読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

いのちと重金属

本の感想

 著者は渡邉泉さん。人のいのち、環境問題、公害、これからの社会のあり方を重金属という視点から考える本。問題を提起するだけじゃなく、読み物として面白い。

 

いのちと重金属: 人と地球の長い物語 (ちくまプリマー新書)

いのちと重金属: 人と地球の長い物語 (ちくまプリマー新書)

 

 

 

 

 科学技術と人類との関係は、いまだに克服できていない課題が山積みしている。2010年台に入っても、電子材料メーカーが放出した物質(ヘキサメチレンテトラミン)が有害なホルムアルデヒドに変化した利根川の水質汚染事件や、特殊な印刷工場で使用された洗浄剤が胆管ガンを引き起こした事件。化粧品が予想外の影響を発生させるなど、化学物質による事件は後を立たない。また、古くから知られるカネミ油症事件アスベスト水俣病の問題もまだ終わったわけではなく、被害者は今も苦しみ続けている。もちろん、その問題は2011年の原発事故、放射能の漏洩にも通じるところがある。

 本書では、その科学技術との向き合い方を、重金属という視点から考えていく。単純に問題を提起するだけでなく、星が生まれ、いのちが誕生するところから遡って現在の問題を考える。

 137億年前、ビックバンが起こり宇宙は誕生した。誕生直後、すべての元素のもととなる水素、ヘリウム、リチウムとベリリウムの核が生まれる。そこから、原子核がぶつかりあって、より重い元素が生まれることになる。質量数4のヘリウムが3つぶつかり重さ12の炭素に、そこからさらにヘリウムがぶつかれば重さ16の酸素になる、といった具合で元素が合成されていく。

 巨大な質量は大きな引力を生み出し、内部に働いた大きな力から、より重い元素が仕上がる。核融合が起こる巨大な星、恒星の内部では膨大なエネルギーが集まり、そこでできる最も重い元素は鉄である。鉄は非常に安定していて、核融合反応を起こしにくく、それ以上燃えない。そのために鉄はそれより重い元素よりもはるかに多く地球上にも宇宙にも存在する。

 さらに重い元素は、星の爆発、スーパーノヴァを迎えたときに生まれる。爆発の巨大なエネルギーによって、鉄より重いコバルト、ニッケル、銅などの重金属が生成される。スーパーノヴァが起こるのは非常に稀で、その結果生み出される重い元素の量は少なくなり、宇宙全体での存在量も極端に少なくなる。我々人類が利用している重金属は、はるか昔に遠くの宇宙で爆発した星から飛んできた希少な資源なのだ。

 

 はるか昔、私達が必須としている酸素は生物にとって猛毒だった。酸素の恐怖は極めて反応性が高いことで、放っておけば鉄がどんどん錆びるように、手当たり次第に近くのものと反応してくっ付く。当時の生物にとって、酸素は非常に強い毒だった。世界が酸素に「汚染」されていく中、あるとき、二酸化酸素から糖を合成するカルビン回路と呼ばれる反応を逆転させる変化が生じ、酸素からエネルギーを得る酸素呼吸を獲得した生物がいた。酸素呼吸は、それまで嫌気性細菌が行っていた硫黄や水素、窒素を還元したりすることで得られた無酸素呼吸に比べ、約20倍ものエネルギーをもたらす。酸素の激しさがそのまま体内の燃料になったのだ。その結果余ったエネルギーが、単に生きているだけでなくより豊富な機能を獲得するために発展していく。こうして生物の多細胞化、多様化が進んだ。だがそれ以前は、酸素は猛毒だった。そして今の私達にとっても、日々体内で発生している活性酸素は細胞を構成する物質と激しく反応し、もともとの機能を損なう。さらには遺伝子を傷つけて正常な複製を出来なくさせる。酸素は放射線や紫外線と同じくDNAを傷つけ人間の老化を進めるが、でも私達は酸素なしには生きていけない。重金属にもそれと同じことが言える。人間が生きる上で、重金属は必須だ。私達の身体にはだいたい釘一本分の鉄が含まれている。酸素を身体の隅々まで運ぶヘモグロビンの中心部として活躍し、ほかにも重要な抗酸化酵素であるカタラーゼや酸化還元酵素として働いている。巨大な大陸が形成されていく中、地殻中の金属は溶け出し海に注がれる。生命はその毒に苦しみながら、その金属を身体の中に取り入れ進化していった。生物が海から上がった後も、植物が地中から吸い上げた金属を摂取することにより、様々な金属を身体の中に取り入れていった。重金属は私達の外部にあるものではなく、私達は常に身体の中に重金属を取り入れているのだ。

 すべての物質には致死量がある。水も致死量以上の分量を一気に摂取すると水中毒で死んでしまう。醤油も1リットルを一気飲みすると死ぬと言われている。必要なものでも摂り過ぎると毒になる。重金属は毒だというイメージが強いが、生命の維持には重金属が不可欠だ。鉄、亜鉛、銅、マンガン、クロム、コバルトなどは必須元素と言われている。さらに、強い毒性を持つものとして有名な銀、カドミウムアンチモンといった元素も必須生が疑われている。意外にも、世界的には、重金属による健康影響は過剰摂取による中毒よりも不足による欠乏症の方が多いと言われ、世界各地に存在した風土病も実は必須元素の欠乏症だったというケースがみられる。

 生息環境に豊富にあった重金属は必須元素として利用されやすい。生物は進化の過程で、自らに毒であった物質でも豊富にあれば効率的に利用するすべを身につけた。地球に比較的多く存在する鉄は人間も比較的多く体内に摂取する。逆に、もともと生息環境に多くない希少金属は毒として作用しやすい。そこに公害の問題がある。技術の発展により、今まで人間にとって希少だった金属を掘り出せるようになれば、それが毒として人に働くのは自然なことなのだ。

 人間のとってある程度は必要なものであるだけ、公害を認定することは難しい。一級の毒物でありながら、ごく微量は人間にとって必須なものとなる。発がん性が明らかになっている物質であっても、暴露されてから発症までに長い時間がかかることが多い。そういった場合に元素の暴露と発がんの因果関係を立証するのが難しくなる。加えて、重金属による毒性発生のメカニズムは非常に複雑であり、元素そのものの毒性と、それが体内の炭素などと結合した有機体になったときの毒性が異なる。そのため特定の原因となる元素を指摘できず、元素による被害を立証できなかったことは多々あった。

 水俣病、第二水俣病四日市ぜんそく、イタイイタイ病四大公害病、宮崎県高千穂町の土呂久砒素公害など、そこでの加害者側の企業、事件を担当した官僚の対応は本当にひどいものがあった。人が自分と関係ないものに対してどこまで無関心で、残酷でいられるかを示す例だろう。原因を特定できないまま、何の罪もない人達が苦しむことになった。ここには書かないが、その経緯が本書に載っているので、読んで欲しい。

 

『あるとき学生に聞かれました。「人類は、環境と経済を天秤にかけたら、どちらを選択するのですか」私は答えていました。「非常に難しい問題だけど、案外答えはシンプルです。ポイントは生きること、もう少し突っ込めば健康でしょう」生きるためには食べなければなりません。ここが喫緊の優先事項です。この前提の中で、健康を害するものがあれば、お金をかけてでも食べなくする。つまり、“環境”を優先する。一方で、戦争や飢饉など(究極の経済問題ですね)、生存の危機に直面すれば、迷わずそっちを選ぶ。つまり経済が優先になる。非常にシンプルなのです。このとき問題になるのは、知らずに食べていること、そして知らされずに食べ続けさせられていること、です。

 しかし、問題はここで終わりません。私は続けました。「この選択の上位にはもう一つ、究極の問題があるのです。それは“いのち”に対する社会の評価です」つまり、いのちの価値をどの程度と捉えるか、もっと言えば、“他人のいのち”を社会がどう評価するか、ここが問われることになります。大きなポイントは“他者”です。人は、数少ない例外を除けば、自分のいのちや健康の危機、苦しみを前にすると、間違いなく“いのち”を優先します。しかし、ひとたび自らが安全圏にいると認識すれば、そこから“他者のいのち”をどこまで重く捉えられるでしょうか? この優秀な回答こそが、成熟した社会に求められるものだと思います』

 

 長々と引用してしまった。これはあとがきに書かれた言葉だが、いのちと重金属、元素の誕生から命の誕生、過去の公害から現在の行く先まで示した本だからこそ、この言葉が心に刺さる。ぜひ読んでもらいたい。