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しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

なぜ、バブルは繰り返されるか?

 著者は久留米大学教授の塚崎公義さん。オランダのチューリップ・バブル。イギリスの南海泡沫事件、日本の平成バブル、アメリカのITバブル、住宅バブル……。人類の歴史の中でバブルは何度も繰り返されてきた。景気は良くなって欲しいけど、バブルのリスクが常にあるということは覚えておかなければならないだろう。

 

なぜ、バブルは繰り返されるか?(祥伝社新書)

なぜ、バブルは繰り返されるか?(祥伝社新書)

 

 

 1711年、イギリスで「南海会社」という会社が設立された。この会社にはイギリス政府から南米などにおける通称独占権が与えられていたが、実際には南米はスペイン領であり、イギリス船の貿易が厳しく制限されて貿易事業はあまり活発にはできなかった。それにも関わらず、「南海会社」の株価は急騰した。スペインが貿易制限をゆるめたというデマが流され、それに色々尾ひれがついて話が膨らんでいった。

 株価の急騰によって、多くの人が突然金持ちになり、それを見ていた人達も投機に参加し始めた。南海会社への投機熱を見た人々の中には、これに便乗して会社を設立しようとした人がいた。「事業の内容は後日発表するが、高配当だけは約束する」などといういかがわしい会社が設立され、当然それは詐欺だったわけだが、人々はそれに騙されるほど投機に熱中していた。このような会社は泡のようにたくさん設立され、「泡沫会社」と呼ばれた。これが「バブル」の語源である。

 物理学者のアイザック・ニュートンは、「天体の運動なら計算できるが、群衆の狂気は計算できない」という言葉を残している。そう言ったニュートンは、一度売却した南海会社の株を、さらなる高値で購入してしまい、結果的に株価は暴落して大損してしまった。ニュートンは南海会社の株価急騰が明らかに高すぎ、人々が狂っていることを理解していた。だが人々が狂っている時には自分も同じように行動すれば儲けられると考えてしまったのだ。

 バブルの定義は、「ドルなどの値段が、ファンダメンタルズから説明できないほど高くなったあと、大幅に下落すること」である。ファンダメンタルズとは、為替レートや地価や株価などを考える際に参考にする基本的な経済の条件で、例えば企業なら、収益、景気動向、金利の水準などから割り出した値である。要するに実体経済には何の変化も起きていないのに、人々の捉え方の変化だけであるものの値段が実体以上に上がり、そこから暴落するのがバブルである。例えば中古の靴屋にあったスニーカーを、誰かがこれはマイケル・ジョーダンの使っていたものだと言い出せば、そのスニーカーの値段は急激に上がる。後にそれが嘘だとわかれば、値段は急激に下がる。もともとあったスニーカーが変化したわけではないし、実体としてはなんともないことなのだが、それが人々の生活を規定する経済の世界に起こったことで、さらにそれが大規模なものになると、その損害は計り知れない。

 著者は、バブルには二種類あり、一つは「他力本願型バブル」と言うもので、人々が「この株は割高だが、当分の間は他人が買うから、さらに値上がりするだろう。自分も買おう」と考えて起こるバブルであり、もう一つは、「惚れ込み型バブル」というもので、投資家が投資対象に惚れてしまい、バブルであることに気づかないものだ。例えば人々が「日本経済はすばらしいから、株価がこれくらい高いのは当然だ。むしろ、さらに上がるべきだ」などと考える場合に惚れ込み型バブルが起こる。

 過去30年、平成バブル、ITバブル、住宅バブルをはじめとして、タイの通貨危機を招いたバブル、スペインの財政危機を招いたバブルなど、1国あるいは世界の経済を麻痺させてしまうようなバブルは世界各地で多発している。

 最近になって起こり大きな影響を与えた日本の平成バブル、ITバブル、住宅バブルなどのバブルは惚れ込み型が主流だ。現在では経済学的な考え方、指標が普及して、ファンダメンタルズから乖離している株価は明らかにおかしいということが解るので、すぐに政府が何らかの対策をとることができる。しかし、例えば平成バブルでは、多くの人々が「日本経済は世界一、21世紀は日本の時代だから、地価や株価が高いのは当然」と考えて投資をしていた。株価がファンダメンタルズから説明できないほど上昇している、という認識ではなく、むしろ今までがファンダメンタルズに比べて低すぎた、と考えてしまったのだ。「ITは夢の技術」、「移民で増える住宅需要」といった理屈を人々が信じこむことによって、バブルが起こる。こういったバブルの場合、人々が投機と気付かずに結果として投機を行っていたということが起こる。

 バブルの渦中にある人は、時としてそのバブルがもたらす社会への影響に従わざるを得ないときがある。バブルに踊らされているのは、彼らの愚かさ故だとは限らない。平成バブル時の普通のサラリーマンの感覚としては、「今自宅を買わないと、一生買えずに借家に住むことになるので、急いで買おう」と考えて住宅ローンを借り、自宅を買う。彼は結果的にバブルに加担し、泡がはじけた後は一生をかけて無理な自宅のローンを返さなければならなくなった。それは彼の責任だろうか? さらに、多くの人がこれはバブルだと気づいても、人々が株高と高景気の幸福を感じているときに、その気分を潰す政策をとるには理由を説明し、熱狂している人々を納得させなければならないのだが、それは非常に難しい。

 筆者は、バブルが崩壊してから、それを反省して再発防止のために政府が組織的にルールを定めた事例を聞かないと言う。個人としては「夢の技術だからといって踊ってはならない」ことを学んだ人はいるし、「羹に懲りて膾を吹く」人もいるだろうが、バブルとは全体の熱狂なので、個人の意識を頼りにするのではなく、制度を作って抑制するべきものだ。だが、投機を規制するのは難しい。投資と投機の違いは非常に曖昧である。取り締まるためには許されることと許されないことの境界線を明確に示さなければならないが、取引する者の意図をそんなに簡単に線引きできるわけではない。結局は人々の意識の部分に期待をかけるしかないのかもしれない。平成のバブルなんて今から見たら馬鹿みたいに思えるけど、実際に自分がその中にいればどうしていたかわからない。多くの人と同じようにバブルに踊らせていた確率が高いだろう。未来にどんなバブルが起こるのかわからないけど、平成バブルの教訓を活かして、これはバブルなのでは? という疑いは常に持ち続けたいものだ。もちろん、バブルだと薄々わかっていてもそれに加担せずにはいられない、加担せざるを得ない、というのがバブルの怖いところだとこの本では解説されているのだが……。