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しっきーのブログ

ひろいこころで\(^o^)/

『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』を遊ぶべき10の理由

ゼルダの伝説

『ゼルダBotW(ブレスオブザワイルド)』ひと通り遊んだ。

しばらくブログ更新してなくて、とりあえず何か書きたいみたいなのもあって、紹介記事でもやろうかなあと。

これを読んでゼルダを遊んでくれる方が一人でも増えれば嬉しいです。

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公式サイトでムービーや概要など、詳しく見ることができる。

www.nintendo.co.jp



目次

「ゼルダの伝説」ってどんなゲーム?

『ブレス オブ ザ ワイルド』は最新作だけど、ゼルダシリーズ自体は、1986年に発売された初代『ゼルダの伝説』から、30年以上の歴史を持つ。
「マリオ」と並ぶ任天堂の看板で、マリオよりさらに作品数を絞って作り込む傾向があり、海外でも人気のタイトルだ。


ゼルダは、その最初の作品から、アクションあり、謎解きあり、コミュニケーションあり、RPG要素ありの、やることを一つに絞らない総合的なゲームだった。
様々なものを組み合わせる一方で、それらを破綻させない「作り込み」が、ゼルダシリーズの特徴だった。

そして、そのためは「自制」が必要になる。

あれもできるしこれもできるという、ゲームが描きうる膨大な夢。
それを手づかみで感じられるほどまで切り落とし、絞り込む自制によって、その世界にいる実感を表現してきたのが、ゼルダシリーズだった。

ちなみに、プレイヤーが操作する主人公の名前は「リンク」で、「ゼルダ」とは姫の名前だ。
しかし「リンクの伝説」ではなく「ゼルダの伝説」……こういうタイトルの付け方も、慎みを持ちながらゲーム制作に取り組んできたゼルダシリーズの在り方をよく表していると思う。


ゼルダは、壮大な世界を「体感」させてくれるゲームである一方、ダンジョンをクリアする順番や謎解きの手順など、プレイヤーが次に何をしなければならないかは、基本的には決まっていた。

全体的に難易度が高い上に、「正解」にたどり着けなければ先に進むことができない。
そのような理不尽をゲーム体験に変えてしまう徹底的な作り込みこそが、ゼルダシリーズの本領だった。

プレイヤーを成長させ正解に導く方法は、他が真似できないほど洗練されていったが、そのやり方が壁に突き当たっていたことも事実だった。


「アタリマエ」を見直したオープンワールドのゼルダ

今作『ゼルダBotW』は、「これをしなければいけない」がなくなっている。

目的は「ゼルダを救うこと」なのだが、チュートリアルで基本アイテムを入手した後は、本当に何をしてもよくなる。いきなりラスボスへ向かっても構わない。
メインストーリーに該当するものも一応はあるけど、クリアに必須なものではない。

これまでずっと「一本道」でやり続けてきたゼルダシリーズが、「オープンワールド」に踏み切った最初の作品が『ブレス オブ ザ ワイルド』だ。


プレイヤーが好きな手順で遊べる、攻略の順番が定められていないゲームのことを、「オープンワールド」と呼ぶことが多い。
オープンワールドのゲームにも色々あるのだけど、MODを導入して自由に世界を作り変えられるとか、難易度や設定を変更したりなど、どちらかと言えばツール的な発想が強い。

しかし『ゼルダBotW』は、「自由に好きなことをできる」を売りにしたゲームというわけではない。(ゼルダの売りは、あくまでそれが「ゼルダ」であることだ。)
今までの「ゼルダらしさ」を保ったまま、オープンワールドに切り替えたことに意味がある。


やることが決まっている「一本道」にすれば自由ではなくなり、どこにでも行ける「オープンワールド」にすれば世界が破綻してしまう、というジレンマがずっとあった。

自由な行動をプレイヤーに許しながら、かつ破綻しない世界という、近年のゲームが描き続けていた夢に、「ゼルダ」は一つの解答を与えている。

「ゼルダ」という方法だからこそ、それが実現したと言うこともできる。


「ゼルダらしさ」の到達点

ゼルダは、2Dから3D、リアルからアニメと、ドラスティックな変化を続けてきたシリーズでもある。

「ゼルダというゲームを変える」のではなく、「ゼルダ」という考え方の延長上で変化を導き出してきた。

今作で、「一つの解答」から「いくつもの手段」という、シリーズ最大の変化を遂げたのだが、その中身はどこまでも「ゼルダの伝説」だった。


ゼルダはシリーズを重ねるほど、開発の段階で「ゼルダらしさ」が意識されるようになっていく。

ゼルダの伝説シリーズ - Wikipedia

Wikipediaには、「言語化されているわけではなくその定義については各々の関係者で考え方が違っている」とまとめられている。


あるときは時代や状況の恩恵を受け、時々の発想と幸運を取り込みながら、ユーザーに愛され、徐々に形作られていった言語化できない「ゼルダらしさ」……。
それは、次回作を作ろうとするたびに、何度も引き合いに出されるようになっていく。

過去作が偉大であるほど、それを越えるのは難しい。

2000年以降の据置ハードの大作ゼルダは、

  • 2000年『ムジュラの仮面』
  • 2002年『風のタクト』
  • 2006年『トワイライトプリンセス』
  • 2011年『スカイウォードソード』
  • 2017年『ブレス オブ ザ ワイルド』

と、発売される度に開発期間が長くなっている。

『トワイライトプリンセス』と『スカイウォードソード』は、もちろん名作ではあるが、「歴史に残る名作を産み出し続けてきたシリーズ」という恩恵と呪いの中で、「らしさ」の自縄自縛に苦しんだ痕が見えなくもない。


そして、大転換を果たした『ブレス オブ ザ ワイルド』は、苦難の年月を裏切らない出来だ。
初代から現在までのゼルダシリーズの集大成と言っていい。

ゼルダファンそれぞれの「ゼルダらしさ」があると思うけど、ゼルダシリーズ何を求めていた人であれ、何かしら報われるような作品になっていると思う。
ゼルダを信じてきてよかったね!


コンピューターゲーム自体それほどの歴史を持つわけではないが、それでも、ゼルダは発売されてから30年になる。

娯楽の最先端を牽引しながら、少なくない数の人間が、数年、数十年もの間、一つのシリーズについてここまで悩み、考え尽くしてきた例は、他に見つからないかもしれない。


「終盤」が見つからないゲーム

ここまで、「ゼルダはすごい!」という話をしてきたけど、そういうの抜きにして、純粋に面白いゲーム。

3回違ったルート(というより趣向)でクリアしてみたけど、どういう進め方をしても楽しいし、単調にならないところに驚愕する。

すごいところは言い尽くせないほどあるが、一つ挙げるなら、「終盤」というものが見つからないことだと思う。
序盤から中盤のワクワクがずっと続く。


「ドラクエは鋼の剣を手に入れたあたりが一番楽しい」みたいな風潮があって、それは人によるだろうけど、ゲームは序盤から中盤にかけてのタイミングが一番ワクワクするし楽しい、というのはある気がする。

操作方法を理解し、この世界に自分がいるんだという実感が湧いてきて、未知のものばかりで次にやりたいことがたくさん浮かんでくる。
そういう、その作品の吹き抜けを感じるような瞬間がたまにあるわけだけど、『ゼルダBotW』は、それが最初から最後までずっと続く。

これは、比喩とか誇張ではなく、ホントにそんな感じ!

ゲームをたくさんやってる人ほど、このすごさがわかると思う。


海外メディアで「何十時間遊んでも刺激に満ちている」みたいな紹介がされていたけど、まったくその通り。

ゲームのどの段階でも、常に楽しさに満ちている。他のゲームによくある「これからは消化試合」みたいな倦怠を一切感じない。


各フィールドに、順番や序列は存在しない。

「序盤のフィールド」とか「終盤の敵」みたいなものがなく、どこにどういう状況で行っても、手強い敵はいるし、かと言って工夫次第で何とかならないわけでもないし、色んな攻略方法が浮かんでくる。

当然ながら、冒険を重ねるほどリンクは強くなっていくし、プレイヤーは上達していく。
やってきたことがしっかりと積み重なっていきながら、どのフィールドも手応えや発見を失うことがない。

冒険中、「あれもやりたい」「これもやりたい」というのが常にいくつも浮かんでくる。

普通のゲームでは序盤から中盤あたりで感じるような開放感が、『ゼルダBotW』はずっと続いているのだ。


「手触り」があるからこその難易度調整

どうして、全力のアクションRPGでありながら、どこから手を付けてもダレることのない調整が可能なのか?

それは、ゼルダが、初代からずっと、あらゆる要素を含んだ総合的なゲームだったことが大きいように思う。


テキスト重視のRPGのように、「レベル」みたいな抽象化された数値が強さに結びつく場合、このような調整はできない。

ゼルダは、RPGでもあるのだけど、抽象化の度合いを下げて「手触り」を重視してきたタイトルだった。
リンクのHPは♡(ハート)という物理的な形で表現されているし、攻撃力は持っている剣の武器さによって決まる。
また、様々なギミックを実際に触れて動かすことで、何かを解決する仕掛けが伝統的に用意されてきた。

この「手触り」が、普通ではあり得ないような調整を可能にしている。

地形や、岩や鉄板などの物体や、水や火や雷や風のようなエレメントや、武器や防具が物理的な形で存在するから、それを様々に組み合わせることで、いろんな状況が展開する。

本来、自由度とバランス調整はバーターな関係にあるのだけど、『ゼルダBotW』は「自由だからこそできるバランス調整」を確立した。


今作のゼルダは敵が強い。道中に普通にいるようなやつがめちゃくちゃ強かったりする!
それができるのは、敵がいるという状況に対して、色んなアプローチが可能だからだ。

  • HPを増やして、武器と防具と回復アイテムを揃えて、正面から戦う
  • お金をたくさん稼いで、強力な矢を買い貯めて、物量で攻略する
  • こっそり近づいて、一人ずつ不意打ちで始末する
  • 地形や天候を利用したり、岩や炎などのギミックを駆使して倒す
  • 目的地が別のところにあるなら、回り道したり、逃げたり隠れたりしてやり過ごす

などなど、色んな方法が考えられる。
今作は、開始地点にある岩をラスボスのところまで持っていけるくらい何でもありだ。

リンクがラスボスを倒せるほどの強さになっても、フィールドに出てくる強敵とまともに戦えば苦戦するし、どんな敵でも、よく観察し、しかるべき準備をすれば、初期ステータスでも勝利することができる。

そして、苦労して強敵を倒すと、持っている武器を奪えるし、高価な素材も手に入るし、ちゃんとメリットがある。
これだけでもすごく楽しいんだけど、そういう状況が、広大なフィールドに、多重に重なり合って展開されている。

その面白さ、凄さ、完璧さみたいなものは、やってみて初めて体感できるとしか言いようがない。


もしゼルダファンであれば、その細かいギミックの一つ一つに、過去作の膨大な積み重ねがあることに気づく。

「ゼルダ」でなければ、これほどのことは不可能だっただろう。


プレイ時間と試行錯誤を裏切らないゲーム

「難しいゲームと一生懸命向き合う」という遊び方は、けっこう日本のゲームに特徴的で、そして古い考え方でもある。

海外では家庭用ゲーム機の流れがいったん途絶えて、PC用ゲームが普及した。一方で、日本は家庭用ゲーム機が中心だった。
昔のゲームソフトは難しいものが多いが、その方が買って長く遊べるからだ。
その後、誰でもクリアできる『ドラクエ』が人気になるみたいな経緯があるのだけど、「制作側が作った課題をプレイヤーが一生懸命クリアする」という、ある種の信頼関係に基づいた清貧の思想は、最近発売された作品に受け継がれていることもある。

そういうのを重視した、高難易度で知られるフロム・ソフトウェアの「ソウルシリーズ」みたいな作品のほうが、海外には訴求力を持っていたりする。

不当に難しいものを作るのは簡単だけど、ちゃんと難しいものを作るのは難しく、その点で言えばまだ日本のゲームメーカーに軍配が上がる部分が多いのかもしれない。


ゼルダシリーズもまた、黎明期に生まれた「一人用ゲーム」の古い形を、けっこう真面目に守り続けている。
難問を解決できるほどプレイヤーを成長させるという形で、そのコンセプトを磨き続けてきた。

その今のところの到達点が、ユーザーが真剣に向き合えるオープンワールドだ。

難しいものを難しいものとして提示し、なおかつ納得感があるということがどれほど難しいかは、他のオープンワールドゲームを遊んでみればよくわかる。


ちなみに任天堂は海外でも人気が高いが、「子供にやらせても安心」というブランドが強い。もちろんゼルダもその例に漏れない。

「子供やゲーム初心者でも遊べる」というのは、任天堂がずっと守ってきたものなので、その点は信頼できる。
今までゲームをしたことがない、という人にとっても、このソフト以上に適切なものはないと思う。

試行錯誤した過程が、しっかり自分に返ってくる。
そのように作る真面目さこそが、任天堂のソフトが熱心に支持され続ける理由の一つだ。


遊び方は多種多様、これからもっと盛り上がる!

最近は、ゲームという娯楽も広がりを持っている。

ただ自分が遊ぶだけじゃなく、プレイ動画で他の人とゲーム体験を共有したり、自分で課題を設定してチャレンジなど、色んな遊び方がある。

  • ゲーム実況
  • スクリーンショットの投稿
  • 二次創作
  • RTA(リアルタイムアタック)
  • 縛りプレイ、やりこみプレイ
  • 追加コンテンツ

などなど、これから何年、何十年も楽しめる作品であることは間違いない。

日本でも海外でも大ヒットしている作品なので、これ一本でもクリアした経験があれば、周辺のいろんな文化にアクセスできる。
そういう意味でも、時間をかけて遊んで損はない作品だと思ってる。


ストーリーも素晴しい

本作は、ストーリーにあたるムービーの比重はほんの一瞬に過ぎない。大作シリーズの中では、過去最高に短い。

にもかからわず、その出来があまりにも良くて驚いた。
『時のオカリナ』もそうだったのだけど、「何かに愛されている」といった感じがする。

ストーリーをとっても、下手したら歴代最高なのではないだろうか。


ゼルダシリーズには、(例外もあるが)リンクがゼルダ姫を助けるという定形がある。
それは飽々するほど繰り返されてきた英雄譚ではあるけど、その歴史がハイラルの地の隅々に根付いていることをゲーム内で感じとると、見方も変わってくる。

そういった舞台だからこそなんだけど、今回のゼルダ姫はとてもいいキャラ。というより、キャラクター全員よい。

そして、とび越えた時間の遠さと、死者とその魂、多くを言わない語り方など、これまでのゼルダが積み重ねてきたものの厚みを感じる。

ほんの短いセリフでも心を打つ。
実際にその世界を駆け回って、体感することで生まれる膨大な行間が、ゲームの語らない叙情になっている。


ゲームでしか味わえない感動がある

ゼルダシリーズの大作は、どれも一人プレイしかできない。
一人用ゲームとしての格式にこだわってきたとも言える。

プレイヤーが操作する勇者「リンク」は、タイトル名でもある「ゼルダ」と違い、名前を忘れられてしまう存在だ。

特に『時のオカリナ』以降のゼルダは、「孤独」が表現されていた。
ゲームとして面白いものであると同時に、孤独を感じさせるところに、ゼルダシリーズの沈むような美しさがある。


今作で、僕が最初に鳥肌が立った瞬間は、マップのないフィールドをひたすら走って進んでいくときだった。
この先に何があるのかというワクワクと、底冷えのするような世界が立ち現れてくる感覚。それは新しい体験でありながら、これまでのゼルダシリーズが磨き上げてきた孤独が表現されていた。


まだやったことのない人は、ゲームを始める前に、公式サイトやYouTubeにアップされているトレーラーをぜひ見てみてほしい。



これを見て、ちょっと面白そうとか、映像が綺麗だとか、特に何も思わないとか、感想は人それぞれだと思う。

ただ、一度ゲームをクリアした後にこれを見ると、最初と違った印象を受けるはずだ。

その場所を足で踏んで、体感するたびに、音や景色に特別なものを感じるようになっていく。
ゲームの世界で感じる空気が深まっていくような、ゲームでしか味わえない感動がある。


日本のゲーム会社はこれ以上のものを今後作れるのか?

『ブレス オブ ザ ワイルド』は、1998年に発売された『時のオカリナ』以来、僕の中で最高傑作を座を奪い取った作品だ。もうこの時点で確信できる。

この先、これを越える作品が世に出てくるのだろうかと、誇張なしに本気で思ってる。


日本はデジタルゲームをリードしてきた国だと思うけど、海外市場では存在感を失いつつある。この傾向は今後も続くだろう。

日本のゲーム産業の特徴を一言で言うなら、市場の成熟が他国より一足早かったこと。

マンガやアニメ等の周辺産業ともシナジーがあったし、描画力と処理能力が低く表現できることが少ない段階で、ゲームが人気の娯楽になっていた。要はしょぼいスペックでもそこそこ面白いものを作ってこれたということだ。

その後、ゲームの表現力が上がると、資金力や技術力で勝る海外メーカーが台頭して、相対的に落ち目になる。それは当然と言えば当然のことだ。


そして、恵まれた時代の備蓄を吐き出すように、『FF15』や『ゼルダBotW』が発売された。

メインの市場がスマホに移って、とにかくユーザーの気を惹き収益を回収する手段が、躊躇いもなく使われるようになった。

そのような時代に、任天堂らしい誠実さが、足かせになっていくという現状は、変わらないだろう。

それでも、『ゼルダBotW』は、良い時に培われた「真っ当さ」が報われたソフトになったと思う。


今作を作る上で、何かを解決するような優れたアイデアがあったとは思わないし、時代に恵まれていたわけでもない。ただひたすら、こだわりを持って作り続けてきたということ。

僕自身、岐路に立たされているというのもあるのか、最近は何でも自分に引きつけて考えてしまいがちなのだけど、「こだわり続けてきた成果」が、今においてもなおこうして生まれてきたというのは、ある種の希望ではあるよね。

小学生の頃にやった『時のオカリナ』にはけっこう影響を受けたけど、『ブレス オブ ザ ワイルド』もそういう作品になるかもしれない。


またしばらく時間を空けて、本格的に感想を書きたい。

ここまで読んでくれた方はありがとうございます。

羅列的な紹介記事でしたが、『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』をやってみたいなーと、ちょっとでも思ってもらえれば幸いです。


もう一度公式サイトへのリンク。