなものが、ゲームの筋立てにやわらかく丸め込まれて一つの作品として成り立っている。こんなことは小説でも映画でもできない。ゲームでしか、というより、ムジュラの仮面というゲームでしかできない。

 街の外に避難しようとする人、月が落ちることを信じない人、強がりを張る人、運命を街と共にすると決めた人……人間が描かれている。ただし、リアリティというようなものではない。ほとんどのキャラクターは3日の間寝ないし、食事もしない。会話が成り立つわけでもない。彼らは、むしろ、ゲームの中の存在という部分が強調されているようですらある。ただ、登場人物たちの挙動やたたずまいが、現実とかけ離れたところに、ある種の生々しさを持って息づいている。変態だし、頭がおかしいし、ふざけている。それでも、感動することができる。現実にいる僕たちが、自分たちの現実と彼らを重ねあわせて、納得……というよりはむしろ、没入するような形で、ゲームをプレイする。大して立派なセリフを言うわけでも、ストーリーと大きく関わっているわけでもない彼らの、これまでとこれからを想像して、胸を打たれる。一人ひとりの行動やセリフに、目頭が熱くなるほど感情移入することができる。

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 時のオカリナにくらべて、壮大さ、というものを志向しているわけではない。むしろ、こじんまりしたものをつくろうとしていたのだと思う。果てしない世界というよりは、同じことを繰り返す街と人々の生活が主題として描かれている。だが、ムジュラという世界に凝縮されている容量として大きさ、広さを、僕たちは知っている。平面に広がるフィールドとストーリーを、3日間という時間軸が立体的にする。繰り返される人々とのやり取りは、何度も絵の具を塗りこむようにゲームの世界を多層に深くしていく。冒険だけでも、謎解きだけでも、コミュニケーションだけでもない。様々なものが混ざり合っているが故に、ムジュラの仮面は、底知れない楽しさと、不気味さを持つ。

 ゲームシステムとして、それに付随したストーリーやキャラクターのあり方として、一つの作品の作り方として、ジャンルを問わず、すべてのゲームが参考にするべきなのはムジュラの仮面ではないだろうか。まあ、酷な話だとは思うけど……。

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 世界の美しさ、というよりは、街の空気。人々が作り出す長閑で暖かい空気。そこに「こわさ」が滲んでいる。一見わからない、楽しさや、おかしさや、切なさが混ざり合った空気のちょっとしたあわいに、深い闇がふと顔を出す感覚。それがムジュラというゲームの魅力の核になっている。

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   街が好きだ。現実の街もそうだが、ゲームの、特にRPGの中に出てくるような街。恐怖と悲劇に傾く世界の中にあって、人々の生活のにぎわいが担保されている感じ、戦闘を離れて、大きな街の人々の中に潜り込む安らぎと高揚、そういうものが好きだった。……だが、近年のRPGで見るどれほど広くて大勢の人物がいる街も、クロックタウンとくらべると物足りなく感じてしまう。そういう意味で、ムジュラは罪なゲームだ。

 

 

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