読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

生活保護から考える

本の感想

 

 筆者は稲葉剛さんという、『自立サポートセンター・もやい』の設立メンバー、現理事長で、路上生活者支援の活動に取り組んでいる。3000人以上の生活保護の申請に立ち会ってきた人で、そういった人達の側の立場から生活保護の必要性を主張している。当事者に肩入れしているので、「いわゆる「中立的」な立場から書かれたものではありません」と筆者自信も言っている。確かに僕も読んでいてそう思った。

 

 

生活保護から考える (岩波新書)

生活保護から考える (岩波新書)

 

 

 

 ポケモンをやってるときに、ストーンエッジって実質命中率50%くらいだろお! と思ったことがある人は多いのではないだろうか。でも任天堂がミスしていない限りは、命中率80%である。そう思ってしまうのは、ストーンエッジを外して負けてしまったようなバトルが印象に残りやすいからだ。その20%の影響が強く印象に残ってしまうと、ストーエッジは肝心なところで外してしまう技、という意識が強まっていく。(ワロストーンエッジとか言われてたりする)実際には、因果なことに、命中率80%のストーンエッジを技の選択肢から外すことなどできない。(命中不安に耐えかねて切ってしまう人も中にはいるだろうが)ストーンエッジを外して負けてしまう試合より、ストーンエッジがあったから勝てた試合のほうが数としては多いからだ。

 

 別にポケモンの例を持ち出す必要はまったくないのだが、生活保護の問題にも同じことが言える。貰う必要もなく不正受給している人は全体の中の少数でも、それが強い印象に残ると、やがて生活保護を受給している人たち全体の印象が悪くなっていく。

 ただ、筆者も方向が反対なだけで、生活保護を嫌う人と同じ性質のことをしている。本に出てくる生活保護受給者の例は、生活保護を敵視する人たちが上げる極端な不正受給の例と性質としてそれほど違いがないのではないか。

 

 

 この本の主張は、生活保護が必要な人たちがいる。苦しんでいる。だから助けろ。健康的で文化的な生活をするにはまだ額面が足りないから引き上げろ。生活保護を貰うのは正当な権利。受給するのを躊躇う必要もないし、そこに負い目を感じる必要もない。餓死しそうな人もいる。政府は脅かされる命を守るために、もっと金を注ぎ込め……。といった感じだ。

 

 別に主張自体が間違っているというわけではないと思う。ただ、生活保護という問題の持つ射程はもっと広いはずである。

 本著でも言及があったが、働いているのに生活保護以下の暮らしぶりであるワーキングプアの問題。これは賃金を引き上げるしかないが、賃金の引き上げなんてそんな簡単にできることではない。経済は複雑に動くので、その弊害がいろいろと出てきてもおかしくはない。失業率が増えてしまうかもしれないし、インフレが進んで生活保護費が相対的に少なくなるかもしれない。本書では財政的な問題に対する言及がまったくない。金が足りないから補助しろ、の一点張りである。

「オニギリ食べたい」とメモを残して餓死してしまった男性も、生活保護を受けることに対して恥を感じていたからの結果だろうし、一方で何の恥も感じずに不正受給している輩もいる。そういった二つの側面があるなかで、生活保護を貰うのは権利です!みなさん躊躇うことはありませんよ!と、ただそれだけ言うのは違う気がする。

 生活保護申請の窓口では「水際作戦」が行われていて、なかなか申請を通そうとせず、受給したい人が苦しんでいる、と筆者は主張する。その主張はもちろん正しいのだが、一方で、生活保護の受給者は年々増え続けているという現状がある。財源は無限にあるわけではないし、生活保護を受ける人が増えればその分それを支える人の負担が増えるのだ。

 別に、経済は効率化していくしうまく資源を配分すれば国民の一割しか働かなくても残りの人を養うことができるから生活保護がちょっと増えることくらいなんの問題もないんだよね、みたいな主張も僕はあって然るべきだと思う。そういうことがマクロ経済なりなんなりを分析して示せれば、それなりに価値のある主張になると思う。ただ筆者は、受給できない人が苦しんでいる! 彼らには受給する権利がある! みたいなことを繰り返し言うだけだ。それは生活保護という題で一冊をまとめた本としてはつまらない。結局、筆者はそっち側の人間で、そっち側からものを言っているだけなんだなあ、としか思わないからだ。

 働かざるもの食うべからず、みたいな感じで、家族もいなくてコネもなくて頭が悪くて働けない奴は死ね、といった主張だってそれなりに力を持っているし、そういう人たちにたいしてこの本は何の説得力も持たないだろう。

 

 著書の引用で、シベリア抑留を経験した詩人、石原吉郎の話がある。石原は鋼索を研いで針をつくり、それをパンと交換していた。だがそれに対して他の日本人がひどく憎しみを抱く

「針一本にかかる生存の有利、不利にたいする囚人の直観はおそろしいまでに正確である。彼は自分の不利をかこつよりも、躊躇なく隣人の優位の告発をえらぶ。それは、自分の生き延びる条件をいささかも変えることがないにせよ、隣人があきらかに有利な条件を手にすることを、彼はゆるせないのである」

 と石原は「弱者の正義」という文章で指摘する。こうした状況での嫉妬は、「正義の感情に近いものに転化する」と言う。

 

「自分たちを取り巻く社会環境を主体的に変えることが不可能だ、と感じる人が多数を占めれば、その社会は「人間不信の体系」となり、「隣人の優位の告発をえらぶ」人々が増えるのではいかと私は考えます。そして、隣人が実際に「有利な条件」を手にしているかどうかに関係なく、「優位」に見える人々は正義の名のもとに攻撃されるのです。これは生活保護バッシングのみならず、近年の在日外国人へのヘイトスピーチなどにも共通する心理状況だと思います」

 

 これも言っていることは正しい。でも正しいだけに意味がない。筆者の主張はこれで終わっているからだ。そういった「弱者の正義」は良くない。だから生活保護バッシングも良くない。と言うだけでは生産性がない。

 石原吉郎が主張したように、こういった「弱者の正義」が起こりがちであるならば、それが起こるのは自然なことだと捉えて、そういった大衆の傾向も加味しながら健全な解決への道筋を探っていくべきだろう。

 

生活保護から考える」という題名から、生活保護というテーマを手始めにより広く社会のあるべき方向を探っていく本だと勝手に思って手にとったが、しばらく読み進めてがっかりした。生活保護は必要です!と主張するだけで、ぜんぜん生活保護から考えてないじゃないか、と思ってしまったからだ。

 ちなみに、僕は大学のメディアセンターに並んでいる新しくて読みやすそうな本を手に取って、それを最後まで読むことにしている。

 

 

 悪口みたいなことを書いてきたが、僕は筆者に対しては決して悪い印象を持っていない。彼は多くの貧困に喘ぐ人たちと関わってきて、実際に知り合いが路上で死んでしまうということも経験した。このような主張をするのも当たり前だし、彼の公的な活動は成果を上げている。

 

 個人的に、本著の中で一番興味深かったのは、「第3章 家族の限界」である。

 

 人気芸人、河本準一の母が生活保護を不正受給していた問題はあまりにも有名だ。片山さつきなどが取り上げて国会にも飛び火した。自民党は法改正で親族の扶養義務を強化する方針を見せている。

 筆者は、この場合、生活保護法上の不正受給には当たらない、と主張する。日本では扶養義務が法律で定められているが、例えばイギリス、フランス、スウェーデンなどでは扶養義務を負うのは夫婦間と未成熟の子供だけであり、成人した親子の間で扶養義務が問題になることはない。もし親子の間での扶養義務がある場合、貧困の世代間連鎖が悪化する。子供が親を養わなければならないなら、親が貧困というハンデを背負った子供が成人した後も貧乏な親の扶助という、さらなるハンデを背負わなければならない。また、家族間の不和により保護を必要としている人がいた場合、その人に保護を与えることができない。家庭内のいざこざから凶悪な犯罪が生まれるケースは年々増えているらしい。家庭とは、多くの人々が理想とするほど安心できるものではないみたいだ。また少子高齢化に伴い、家族間の支え合いは弱体化していく。

 自民党が家族間の助け合いを主眼として、扶養義務の強化を打ち出したのはいかにもと言った感じだが、もうそういった私的な領域が限界を迎えつつあるというのは生活保護に限った話ではないだろう。

 僕は河本のケースをよくない例として捉えていた。「常識的」に考えて、母親の扶助くらいしてやれよ金持ってるんだから、と思っていたので、ちょっと考えを改めさせられる部分があった。