しっきーのブログ

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和食の知られざる世界

 著者は料理研究者であり辻調グループ創始者辻静雄の実子、辻芳樹。辻調グループ校は学校法人辻料理学館が運営する料理専門学校の総称で、現在の会長、理事長、学校校長は辻芳樹である。幼い頃から偉大な父の英才教育を受け、料理に人生を捧げてきた著者が、料理人としての立場、教育者としての立場、一大グループの長としての立場から、日本の「和食」が置かれた状況について語る。

 

和食の知られざる世界 (新潮新書)

和食の知られざる世界 (新潮新書)

 

 

 最近の「和食」は世界的なブームになっており、その広がりには驚くべきものがある。「日経ビジネス」の2013年7月15日号によると、「世界の日本食のレストランの数はこの三年で二倍近く(3万店が5万5000店に)増加」しているという。その裾野は寿司だけでなく、ラーメンやカレーなどにも広がり、海外で和食として普及しているものの中には、日本人からすれば「こんなの和食とはいえない」と呼ばれるものも多い。しかし、味覚の世界地図を描くとすれば、日本人が「こんなの……」と思う料理も和食の領域に含まれる。ここまで「和食」というカテゴリーが普及している現在、日本という限られた領域の中から「和食」を叫ぶのではなく、広い世界の中での「和食」の存在を考えなければならない。そう著者は主張する。

 世界の料理会の大きな潮流の一つに、味覚の簡素化、量の少量化、カロリーの低減化がある。もっと軽く、もっとヘルシーに、という要求に答えようとする中で、味を薄くしたり、バターを少なくしたり、煮詰めるのを軽くしたりする作業をやってきて、ついに西洋料理の既成の技法では、これ以上いくと味がなくなってしまうというところまできてしまった。そして、これまでの西洋料理にはない出汁の取り方や使い方、味付けの仕方、食材の扱い方、発想の仕方を持った「和食」の魅力に世界が目を向けるようになった。

 著者は現場の最先端にいるものとして、和食に大きな希望を見出すとともに一抹の危惧を抱く。昨今、世界的に見ると柔道というスポーツの中心地はパリになっている。日本人が武道としての柔道をあれこれ議論している隙に、いつのまにか勝負の結果だけでなく精神的にも、柔道は西欧世界が中心になってしまっている。和食もそうなってしまう危険性がある。子供の頃からの食習慣の変化で日本人全体の味覚がすっかりかわってしまって、和食の老舗が衰退してしまうことが起こりうるかもしれない。せっかくの日本の文化遺産であり、ソフトパワーの一翼を担えるはずのものが、日本のものでなくなってしまうかもしれない。筆者は「杞憂かもしれない」といいながら、日本で食を教育する者としてそのような危惧を抱く。

 

 和食を海外に発信していくとき、日本にあるものをそのまま海外にいっても受け入れられない場合が多い。外国人の味覚の違い、食の習慣などの「食文化」の壁はそうとう厚く、どれだけ優れたものであっても、それをやすやすと乗り越えることはできない。和食を海外に発信するには、「変換」を行い、和食のもつ枠組みを守りながらも、外人の「食文化」の流れにそれを組み込む作業が必要になる。

 例えば日本国内で大人気のラーメン店「一風堂」は、海外でも日本とそのままの味付けで出されているが、それとは別に、ある「変換」をおこなっている。日本では店に入って出された一杯を啜るというものが主流なラーメン店の食事を、他のレストランのコースのようなものに変換している。海外の「一風堂」では、ラーメンを食べる前にカウンター席で「食前酒」を飲み「前菜」を食べるような店のつくりにして、ラーメン屋であっても欧米人の食事に欠かせない「流れ」をつくっているのだ。いくら美味しいラーメンであっても、欧米人のコース料理の概念のような「食文化」を無視しては、海外の顧客に馴染んでもらうことはできない。味が美味しいとか不味いとか、値段が安いとか高いとか以前に「文化」として彼らに受け入れられないのだ。日本で流行りの「回転寿司」はかつて海外でも大ブレイクしたが、あっという間に衰退してしまった。当初は物珍しさに客が入った「回転寿司」も、ニューヨークやパリにいる欧米人の食文化に合わせるという「変換」をまったく行わず、ディズニーランドのようなテーマパーク性と寿司の持つ魅力だけで勝負しようとした。結果、海外の食文化に定着せず、飽きられるのも早かった。

 和食を考える上での最大のポイントは、「和食の枠(本質)をしっかりと捉えているか否か」である。日本の食文化は長い歴史の中で、世界の影響を受けながら徐々に固まってきたものではあるが、今日においては、しっかりと世界の料理文化の中でその独自性を保持している。和食の特徴は、まず、季節ごとの食材としっかり向き合って、その食材の味を引き出していることである。そしてその味を形成するものは醤油、酒、みりん、味噌などいずれも何百年にもわたった培われた製法により生まれた加工品だ。和食にはそういった「枠」があるのだが、その解釈はかなりの部分まで各料理人に委ねられている。その中で枠をいかに自在に拡張できるかが腕の見せ所になる。

 著者は、幼少の頃からの美食で磨き続けてきた味覚、辻調グループ会長の仕事、そして自らもレストランの立ち上げや経営に関わった経験から、和食が世界の波にさらされてどのような変化を告げているか、どう進化していっているのか、実際の料理やレストランの装飾、料理人のエピソードを添えながら紹介していく。

 その第一線でのエピソードは非常に面白い。そこでは、和食の「枠」を保持しながらも、どこまで海外の人に受け入れられるものを作れるのか、ぎりぎりの戦いが繰り広げられている。安易に外人に受けるものを作るのは簡単である。しかし、それだけでは和食の持つ本当の魅力に彼らを導くことができない。

「外国人に日本人にとっての本物を押し通しても、その味覚が届かないことがある。かといって、外国人の味覚だけを考えて料理をつくり、日本の料理技術の本質を見失うと、和食の枠から外れてしまう。あくまでもゆずれない一線を守りながら、妥協も知ること」

 どこまでが日本で、どこからが海外なのか。そういった戦いが、ニューヨークなど様々な文化が渦巻く美食都市で、今まさに繰り広げられている。僕はこの本を読んで、和食の素晴らしさを見直すとともに、それが海外に出て行ったときに持つ独特の面白さ、第一線での和食を担う料理人達の熱さを感じることができた。