しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

医学的根拠とは何か

 

 

 岩波新書 「医学的根拠とは何か」の感想です。

 著者は津田敏秀さん、医師・医学博士で岡山大学大学院の教授。

 日本の医学に対する考えについて、その偏りを指摘した本。

 

医学的根拠とは何か (岩波新書)

医学的根拠とは何か (岩波新書)

 

 

 

「疫学」とは、文字通りとれば疫病を対象にする学問だが、その意味は転じて、個人ではなく集団を対象とし、統計的な手法で病気や怪我などを分析するというような意味で使われるようになる。

 

 本書の分類では、医師には直感派、メカニズム派、数量化派がいるらしい。

 

 直感派は医師としての個人的な経験に重きをおく、臨床的な感覚を重視するタイプ。

 メカニズム派は動物実験や遺伝子実験などの、実験室の研究結果を重視するタイプ。

 数量化派は、統計学(疫学)の方法論を用いて人間のデータを定量的に分析した結果を重視するタイプ。

 本書の主張は、数量化派の方法は日本にまだそれほど信用していなくて、医学的根拠の混乱が続いているので、みんなもっとデータを使った方法論を重視しようね、ということである。

 国際的にはその3つの中での優先順位には合意ができていて、医学においては数量化の方法が、医師の個人的経験や実験室の研究結果に優先させるべき科学的根拠になっているらしい。

 

 統計的な考え方のきもは、「全体」つまり「平均」を意識することだろう。統計とは数を数え、データを集計し、そこから何が言えるかを考えるという手法なのだが、そこに不可欠になるのは「全体」への視野だ。統計においての「異常なもの」は「平均」から逸脱している数値となってあらわれる。「全体」とそれぞれの数字との比較によって要因を割り出す。相対的な尺度で、健全か異常かを判断するのだ。そこでは個人的な医師による演繹的な因果律とは別のところで、何らかの結果を出すことができる。個人的な意見よりも数字、それが科学的根拠として強い説得力を持つのは、まあ当たり前のことのように思える。

 統計的な手法で汚染された水を飲むとコレラになることを明らかにしたジョン・スノウ、同じく統計学者としても知られ、兵舎病院の衛生改善に務めたフローレンス・ナイチンゲールなど、華々しい成果の例はいくつもある。

 

 

 本書では日本人の医師がいかに統計的な手法を疎かにしているか、その事例を連ねている。

 

 例えば水俣病の例なんかはひどい。2000年、水俣病関西訴訟控訴審の結審直前に、原告側は水俣病の被害に関しての統計的な裏付けを提出したのに対して、「これらの数量化による証拠は「集団」の因果関係を示すものであり、「個人」が原告の民事損害賠償訴訟においては直接適用できないという主張を、被告の国や熊本は行った。そしてこの主張に対する原告の反論が許されないまま判決にまで採用された」とある。

 法の場では、医学はメカニズムを解明するものであって、原因と結果があるはずだという間違った共通了解が蔓延していると筆者は主張する。

 

 また、医学部における実験室の例も、確かに重要な問題だと思った。医学本来の人間を対象とした学ではなく、密室の実験室でラットを相手に延々と実験をし続ける日々。実験医学で決定的なメカニズムを解明することが科学の客観性を保つと考えるのは、時代の潮流に乗り遅れているというわけだ。実験動物や遺伝子研究は当たり障りがなく、「実験室の実験医学を医学対象として考えていては、実際の医療の問題には決して届かないし問題意識も起きない」と筆者は主張する。ほんとかよ、と思うのだが、優秀な医学部生に博物学的な実験ばかりをやらせるのは確かに才能の無駄使いかもしれない。

 

 

 統計的な手法についての合意が得られていない、という例で、放射線被ばく問題を筆者は取り上げる。

 

「被ばく量100ミリシーベルト以下は放射線によるがんの発生がないかのように誤って伝えられている」

 

 広島・長崎のデータでは100ミリシーベルト以下の被ばくとがんの発生との間に有意差がなかったのだが、「統計的な有意差がない」ということと、「影響がない」ことを混同してはいけないと筆者は主張する。福島での100ミリシーベルト以下の被爆者は広島・長崎よりも多く、広島・長崎のデータでは有意差が見られなくても福島のデータでは有意差が見られるかもしれないというのだ。要するにリスクはゼロではありませんということで、じゃあどこで線引すればいいんだよ、という疑問はあるのだが筆者は何も言及していない。ただ、担当者は直感派かメカニズム派の人が多くて統計リテラシーが低く、「福島県では通常の定量的な分析が試みられず、因果関係があるかないかの押し問答が続いている」と言う。これは少し視野が狭いんじゃないかと思う。統計はデータをとらないと始まらないので、結果の解明は後追いになる。特に放射線という人体に与える影響がまだ良くわかっていない問題の場合、がんになってしまった人のデータを分析する、というのでは手遅れだろう。じゃあその前に何が言えるのか、「医学的根拠がない」としか言えない。確実に安全といえる医学的根拠がないから全員福島から避難しろ、首都圏からも離れろ、というのは現実的に無理がある。

 まあ、どういう状況になっても確立された方法でデータを取得しろ、というのは正しい主張だろうけど、そういった状況に対して目をつむりたくなるのは無理もないですよね。