しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

レイヤー化する世界

 今まで仕組みが終わって、これからはまったく違った世の中がひろがっていく、みたいな話をするのは楽しい。テクノロジーによって今までの仕組みは全部変わっていくんだぜ! ということを長いお膳立てをして煽っていく本。著者は「2011年 新聞・テレビ消滅」などを書いた佐々木俊尚。内容は眉唾ものだが、けっこう面白かった。中高生向けに書いたらしく、文章は平易で口当たりがいい。ただ現在の趨勢をアジテートしていくような内容なので、それだけに少したちが悪いかもしれない。

 

 

 

 

 

 現在の国民国家という仕組みには普遍性があるわけではなく、ネットの発展によって国家は終わる。テクノロジーが創りだす<場>が国家に変わる権力になる。民主主義によって「国」を支えるのはナンセンスで、先進国と途上国の力が同じになり賃金の格差とかはなくなる。その改革をするのがマイクロソフトやアップルやグーグルやフェイスブックやツイッターみたいなテクノロジーを持つ少数の人間が作り出す<場>で、これから人々はその支配を自分から進んで受け入れて生活していくようになるんだぜ、といったことを、歴史を遡りながら説明していこうとしている。

 

 

 まず、帝国。古代から中世にかけてたくさんの帝国が栄えたり滅んだりしていた。中世の帝国は基本的に多民族国家である。帝国という言葉は、よくアニメなどでは邪悪な侵略者というイメージを帯びているが、実際にはもっとゆるやかで柔軟なものだった。武力だけでは平和なんて続かない。帝国は他の地域を侵略して自分の勢力を伸ばしていくのだが、その内側に入ってしまった人達にとってはけっこう快適だった。がちがちに支配されたわけではなく、色んな自由が担保されていた。「たくさんの言語を認め、たくさんの文化を認め、たくさんの民族を認めるというやりかたが、すでに紀元前という古代に成り立っていた」のだ。帝国の支配がうまくいってるうちは、人々は結構安心して暮らすことができた。

 本書は、内側と外側という境界の作り方が緩やかなものとして帝国を位置づけている。それは国民国家と比較して緩やかだという意味で、イスラム帝国の場合はイスラム教を信仰していれば他の条件は厳しくないし、ローマ帝国は共通語であるラテン語とギリシャ語ができれば仲間に入れてもらえる。近代の国民国家における愛国心のようなものは求められなかった。つまり境界が緩かった。帝国とは領土を拡げて、様々なものを含んでいこうとするシステムなので、内と外の境界に重きをおいているわけではない。しかも中世には帝国どうしで緩やかな交易があった。

 

 後に、正確な理由は明らかになっていないらしいが、ペストの流行など、なんやかんやで帝国は滅ぶ。そして小国乱立が標準になっていく。

 やがて「ひとつの民族がひとつの国」という国民国家が生まれる。国家は内側と外側を厳密に区別し、植民地を作ってそこから富を搾取する。自分たちが所属する内側とその外側という区分が強めるシステムだ。国民国家は小国が乱立するので、帝国主義と違って戦争を起こしやすい。二十世紀は「戦争の世紀」と呼ばれるほど戦乱の絶えない世紀になってしまった。

 

 先進国は「外」に支えられている。国の内側である国内では、他国との競争に勝つために数ある企業が合併し、巨大企業が生まれる。国の中でもその巨大企業の内側に入れる人と入れない人が出てくる。

 巨大企業の「内」と「外」。その外側にも国民国家の「内」と「外」。さらに先進国という枠組みの「内」と「外」。世界は円の構造になっていて、円の内側にいくほど権力が高く生活も恵まれていて、外側にいくほど悲惨になる。

 現代のシステム、国民国家のシステムとはその「内」と「外」を強く分けることによって成り立っている。内と外を分けることによって内側が繁栄するというシステムだ。だがそれは普遍的なものではなく、その時期にはそうだったということに過ぎない。新しい権力の仕組みが出来上がりつつある。

 

 テクノロジーによって、その内と外を分ける仕組みが破壊される。著者はレイヤーという言葉を使っている。レイヤーとは「層」という意味だが、国家という枠組みではなく、国籍、職業、出身地、言語、趣味、特技、食の好み、恋愛、政治、宗教、など、様々なレイヤーが重なり合うような形で、私達のあり方を規定する。それが「レイヤー化する世界」という意味で、人々は様々なレイヤーごとのつながりを持ちながら、「ひとりひとりよき生を送っていく」という意味だ。

 

 グーグルなど、「現代の超国籍企業がつくる<場>は、情報が非常に流通しやすい交通システムのようなもの」で、中世の交易を進化させたものとして捉えることができる。

 中世の帝国という概念まで遡って、新しい社会の趨勢を考えるという本だが、よくまとめてはいると思う。だがほとんどが中高生向けの歴史の勉強みたいな内容だし、情報分野についても言っていること自体は常に多くの人が言っているようなことで目新しさはない。それだけに特別間違っている主張というわけでもない。ただ、僕はやり方が少し無遠慮というか、考えが足りないと思った。

 

 多くの人は、技術の進歩には良い部分も悪い部分もある、という考えに賛成するだろう。

 本書では、「レイヤー化する世界」の恩恵を特別に受けた人達の例がいくつか載っている。

「販売の仕事」の実力が皆に認められ、家庭を優先しながらも企業からは引っ張りだこで、自由な働き方が許されている女性。中年の派遣労働者だったのが、ネットで人気を博すようになり、今ではオフ会で尊敬されているという人物……など。

 

 こういった例があるのはいいことだが、じゃあ全員がそうなのか、と言われえば、もちろんそんなことはない。<場>が整備されて人々がより自由になれば、格差は次第に開いていく。インターネットの特徴として、人々が自由になり機会が均等になると、できる奴はますますできるようになり、できない奴はますますできなくなる。頭の良い奴は勝手に自分で情報を収集してどんどん上に行く。バカは特定の分野だけでつるんで、自分の好きなものにしか興味を持たないという傾向がますます強まる。

 この本について、とくに目新しいことを言っていない、という以外に批判があるとするなら、全体の話として論を進めながら、最終的には個人的な経験から、特定の人に向けて自分のいいたいことを言っているだけ、ということだ。

 個人的な感覚、経験から、君たちはこうすればいいよ! と言うのと、全体としてどうなっていくのか、というのは違う。他者は自分の思うままにはならないものだし、それが国全体、世界全体、となれば、それを正確に捉えることはより難しくなるだろう。

 こういう、自分の感覚が全体の感覚と合致すると考えてしまう人はIT関係者に特に多いと思う(これは個人的な偏見だが)。例えばホリエモンとかはそうだ。あの人は非常に能力があるけど、朝まで生テレビなんかを見ていると、日本はこれからどうなるか考えましょう、という場面で自分はこうだからみんなこうすればいい。みたいな話をする。議論にならないのは当たり前だろう。

 

 実際の世界はもっと冗長だ。頭がいい人ばかりじゃないし、弱い人もいる。新しい技術に適応できる人ばかりじゃない。むしろそういう人達が大半を占めるなかで、世界は少しずつ変わっていく。革命が起こって今まで世界が一気に変わる、というのはそれこそナンセンスだ。もちろん、IT業界に携わっていれば一気に世界が変わっていくように見えるんだろうけど、その比率は全体の人口と比較してどの程度なのだろうか。そういう視点がまったく欠けているのはよくない。

 

 本書ではロボットが普及して人間の単純労働がなくなっていくという記述もある。無人の自動車や飛行機など、ある程度知的な能力が求められる部分にもロボットが侵食してきて人間の仕事がなくなっていく。じゃあどうすればいいのかと言うと、ロボットに出来ない仕事をできる奴はほんの一握りだけど、

お前ら時代に乗り遅れないように頑張れよ! といった感じだ。いやいや、一番大事なのは、こういう問題に対して、仕事を失ってしまう人達をどうするか。こういった現象は全体として世界にどういう影響を与えるか。ということだろう。

 著者は大きな新聞社を退社して、今はフリーのジャーナリストだ。所属はないけど、色んなレイヤーに繋がりがあるので仕事には全く困らないらしい。これからはこういう働き方が主流になるんだぜ! という自分語りの延長みたいに話を続けるが、もちろん誰でもそういったフリーの世界で生きていけるわけではない。

 

 

「テクノロジーの進化はものすごく、いま学んだ知識が何十年も先も使えるのかどうかさえさっぱりわからない。そういう不透明な時代なのです」

「若者への教育も、全部ゼロからつくりなおさなければならないでしょう」

「私達はその未来の世界システムに対応しなければならなくなるのです。考えかたを変え、働きかたを変え、生きかたを変えていかなければならないでしょう」

「不安だけど、アメーバのようにくねくねと動き回りながら、自分の居場所を見つける努力を一生続けること」

 

 

 こういう部分には失笑してしまう。いや、間違ってはないんだけど。

 ただ、今現在の趨勢を強調し、さらにそこからから演繹して、世界はこのように変わっていく、というのは無理がある。過去から未来は続いているし、人は今までの名残を常に引きずりながら生きている。

 国民国家の力が弱まっていくのは間違いなく事実だろう。世界はよりフラットになっていき、情報は大勢の人間に行き渡る。国家や民族や政治イデオロギーといったものは全体として相対化されていく傾向にあるのは間違いない。

 それでも、人々がレイヤーごとの繋がりを持って、そこから何をするかが問題になるのだろう。相対的に力は低下したとしても、やっぱり国家、民族、言語のレイヤーは他に比べて、例えば趣味のレイヤーに比べて強力だろうし、本書では言及されていないが、血縁のレイヤーなんてものはかなり普遍的な力を持っていると思う。そういったものがそれぞれの兼ね合いでどのように変わっていくのか、考えようとしてもなかなか難しい。

 

 基本的に、未来予測は難しいということだろう。ただ僕は本著のように、これからはこうなる! みたいなことを言う本は結構好きなのだ。批判はするけど。